続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

栃木/小山 オヤマの大将

栃木県小山市JR小山駅からの歩き旅です。

 

(2008年8月当時)

 

▼もう15年も前の街の姿になるので、幾分変わっている部分もあるかと思いますが、そのあたりはご了承を頂きたく、こんな感じの街だったぐらいな感じで思っていただければと思います。

まず小山駅すぐ前の通りですが、祇園城通り」なる表示がありました。

1989(平成元)年に整備事業がなされ、2002(平成14)年に一般公募にてこの名前が採用され現在に至るとの事でした。

▼ロッテ成瀬投手の北京オリンピック出場おめでとう」の看板が立っていたのが2008年当時を感じさせます。

今はもう成瀬投手はプロ野球には在籍していませんが、この小山の出身で、現在は栃木のBCリーグに在籍しています。

当時は前年2007(平成19)年に16勝1敗の成績で一躍ブレイクし、これを受けてのシーズンでした。そして五輪への出場と最もノリにノッていた時期といっても過言ではありませんでした。

小山駅前通りです。

さすが新幹線停車駅の駅前という雰囲気の通りを感じさせ、高層ビルが両サイドに立ち並んでいました。

▼その名もズバリ小山信販というのがありましたが、すごく昭和感に溢れていました。

「小」「山」「信」「販」とそれぞれ1文字ずつを、いかにも貼りましたよという感じで取り付けられていて、シャッターの上では「高級婦人服 オヤマ信販 高級紳士服」と文字が並んでいて、ちょっとどういう意味かよく分かりませんでしたが、昔は月賦(ローン)でスーツ買う時代だったので、そのローンの関係で「信販」という店名だったのでしょうか?

そしてまた、シャッターの絵の意味不明さがまた時代を感じさせてくれました。「10ヶ月払」とだけ表示されていますが、これ一択だったのでしょうか…?

小山市のマンホールです。

かつて小山「氏」が繁栄していた頃の、西洋ロマネスク時代の生命感あふれる馬のレリーフがあてがわれた、とどこかの説明がありましたが、経緯がよく分からないですね。この馬も周りのつる草も小山市と特に関係がない、とのコメントもどこかのサイトで見かけました。

▼これまた年季の入った建物に出くわしましたが、HOEMAKERって?となって、頭にあった「S」が取れてしまったんだろうな、と認識するのに少し時間がかかりました。

▼広い道路の上にいくつもの通路が重なった大きめの歩道橋がありました。

そしてそこには小山評定通り」の表示がありました。「小山評定」は徳川三百年の安泰に結びつく重要な軍議だったそうで、その会合がここ小山で行われたといわれ、徳川家康ゆかりの地のひとつで、大河ドラマ「どうする家康」のロケがここ小山でも行われたそうです。

で、この標識を見ると、他の都市の位置関係が分かるというものですが、直進すると栃木市で、右だと宇都宮や那須塩原、左だと埼玉県の春日部や茨城県の古河へと至ります。

国史跡 小山氏城跡公有化事業

なる看板が出ていました。

小山市城跡(祇園城)が平成3年3月に国史跡になったと冒頭にありました。

また「小山御殿」として、徳川将軍家の日光詣での休憩・宿泊所としても機能していた一帯でもあったそうで、公募により「小山御殿広場」と名づけられています。

▼その小山御殿広場を門から入ってみました。

▼小山御殿広場の説明板がありました。

ここ小山で観光らしい観光をしたのはここだけで、それも決して派手な城跡ではないんですが、復元するとこんな感じ、というイメージはなかなかのものでした。

祇園城(小山城)跡のカットを少しだけ。

平安時代末期の1148年に小山氏の築いた城といわれており、いわゆる戦国のお城より古い歴史があるようで、1576年に小山氏が北条氏に攻め込まれ、北条氏の手により改修されたといわれ、その後あまり歴史が続かず1619年には廃城になっています。

小山駅からの通りから横道に逸れてちょっと階段を上がった丘状のところにこの広場はあり、小山駅から手軽に行けるちょっとした名所といえます。

この通り、目立った建造物がある訳でなく、この公園の佇まいで往時を偲ぶ、そんな感じのスペースでした。

こんな少し山になった所に独りでいると、お山の大将になった気分にもなりますが、まさにオヤマ(小山)の大将だなと(笑)

という訳で、ここからまた階段を下りて街へ戻り、小山駅へ向かって帰っていきました。

 

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