(2008年8月当時)
▼ようこそ蔵の街へ
という事で、栃木市は「蔵」がウリになっている街です。
栃木市、という県名を名乗った市名ですが、県庁所在地ではありません。
この例は、他に山梨市、沖縄市などが同じケースとして当てはまります。
地図の最下部が栃木駅になっていますが、その駅からの観光コースとして名所の場所を織り込みながら設定されており、ポイントを効率よく押さえた旅ができるようになっています。
▼栃木市のマンホールです。
蔵の町並みと、巴波川に泳ぐコイがモチーフだといいます。
▼さて、栃木駅から街へ出た様子です。
といっても今からもう14年も前につき、それなりに変わっているかもしれません。
ここは直進すると宇都宮へつながり、右折すると小山につながる格好になっていました。
▼駅前通りの幹線道路から横っちょへ逸れる形でこの「みつわ横丁 歌麿通り」と表記されたゲートがありました。
何かと日本的なものを表す歌麿ですが、絵師の喜多川歌麿がかつてこの栃木市にあたるエリアに住んでいた事があるところからのネーミングだそうです。
▼こちらも同じ、みつわ横丁歌麿通りです。
やはり横丁なので、コアな感じのお店が並んでいる感じがしました。
▼みつわ横丁の角にあった木製の標柱です。
まず「みつわ横丁」について、
栃木駅へと至る方向は「歌麿と歴史の道」という事で、反対側は各観光名所が多数書き連ねてありました。
もう一つ見える「例幣使道」とある例幣使は「れいへいし」と読みます。
例幣使とは、天皇に代わって朝廷からの神への毎年の捧げもの(例幣)を納める使者の事をいいます。
この辺りは「日光例幣使街道」と呼ばれ、徳川家康が死去後しばらくは久能山に葬られていたのを、日光東照宮へその霊柩を移す事となり、以後京都の朝廷から日光までの行程でこの習慣が続き、1646年から1867年までの実に221年間にわたって継続されてきたといいます。
▼みつわ横丁の通りの店です。
看板が色々ありすぎて情報量多すぎてよく分かりませんでした。
「中年向けの六本木店」ってなんじゃそれ、って感じですね。ググってもよく分かりませんでした。
▼昭和から変わってなさそうな風景でしたが、相生橋という石欄干の橋が架かっていました。
▼その相生橋から見た巴波川(「うずまがわ」と読みます)の水辺の風景です。
毎週土曜日に「歌麿市」というのをやっている、とありました。
白壁の部分に書き込まれている形で。
▼2枚上の写真から橋を渡った先にこの「ミツワ通り共栄会」という表示がありました。商店街のアーケードの横っちょにつけられた形で。
昭和40年代に命名されたようで、それからの歴史をもっているようです。
▼庚申鳥居という朱塗りの鳥居がありました。
庚申は「幸神」とも表記され、”「幸神付く付く」と三回唱えてお通り下さい”とありました。"必ず貴方様に幸神がつきます"ともありました。
くぐれば幸せが訪れる鳥居、という事ですね。
▼「金魚湯センター♨玉川の湯」というのがありました。
金魚湯?と思いましたが、れっきとした人間の入れる銭湯です。
浴槽から「金魚が見れる」のだそうです。
1889(明治22)年創業で現在も続いている130年以上の歴史を持った温泉です。
▼ホテル手束というのがありました。
手束は「てづか」と読みます。このホテルも現存しています。
▼行きは商店街へ結構寄り道した形でしたが、幹線道へ出てこのまんま栃木駅へと帰りました。
滞在時間はあまり長くありませんでしたが、風情ある街並みを楽しめる栃木駅前でした。