(2005年2月、2007年2月当時)
大垣市については、以前に別の拙ブログにてお城に特化して書いています👇が、今回はこれ以外の内容でお送りしていきます。
▼2005(平成17)年2月と2007(平成19)年2月と2回分の写真をお送りします。1回あたりに撮った写真が少なかったので。
まずはここからはしばらく2005年当時の様子です。
というわけで、17年も前の姿につき、今は少し変わってるかもしれません。
まず右側のYaNaGeNと表記されたビルですが、「ヤナゲン」という地元を代表する百貨店、でした…
1910(明治43)年に柳源呉服店として創業し、1965(昭和40)年から百貨店形式となりましたが、2019(令和元)8月をもって閉店になったといいます。この当時はまだ営業していました。
もちろん現在はこの表記もありませんが、建物の解体はまだされておらず、2026(令和8)年から解体予定といいます。
▼松尾芭蕉の「奥の細道」の終着点である大垣は「結びの地」とされ、芭蕉が広告塔の如く扱われていた印象がありました。
昼間しか行ってなかったので分かりませんでしたが、ここには「イルミネーション」とあり、夜はより綺麗だったと思われます。
▼駅の近くに、こんな水辺の風景もありました。
やはり「水の都・大垣」ですね。
地下水が湧き出ている地域が多い為ですが、そんな湧き水のマップも市のサイトで紹介されています。(写真の下にリンク)
駅前(南側)に、川が東西にも南北にも流れる地形になっています。ここに見える部分も突き当たりで分岐しています。
▼歩道アーケードつきの商店街が続く、駅前のメインの通りです。
大垣城・郷土館へ180mとなっていますが、大垣駅からだと約700mで徒歩でも行ける距離にあります。城跡であると共に資料館にもなっています。
▼駅前のメイン道路に歩道つき商店街がある訳ですが、車道エリアは窮屈な感じがしました。地方都市駅前なのでそれなりに交通量が多い訳で、歩道幅が広い分だけ、車道幅が狭くなってるのかな、という感じでした。
商店街には「くるわまち」と幟が並んでいました。
くるわは「曲輪」や「郭」と漢字表記され、城下町特有の名前が付けられていました。
▼この訪問時よりも後の、2013(平成25)年以降は「OKBストリート郭町商店街」と命名され、新たな活動が展開されています。
▼ここには「ブラツキ街」というゲートがありました。
今はメイン商店街を横手に逸れる形ですが、かつては大垣で最初にネオンが灯ったところで、大垣で最も賑わったといいます。
▼ここからはわずかですが2007(平成19)年2月再訪時のカットです。
前回ほどちゃんと訪ねておらず、ちょっとだけですが、これは「貴船神社」という神社です。
江戸初期からの歴史があるといわれ、幟が賑やかに並べ立てられていました。
▼水都・大垣らしい、街なかでも川の流れるカットです。
駅近くで水辺の景色を楽しみたい方には、大垣という街はおススメです。
▼最後に、これだけ2015(平成27)年にほんの少しだけ大垣駅に寄った際のものですが、現駅舎と旧駅舎のカットが額に飾られていました。
現駅舎は1985(昭和60)年のもので、旧駅舎は1940(昭和15)年のものでした。