(2008年8月当時)
▼これも古くて今から13年前の姿になりますが、駅を出るやいきなり佐野城址という観光にはうってつけの街というところでした。
これという建屋はありませんが、緑いっぱいな憩いのスペース的な側面が強い感じでした。
▼佐野城跡の説明板がありました。
「春日岡城」の別名を持ち、江戸幕府開府の前年にあたる1602年に佐野氏によって築城されたお城です。それまで根城にしていた唐沢山城という山城からこの地に移ってきましたが、整備も終わり切らない1614年に佐野氏が突如改易となり、お城も廃城になったという事です。
築城が慶長7年で廃城が慶長19年と、江戸以前の各元号の短い時代において、ひとつのお城が単一元号内に誕生と消滅の両方が発生するという実に短命なお城となってしまいました。
現在は佐野城山公園となっていて市民の憩いの場として活用されているという事です。
▼こんな緑の多い所、という印象が強かったです。
市の中心駅の駅前がいきなりこんなのだったのがちょっと斬新でした。
▼こんな橋もあったりしました。
欄干の装飾が立派でちょっと高級感が出ていました。
▼緑いっぱいの中に、丘城の部分が見えると、これはかつての城の遺構なのか?とかついつい考えてしまいます。残っているのは曲輪、堀切、土塁などだそうで、建物は何もないので分かりづらい部分があるかと思います。
▼この辺りも階段にはなっているものの、何かあった雰囲気を感じさせるものがありました。
▼佐野城本丸の石畳と石垣
の説明板がありました。
1992(平成4)年の発掘調査で、石垣と石畳が見つかったという事ですが、保存のために埋め戻しをしたそうで、ここにある石は付近から出土したものを並べているものである旨の説明がなされていました。
▼本丸の石垣・石畳周辺の石で作られた区画です。
ここに往時の本丸の姿が偲ばれるという事ですね。原形は形状保持のために埋められてしまっていますが。
ちなみに城跡ではこの本丸辺りが最も標高が高く、その高さは56mだそうです。
▼ここは土塁なのでしょうか。
築城後に城下町の整備も行われながら、突然の佐野氏の改易に一転して廃城となるという急ピッチの展開でした。
改易の理由として、当時の領主が江戸で火災が発生した際に急遽駆けつけ、その行為自体は良かったのでしょうが、元豊臣方の大名が江戸での有事の際にすぐに来れる位置にいる事を幕府が危惧した為といわれています。そんな事をしなければ、このお城にはそこから先の未来があったのでしょうね、もしかすると明治まで存在していたのかもしれないかと。
▼佐野城跡から離れて駅前の市街地へ。
駅前の通りはこんな感じです、というカットです。
▼こちらの方が駅前通り的な道路ですが、中層の建物がずらっと並んでいました。
この時は佐野駅前のほんの少ししか歩いていませんが、佐野市の他の名所として田中正造の旧家があります。それと市内の皐月ゴルフクラブ佐野コースというところの7番ホールは世界最長の964ヤード(PAR7)というとんでもないものだそうでギネス記録にもなっているといいます。何打でいけるのか試してみたいものです(笑)
ほぼほぼ佐野城跡を見ただけのものでしたが、佐野市の風景としてお送りしました。