続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

生活と思い出と世の中と(1999年)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。23回目は1999(平成11)年です。

遂に1900年代への遡りです、個人的には29歳になる年ですが、人間的成長がないのか、今もほとんど変わらないような気がします(笑)

 

●仕事

前年末に入社し派遣社員としての生活が軌道に乗り始めたという感じ、最初はまだ慣れない部分もあったものの、春ごろくらいからペースが掴めてきた感じでした。

フォークリフトの免許を取らせてもらったりしてました。実技試験が6月の炎天下でなかなか厳しかったです。

事務所のメンバーはパソコンにメール入れて活躍していましたが、自分はまだメールアドレスがあてがわれず、オンライン端末だけで仕事してて、連絡を取る手段は電話だけでした。それくらいがいい時代だな、、と思いますが、昨今は会社から携帯支給されSMSやteamsやと、「効率化」の名のもとに会社からふん縛られてるとしか思えないのです…。。電話で最初冗談を言いながら本題に入っていくのが良かったのに…。

 

●もちもの

この年、初めて「携帯電話」というものを買いました。28歳にして初めて「携帯」を持ちました。セルラーcdma Oneだったでしょうか。メール機能はついてなかったので、電話機だけでしたが、着信音を手打ちしてミッキーマウスのテーマ」とか「エレクトリカル」とか踊る大捜査線のテーマ」とか、そういうBGMを設定する事を皆楽しんでいましたね。

今でこそバイブが多いのですが、当時は「いかにユニークな音の着信音を鳴らすか」半ばウケ狙いでやってた節もあったような感じでした。まだそういう音のモラルに対してもうるさくなくて、やがてそれらが「うるさいもの」とされてから廃れていきましたね。

メールがなかったので、周りでメールしてる人たちが羨ましかった覚えがあり、翌年機種変でメール機能付きに買い換えました。今もその後のau携帯を使っているので、歴23年のベテランです(笑)

PCは持っていましたが、インターネットのない「箱モノ」としてExcelを使ったり、CDーROMを買ってきてみたりぐらいだったので、逆に今ほどPC漬けの日々ではありませんでした(笑)

 

●プライベート

親友とも呼べる友達が結婚しました。入籍したという話を聞いてビックリしましたが、結婚式に来てほしいと言われた時もビックリしました。遠方だったのもありますが、その神前結婚式で結婚を認める「署名をしてほしい」と頼まれた事が驚きでした。

で、いざその式で署名をする時に、緊張もあってか差してあるペンがなかなか取れなくて、心の中で焦った事も思い出でした。とにかく見届ける事ができて良かったなと。その後はみんなで連れ回って遊んだり、30歳を目前に良い想い出でした。

当時あった、大阪フェスティバルゲートにも仲間内で行きました。楽しい空間でしたがすぐになくなってしまって…。まだ友達周りで独身者が多かったので、そういうの結構ありましたが、30越えるとほとんどなくなり、自分だけが独りではないものの、取り残された感は否めません。

離れて住んでいた実家が引っ越す事となり、年末に初めて新しい実家へ行きました。

 

●ニュース

世紀末の混沌とした感があってか?残酷な殺人事件が多かった印象が強いです。山口県光市のマンションでの母子殺害事件や、ドラマにもなった埼玉県桶川市のストーカー殺人事件…この事件をキッカケにストーカー規制法ができたんですよね。

東京の池袋や山口県下関駅でも通り魔殺人が発生しました。

東海村の臨界事故もありました。「被ばく」という言葉が一気に認知されましたが、できれば認知されたい方が良かった言葉ですね。

石原慎太郎氏が東京都知事に就任したのはこの年でした。4期目途中の2012(平成24)年まで実に13年も務めていました。

瀬戸内しまなみ海道が開通したのもこの年で、いくつかの島を繋ぐ道として車や自転車で走れる道になりました。

11/11が「ポッキーの日」となったのは、この年からだそうです。

同じこの平成11年の11月11日に岡山県井原市駅から広島県福山駅までを繋ぐ井原鉄道」が開業しています。

新幹線では、山形新幹線新庄駅まで延伸開業しています。

 

●訃報

芦田伸介さん …「七人の刑事」で哀愁漂う刑事役を熱演、時代劇ゲストでも重鎮として活躍。

大屋政子さん …「ウチのお父ちゃんは」で有名な、実業家にしてセレブタレントのはしり。

土居まさるさん …「クイズ・ヒントでピント」「ほんものは誰だ」などのクイズ番組やTVジョッキーなどの軽妙な司会で活躍

三木のり平さん …桃屋のCMの吹き替えで有名、おとぼけキャラで活躍

ジャイアント馬場さん …巨人の投手からプロレス界の巨星として活躍。16文キックなど豪快な技でプロレス界を牽引

山岡久乃さん …ホームドラマに欠かせないお母さんとして活躍。

高橋和枝さん …「サザエさん」の先代カツオ役として特に有名

沖田浩之さん …竹の子族からアイドルとして活動、「3年B組金八先生」出演や「E気持」がヒット

西岡恭蔵さん …フォーク歌手でありシンガーソングライターとして活躍。矢沢永吉氏の楽曲の作詞に多数携わった

桂枝雀さん …落語界の異端児として活躍も自殺

根本陸夫さん …クラウンを西武にして一躍常勝軍団へ仕立て上げ、ダイエーでも同様の仕掛けで強いチームへ陰で育てた

由利徹さん …チョビ髭かトレードマークのコメディアンにして独特の訛りの入ったとボケた俳優としても味を発揮

別所毅彦さん …通算310勝を挙げた巨人のレジェンドにして解説者界の御意見番

村下孝蔵さん …「初恋」がヒットして一躍有名に。独特の甘い歌唱で人気を博すも早世

淡谷のり子さん …往年の「ブルースの女王」、晩年まで第一線で活躍

松宮一彦さん …元TBSアナウンサーにして「ザ・ベストテン」での追っかけリポーターでも有名に

千秋実さん …朴訥とした雰囲気に強い芯を持ったオヤジさん的な役どころが印象的な俳優

大翔鳳 …元小結。病気により現役引退後に死去

池田貴族さん …ミュージシャン。生前よりガンを公表し、精一杯生きた証を残し続けた

 

プロ野球

セ・リーグは中日が11年ぶりにリーグ制覇、パ・リーグダイエーが福岡に来て初めて優勝しました。ホークスとしては1973(昭和48)年に南海として優勝して以来、実に26年ぶりの優勝でした。日本一はダイエーが成し遂げ、中日はなかなか日本一には縁が遠く、日本シリーズでは勝てませんでした。

新人王はセ・リーグは、巨人・上原浩治投手が20勝を挙げ、パ・リーグ西武・松坂大輔投手が16勝を挙げてそれぞれ獲得しました。

松坂投手は高卒でプロ入り後を興味津々で観られてきながら、新人でいきなり16勝し、改めて「怪物」である事を証明してみせた格好でした。

セ・リーグの打撃では本塁打王こそペタジーニ(ヤクルト)が取りましたが、打率と打点は横浜・ローズが2冠を獲得しました。

引退選手としては、ロッテ・園川一美投手が先発が減りながらも30試合以上投げていましたが、まだやれそうな中で引退しました。同年代の中日・音重鎮選手も戦力外となる形で現役生活を終えました。中日から広島へ移籍しましたが、中日へ復帰しての引退でした。

 

●大相撲

総じて武蔵丸が強い1年で、横綱に昇進しました。ともすれば大関に安住しそうな状態でしたが、スランプを脱するかの如くこの年は強い相撲でした。

一方で既に横綱であった貴乃花はこの年と翌2000(平成12)年の2年間は一度も優勝がなく、ケガの後遺症か特にこの年は2ケタ勝利すら1度しか挙げていない状況でした。

また兄の若乃花は、前年1998(平成10)年に横綱になりましたが、この年は初場所こそ13勝を挙げたものの、勝ち越し自体がこの1度だけという状況で、兄弟同時横綱として年間通して過ごした唯一の1年であったにもかかわらず、2人で優勝は1度もないどころか、まともに自分たちの相撲すらとる事の出来ない状況になっていました。

そして出島が大関に昇進しました。その後順調に…と思いましたが、その後は少し意外でした。

引退力士としては、「相撲界の暴れん坊将軍」と呼ばれイケメン力士としてならした元小結・旭豊が幕内に居たままあっさりと引退し、立浪部屋を継承しました。これは師匠の立浪親方の定年によるものでした。

元幕内・豊ノ海も引退しました。個人的には前の四股名「貴ノ浜」の方が印象的でしたが、相撲協会退職後昨年56歳で亡くなっています。

元関脇・栃乃和歌は幕内上位で長く活躍し、大関候補の一人にも目された実力者でした。栃乃和歌と同い年の元小結・琴稲妻もこの年に引退、共に37歳になる年まで現役を張っていました。

先述「訃報」の項にあった元小結・大翔鳳が病気により引退し準年寄を襲名するも、年内には帰らぬ人となりました。

元幕内・時津洋も引退、徳島県出身の希少な力士で、またすごく額の狭い力士として個人的に印象的でした。この人も早世しました。

最後は元小結・舞の海です。業師として鳴らし、同じ業師の智乃花との一戦は特に湧きました。小さな者が大きな者を倒す「相撲」という競技の面白さを伝えた力士でした。いまは解説ですっかりお馴染みになっています。

 

●音楽

昔は年と音楽の結びつきがあったので、この年からその振り返りを綴ります。

LOVEマシーンモーニング娘。…この曲より後藤真希さんが加入し、モーニング娘。のイメージを決定づけ、また代名詞ともなりました。

「GOLDFINGER'99」郷ひろみ …[E:#x266A]アチチ で再びHIROMI GOブームが再燃、路上ゲリラライブでお騒がせなど話題に。

この年は新御三家が久々にメディアで話題になり、野口五郎さんは「愛がメラメラ」、西城秀樹さんは「バイラモス」でそれぞれ洋楽カバーし(郷さんのGOLDFINFER'99もそうですが)、久々にオリコンでそこそこに順位をつけていました。

だんご三兄弟も流行りましたね。

●テレビ

同じく昔は、年と見たテレビ番組の結びつきが強かったので、この年からその振り返りを綴ります。

朝の情報番組は個人的にTBSを20年以上観続ていますが、この3月で「おはようクジラ」が終了しました。当初は渡辺正行さんが司会で、その後、元ヤクルト選手の青島健太さんが司会をしていたのを見ていました。4月からは「エクスプレス」という番組になり、女性色が前面に出た雰囲気になっていました。

ドラマは…、観ていたものでいうと、

「新・俺たちの旅ver.1999」:あのかつて青春ドラマ隆盛期に沸かせた「俺たちの旅」のリメイクをV6のカミセンメンバーがやっていたのですが、、、二番煎じに当たりなし、個人的にはそんな感じでした。どうしても元ネタを基準に見てしまうので…

「ザ・ドクター」堤真一長嶋一茂という対照的なキャラクターの医師が絡み合う、これまた「振り返れば奴がいる」のような作風でした。

当時一茂さんは結構役者やってましたよね…。

再放送で「俺たちの勲章」がやってて録画して見れました。以前1986(昭和61)年にあったのですが、学校でほとんど見れず、当時は家にビデオデッキもなく、やっと記録できました。

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また西部警察の再放送が全国各地で行われていたようで、石原裕次郎さんの13回忌法要のテロップが流れていましたが、それに合わせて各地で再放送されていました。

 

●旅行

この当時は社会人になってから最も貧乏期であったので、旅行らしい旅行には行けず、一度島根には行ったものの、岡山、大阪などの近場を1、2回行ったぐらいで、全体的につつましやかな生活をしておりました。

 

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