続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

福岡/大野城 3市を跨ぐ古代の水城跡

福岡県大野城市JR水城駅からの歩き旅です。

(2021年1月当時)

▼歩き旅といっても、水城駅からすぐのこの「水城跡」を見に行っただけの記事です。

道の標識に「太宰府市」とあるように、ここは大野城市太宰府市の境目で、この水城跡は更に春日市にも跨るという実に3つの市に属する所であります。

なので大野城市の旅、と純粋には言いにくいのですが、大野城市の観光をするのがなかなかに困難で、以前に大野城駅前を訪ねた際も、これといったものがなくとても記事にできるものではなかったため「大野城市も含む名所の旅」という事でこの記事を成立させようと思います(笑)

という訳で、この左側の小高い丘を上がっていくのでした。

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▼水城跡の大きな説明板がありました。

すみません、写り悪くて文字が見えないですね。

664年築城とされる古代の城で、翌年に大野城が築かれますが、いずれも大宰府防衛のためだそうです。

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大野城市文化財めぐり

というマップがありました。こういうのを事前に見れていれば…という気がしなくもありませんでしたが、「大野城 観光」で検索してもなかなかこれというものがヒットせず、手軽に駅前のこの水城跡にしたという訳です。

観光資源が決して乏しい訳ではなく、むしろ古代の遺跡などかなり見どころのある所と窺えました。行って見ないと分からない部分があるんだな、と感じさせられました。

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▼水城跡の看板のある場所へ。

日本遺産としての登録の旨記されていました。

また「続・日本の百名城」にも選定されているといいます。

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敷粗朶(しきそだ)出土の瞬間

として地中に埋もれんばかりの形で説明板がありました。

粗朶(そだ)というのは、木の枝を集めて束状にした素材であり、「敷粗朶」はその粗朶を敷くという事で、上の盛り土を流れないように、これを敷くという当時のハイテク技術となる工法であったそうです。

ここでの説明は、約1,350年前のそれらの木の枝が出土した際に、それまで全くの真空状態で保存されていたため、今のものと同じように生き生きしていたという事で緑色であったものが、1,350年ぶりに空気に触れるや茶色黒に変色してしまった、という事です。

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▼土塁の築造方法

なんていう説明板もありました。

勉強になる観光地でもあるのですね。

先の敷粗朶を基に土塁を築き上げる様子が描かれ、これが現代にものこる高い技術を持った工法であることも記されていました。

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▼水城跡の端(水城駅側)は自動車教習所と接していますが境界も塀もなく、そのまんま教習所の敷地内に入る事ができてしまいます。

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▼という訳で、水城跡の敷地から自動車教習所のコースが丸見えです。

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▼教習所沿いの丘の道を奥に進んで角を曲がれば、すっかり緑の中という感じで、ここが水城駅前という感じは全くありませんでした。

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▼水城の丘の部分です。

この存在がアクセントとなって、このエリアが観光地然とした雰囲気になっていると思います。

観光地といっても、人が絶えず賑わうというよりは、たまに人が立ち寄るかどうかぐらいな感じの場所でしたが…。

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▼最後の写真、水城跡の道路隔てて向かいは線路な訳ですが、なかなか良い写真が撮れました。九州なだけに色んな素晴らしい電車が通っているのもありますね。

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JR水城駅 (福岡県大野城市)

福岡県大野城市JR水城(みずき)です。

JR水城駅
・路線 JR鹿児島本(門司港-八代間)
・開業 1913(大正2)年9月21日
・訪問 2021(令和3)年1月
・1日あたり平均乗車人員 2,095/日 (2019年)
・近隣の都市駅 (門司港方面) 大野城駅⇒隣駅
        (八代方面) 二日市駅⇒2駅  

・鉄道での所要時間 東京駅から: 5
時間40
            大阪駅から:3 時間22分
          ※AM9:00発での最短時間

 ▼今年2021年に初訪問した最初の駅です。

大野城市では、この隣にあるJR大野城駅を訪ねた事がありますが、そこではこれといったものが見つけられず、大野城市の旅としてお伝えするに値しなかったので、具体的に見どころのあるこの駅にやってきたという訳です。

この駅には、その真ん前に見るものがあり、実にお手軽に観光?できてしまったわけですが、その内容については次記事でお伝えしたいと思います。

1913(大正2)年、第一次世界大戦の始まる前年に開業しています。

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 ▼名所案内ですが、この時行ったのはいちばん上の「水城跡」です。駅からすぐの線路沿いにあるので、まったくもってお手軽に観光できます。

太宰府跡に大野城跡…歴史資源の多い辺りでもあります。

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▼吊り下げ式の駅名標周辺です。

屋根のあるエリアがそれなりにありましたが、つぎはぎな感じで、後から付け足してるっぽかったです。

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▼ホームは2面2線で、両ホームはこの跨線橋で繋がっています。

跨線橋は外側面が辛子色という感じのカラフルなものでした。屋根は緑色で、どこかしら湘南カラーっぽいものがありました。

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跨線橋内の階段と橋の部分です。

内壁はきれいな真っ白で清潔感が強かった印象があります。

階段部分は手すりがついていて、橋の部分は端の部分以外手すりなしでした。

橋の部分は広告ポスターが一定の距離を置いて貼られており、吹き抜けではない形で上部に窓がありました。天井部分は三角状ですが、ここだけ白ではなくてコンクリート色でした。(床も白ではないですね)

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跨線橋に貼られてあったポスターのひとつですが、JR九州の「みんなの九州ブロジェクト」としてHKT48の起用されたものでした。この3/31までが期間中との事で。

基本的に九州各県の出身メンバーが選ばれていますが、鹿児島県のみ現在該当者がいない為か福岡出身のメンバーが務めているようです。

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跨線橋からホーム周辺を眺めた様子です。

ホーム屋根のつぎはぎ具合がよくわかるし、色も分かり易く違っていました。

左側向こうの雑木林的なエリアが観光スポットの一つ「水城跡」です。

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▼駅を出たところです。

出口はここ1ヶ所のみで、右を向けば左向こうに水城跡が見えます。

駅からまっすぐに伸びている道路が自動車学校沿いにありますが、線路と平行に走っている駅前道路となると、この部分になります。あんまり駅前感がなかったというのが感想でした。

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▼水城駅の駅舎です。

少し高くなっていて、階段を降りる形で出ていく事となりす。

階段を上がったところのひさしが柱と風除けが取り付けられていて、野晒し感の薄い?ちょっとしたお金のかかってる感のある駅舎と感じました。

次記事では、1ヶ所しか行ってませんが、大野城の旅を綴ります。

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茨城/取手② 旧・取手宿本陣をゆく

茨城県取手市茨城/取手① 長禅寺・八坂神社 数多の大黒天  につつぐ取手市の旅です。(2016年4月当時)

 

▼第二弾は「旧・取手宿本陣」が中心です。

取手宿は、東京足立区の千住宿を起点とする「水戸街道」の5番目の宿場町であり、宿場町として認定されたのは少し後になりますが、利根川舟運の拠点地であったこともあり、賑わったといいます。

そしてこの本陣跡は当時の染野家住宅で、染野家は取手の名主として継がれていきましたが、現在ここは週末に公開されています。このように「公開中」と分かり易く表示されて。

という訳で早速中へ入ってみます。

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▼染野家住宅へ。

茅葺の荘厳な屋根でどっしりとした重厚な雰囲気でした。

ちなみに現在の公開状況はコチラにありました。

www.city.toride.ibaraki.jp

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▼建屋の向かって右端から入っていくと、展示スペースになっていました。

江戸時代の建造物で、江戸時代の宿場だったので、江戸の歴史にスポットを当てたものかと思いきや「装身具の魅力」と、古代のものをテーマとした展示もなされていました。(ここでのものではありませんが)

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▼古地図や古写真による取手の街の様子が展示されていました。

隣の藤代宿周辺の様子も載っていました。

取手の街並みは明治末期から大正になりゆく当時のものが載せられていました。

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▼本陣にまつわる資料

として主なものが紹介されていました。

右上は徳川斉昭書歌」で、水戸へ帰還途中の斉昭が利根川の渡船上で詠んだものとされ、そのうちの1首は石に刻まれてこの染野家に運ばれて、裏庭にあるといいます。

左側も斉昭の書歌です。

ちなみに斉昭は水戸藩主として幕末の有名人の一人ですが、つまりは水戸黄門で知られる徳川光圀ち同じ水戸藩主経験者であり、もっというと水戸黄門の子孫です。

そして右下は「郵便保護銃」で、現金輸送時の護身用の銃だそうです。

フランス製で1872(明治5)年に登録されたとあり、ここではなく取手市埋蔵文化財センターに展示されている、と紙で上から貼られていました。

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▼屋根は外から見たら整然とした茅葺だった訳ですが、内側から見るとこんなにクネクネとしたもので、そのギャップが面白かったです。

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▼畳の上の様子です。

さすがは年季の入った旧家、そんな雰囲気が出ていました。

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▼旧取手宿本陣を出て、取手駅へ戻る道中に壁アートがありました。

鮮やかな色で描かれてインパクトがありました。

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取手駅へ戻ってきました。

駅記事では西口で下からのカットがほとんどなかったのですが、下からペデストリアンデッキを見上げたらこんな感じでした。

という事で、2回にわたってお届けしてきました取手市の旅、完了です。

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茨城/取手① 長禅寺・八坂神社 数多の大黒天

茨城県取手市JR取手駅からの歩き旅です。

(2016年4月当時)

▼まず最初は取手駅東口の駅前通りの風景です。

都会の駅前という感じで高層ビルが立ち並んでいました。

東京駅から約50分という都心からの近さで、やはり都会感がありました。

この向こうを10分ほど歩いて行くと取手二高」があります。取手二高は甲子園全国制覇しましたが、当時の木内監督が常総学院に転任して以降は一度も甲子園に出場していません。80年代の西武黄金時代を築いた「松沼兄弟」は揃ってこの取手二高の出身です。

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 ▼駅周辺の地図です。

駅の東は取手〇丁目で、取手二高もですが、取手一高もこのエリアにあります。

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▼「下水道の日」普及促進展'15ということで、小学生の手による作品が出品されマンホールにつけられていました。

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▼「どぜう」入りました。

「どぜう」有ります。

と、どじょう料理店でしょうか?

どぜう、は文字的にインパクトありました。

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長禅寺という臨済宗のお寺がありました。

平将門の創建といわれているお寺ですが、この時は「百観音大祭」というイベントを控えていた状況でした。

桜も咲いていて風情はバッチリでした。

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▼長禅寺、階段を上がった先に山門があります。

山門は19世紀初頭の建立といわれる歴史ある建物です。

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▼本堂と、その前に広がる素晴らしい池のある庭園です。

この庭園スペースがなかなか贅沢なスペース取りがなされているなと感じました。

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▼長禅寺本堂のアップです。

屋根下の木々が縦に並んでいる部分の縁が白くなっているのが建物のアクセントになっているように感じました。

屋根の反り具合が絶妙な感じで、荘厳で見応えある建物と感じました。

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▼本堂の中央部分を更にアップ。

「取手大師」なる文字の提灯が吊られていました。

そしてサイドには七福神の一部が置かれていました。

向かって右に小槌を持った大黒天がいましたが、周りに大量のミニ大黒天らしきものと、いくつかのミニ宝船に乗った七福神が散りばめられていて、これがかわいらしかったです。向かって左側にある坊さんのようなのは七福神ではありません(笑)

柱には利根川七福神と記されていましたが、そこから検索すると↓このようなものがありました。

大黒天の隣にある大きな植木鉢みたいなのは「天水桶」という防火水槽で、江戸時代の防火用水として、雨水(=天水)を溜めることでその役目を果たしていたものです。

rokumeibunko.com

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 ▼桃の花?がきれいに咲き誇っていました。

桜も咲いていたし、実に良い時期に来られたものです。

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▼お寺を出て、山門から降りたところです。

これが立派な山門でした。すごく頭でっかちな感じでしたが。

19世紀初頭の築という事は、200年の歴史があるという事ですね。

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▼長禅寺を出て、街歩きに戻りました。

いかにもという老舗が軒を並べていました。

左・新六本店

 1867(明治元)年創業で、150年以上の歴史をもつ奈良漬の老舗です。奈良漬の商売をするようになったのは明治からですが、江戸時代の寛政期から酒造業、19世紀に入り文政期には廻船問屋と手広く商いをしていた名家のようです。明治の創業時の主人が田中新六という人物で、その名前が現在も継承されているのですね。

www.shinroku.co.jp

右・田中酒造店

 こちらは新六本店より更に長い歴史があり、1655年に酒づくりか始まったとされ、明治期に明治天皇が牛久に御幸された際に下賜されたのが現在のブランドである「君萬代」のお酒であったといいます。

www.kimibandai.sake-ten.jp

いずれ劣らぬ長い歴史をもつ老舗が競演するかのように軒を並べているのが、取手の歴史をそのまま感じさせられるようでした。

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仲町というバス停がありました。

大利根交通という会社と取手市コミュニティバスの標識が並び立っていました。

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▼さてお次は「八坂神社」です。

「取手 総鎮守」と冠された立派そうな神社で、いろんな幟が立っていました。

toride-yasaka.or.jp

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▼八坂神社には、こんな狛犬?がいました。

岩場を上り詰めたような狛犬…なんか不思議な光景でした。

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▼という訳で八坂神社の鳥居をくぐって入っていきます。

江戸初期・寛永年間の1626年の創建とされ、もうすぐ400周年を迎えようとしている、これまた歴史のある所です。

8/1~3日間行われる例大祭で担がれる神輿の重量は関東一とも記されていました。

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▼八坂神社の授与品です。

実にたくさんのものが販売されていました。販売という言い方が違うのかな(笑)

安産、交通安全、厄除け、合格、病気平癒等実にいろいろなお守りがありましたが、キティ守りもありました。

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▼拝殿(本殿含め)は市指定文化財で、1903(明治36)年再建で100年以上の歴史をもっています。長禅寺の本堂のような絶妙な屋根縁の反り具合でした。

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▼御神木の大銀杏です。

樹齢300年を越えるとされ、子育て安産の木としてあがめられているとありました。

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▼絵馬が沢山飾られ、おみくじも多数結ばれていました。

沢山の人の沢山の思いがここに凝集しているのでした。

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▼咲くみくじ、というのがありました。

おみくじがお花とすると、木の枝につけていくようなものですね。

上の絵馬とおなじく、それぞれの人の思いがここに乗せられているのですね。

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こんな感じで16年越しの取手の旅、第一弾は主に神社仏閣に歴史を感じた旅でした。

JR取手駅 (再) (茨城県取手市)

茨城県取手市JR取手駅です。

取手駅については2000(平成12)年に初訪問時の姿をupしたことがありますが、

駅舎写真1枚だけの記事でしたので、2016(平成28)年再訪時の姿を載せたいと思います。初回記事は↓コチラ↓

lefthand.cocolog-nifty.com

 

▼前回記事でホームの写真を一切撮っていなかった(当時そういう発想自体がなかった)ので、16年ぶりの再訪でようやくホームの写真を撮る機会を得たわけです。

この時が2016年で、初訪問が2000年で16年ぶりとなる訳ですが、その16年前の1984(昭和59)年には取手二高が夏の甲子園で全国優勝しているのですよね。

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常磐線快速のダイヤです。

やはり本数がそれなりにあるなと感じますが、昼間はやはり減ってくるのですね。

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▼ホームは3面6線という広いものとなっています。

そのうちここは3・4番線で、常磐線快速の列車が停車しており、東京都心や柏・松戸などへ向かう列車が出ています。

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▼ホーム上の標識です。

西口と東口はホーム上から別方向となっています。

1・2番線は常磐線普通列車で、千葉県の安孫子・新松戸や都心の代々木などへの方へ出る分で、7・8番線は常総線と表示されていますが、これはJRではなく「関東鉄道」の常総線で、6番線までがJR、7・8番線は関東鉄道のテリトリーです。

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▼東口の駅前広場です。

多数のタクシーが各箇所で止まっていました。

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取手駅東口の駅舎です。

初訪問の際にこちら側を訪ねておらず、写真にも残せなかったので、16年越しにようやく捉えたこちら側の姿となりました。

新幹線駅っぽい感じの駅舎でした。群馬の前橋駅に似た雰囲気でしょうか。

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▼西口へ転じて、駅前の様子です。

こちら側はペデストリアンデッキのついた、やはり関東の都市駅に多く見られる構造でした。茨城だと土浦駅もこのような感じですね。

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▼西口のペデストリアンデッキの一角の様子です。

ここではパチンコのKICONAか見えましたが、都市の駅前らしく色んな施設の大きなビルが並び立っていました。

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▼駅西口2Fから通路で直結している複合商業施設「リボンとりで」がありました。

2000年に初訪問した際もこの通路から商業施設へ直結していましたが、その当時は「取手とうきゅう」でした。個人的には生まれて初めて見た「東急」だったように思います。この当時だと関東の都市はそれほど数寄ってなかったのもあり。

そのとうきゅうは2010(平成22)年8月31日をもって閉店し、1985(昭和60)年のオープンから25年の営業に終止符を打つ事となりました。

その2年後の2012(平成24)年になって、かつて1986(昭和61)年に一度撤退していた西友が再び進出し1F部分を店舗とし、他の階を専門店街とする形で「リボンとりで」という形で再度オープンしました。この写真もその「リボンとりで」になってかからのものです。解体せず、東急時代からの建屋を流用する形で現在に至ります。

当時から建屋が変わってなかったので、東急健在かと思っていたら、左後ろに「SEIYU」が見えて、西友だったっけ?と思わされました。帰って色々調べたら上記の事だった訳ですね。

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▼最後の取手駅西口の駅舎です。

2000年に初めて見て以来16年ぶりに見たわけですが、全然変わってませんでした。

次の記事は、取手市の街の様子をお伝えします。

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JR野里駅・京口駅 (兵庫県姫路市)

兵庫県姫路市JR野里(のざと)京口(きょうぐち)です。

まずは野里駅から。

JR野里駅
・路線 JR播但(姫路-和田山間)
・開業 1894(明治27)年7月26日
・訪問 初訪問-2006(平成18)年7月
・1日あたり平均乗車人員 1,851/日 (2016年)
・近隣の都市駅 (姫路方面) 姫路駅⇒2駅
        (和田山方面) 福崎駅⇒5駅  

・鉄道での所要時間 東京駅から: 3
時間56
            大阪駅から:1 時間24分
          ※AM9:00発での最短時間

 ▼この駅に初めて来たのは2006(平成18)年の事で、当時の写真もありますが、ここでは主に2021(令和3)年1月、つまりごく最近の写真をお届けします。

という訳で、まずは駅名標です。

JR姫路駅から北へ分岐する「播但線」の駅で、姫路から2駅、約4.3kmの地点にあります。播但線でもまだこの辺りは、姫路市の中心の雰囲気が感じられる街の雰囲気で、この辺りは高層マンションが多く建っているエリアです。

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 ▼ホームは1面2線のみの高架駅となっています。

姫路方面の隣駅である京口駅も同様の構造です。

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▼エレベータもありました。

播但線ワンマン運転ですが、ワンマンでエレベータがあるってなかなかのものだな、と感じました。

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 ▼もちろん階段もあります。

高架ホームからこれで下りていって改札に至ります。

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▼これは2006(平成18)年初訪問時のカットですが、基本変わっておらず、ホームから階段を降りた踊り場の様子です。結構贅沢にスペースがとられていて、ベンチも置いてありました。

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▼駅にトイレもありました。

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▼この写真は2013(平成25)年当時のものですが、ホームの階段を降りた踊り場から更に何故か二股に分かれて階段が下りていて、改札に至る構造になっていました。

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▼駅前広場です。

これは2006年当時ですが、ここも大きくは変わっておらず、今もほぼこの風景です。

隣の京口駅も駅構造といい、駅前広場の様子といい、よく似たものです。

駅前のバス停は姫路駅へ向かい、電車が待てない時はバスに乗って姫路駅へ移動することもできます。(少々時間はかかりますが)

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野里駅の駅舎です。

高架の下に平屋根の小さな駅舎がある状態です。

高架と平行な常時開いている出口と、高架と垂直なドアのある出口の2方向の出口があります。そんなこともあってか、いろんな方向に「野里駅」の表示がなされています。

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▼高架と平行な出口のアップです。

これをまっすぐ進んでいくと、改札に至ります。

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つづいて、京口駅です。

JR京口駅
・路線 JR播但(姫路-和田山間)
・開業 1898(明治31)年2月18日
・訪問 初訪問-2006(平成18)年7月
・1日あたり平均乗車人員 1,034/日 (2016年)
・近隣の都市駅 (姫路方面) 姫路駅⇒隣駅
        (和田山方面) 福崎駅⇒6駅  

・鉄道での所要時間 東京駅から: 3
時間39
            大阪駅から:1 時間6分
          ※AM9:00発での最短時間

▼この駅では駅名標やホーム上での写真を撮り忘れていて、いきなりこんな写真から始まりますが、野里駅とおんなじ高架駅です。

野里駅より4年遅れて開業していますが、姫路駅から1.7kmの距離にあり、姫路駅前ほどの中心街的な感じはないものの、その雰囲気がまだ感じられるというか、少し歩けば姫路駅前、というところではあります。

この駅も野里駅同様2006年初訪問で、この記事での当駅の写真も全てその当時のものですが、高架ホームから階段を降りて、このような広い踊り場があり、そこからまた階段を降りて改札に至る構造は野里駅とおんなじです。

野里駅と違うのは、野里駅はホームから階段を降りて踊り場を経由しますが、そこから降りる階段も同じ向きになっているのに対して、この駅は踊り場から上と下の階段が逆向きで、上の階段から逆に折れる形で下の階段を降りていく格好となっている点です。

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▼階段を降りて改札へと至るところです。

出札と鉄枠の改札がありました。

野里駅と違って、こちらは無人駅です。姫路駅の隣なのにこの雰囲気は、姫路駅からガラッと変わってしまいます。利用者数的には野里駅のほぼ6割であり、姫路駅に近いが故に逆に利用者が少ないのかもしれません。

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▼駅前広場のロータリーです。

やはり野里駅と似た構造でした。

 

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京口駅の駅舎です。

一見すると野里駅と見まがうような、実にそっくりな構造です。15年近く経った今もほぼこのままです。

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▼駅舎の各方向2ヶ所出口の周辺です。

やはり野里駅とおんなじ構造で、2ヶ所出口をもち、いろんなところに駅名表示がなされています。自販機が野里駅が両サイドにあるのに対して、京口駅は2台固まっているだけという感じで。

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という訳で今回は、姫路市播但線駅で姫路駅の隣から2駅の御紹介でした。

山陽電車/亀山駅・手柄駅 (兵庫県姫路市)

兵庫県姫路市山陽電車亀山駅手柄駅です。

姫路市山陽電車駅シリーズ、今回は姫路駅とキー駅である飾磨駅の間にあるこの2駅の御紹介です。

まずは亀山駅から。

山陽電車/亀山
・路線 山陽電車本線(西代-山陽姫路間)
・開業 1923(大正12)年8月19日
・訪問 初訪問-1996(平成8)年7月
・1日あたり平均乗車人員 1,210/日 (2017年)
・近隣の都市駅 (西代方面) 飾磨⇒隣駅
        (山陽姫路方面) 山陽姫路駅⇒2

・鉄道での所要時間 東京駅から: 3時間49

            大阪駅から:1 時間5分
          ※AM9:00発での最短時間

▼ここに初めて来たのは1996(平成8)年の事でしたが、記事の写真は2007(平成19)年1月当時のものです。

1923(大正12)年に飾磨駅と同じ日に開業していますが、当初の駅名は「亀山御坊駅というものでした。

駅近くに「亀山本徳寺」という立派なお寺がありますが、これがかつて「亀山御坊」と呼ばれていたことに起因するようです。

その後、1944(昭和19)年に「電鉄亀山」駅と改称され、開業20年余りで「御坊」の名が外れる事となりました。長らくこの名前で定着していましたが、1991(平成3)年に「電鉄」を冠する全駅名の整理が入り、当駅も単体で「亀山」駅となりました。この時点で三重県亀山市のJRの中心駅と同名になった訳ですが、駅の歴史としては三重県亀山駅の方が断然古いです。

この当時の改称はかつて国鉄播但線にあった、この近くの亀山駅が廃駅になったことが直の要因です。

山陽電車の拠点駅である飾磨駅から1.4km姫路寄りにあり、そこそこの賑わいがある所ではありますが、駅利用者数で見ると山陽電車全49駅中33位と、全体の2/3程度の順位に位置している状況です。

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▼ホームは2面2線で、互いのホームは地下道で繋がる構造です。

地下へつながる階段の屋根部分が、分かり易く斜めになっていました。

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▼ホーム間をつなぐ地下道の階段周辺です。

ここにもベンチがあり、ベンチは割に多めかもしれません。

階段は外装はナチュラルなコンクリート色でしたが、内装は白くきれいにペイントされたものでした。

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▼ホームから改札へ向かうところです。

ホーム同士は地下道で繋がりますが、これはホーム同士を繋ぐためだけの役割を果たすもので、そこに改札があるものではありません。

ホームの階層と近い(数段の階段を降りた)所に改札がある形です。

改札はこちら側のみで、出口も1ヶ所です。

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▼ホームのすぐ横に踏切がありますが、狭い道路です。

駅前も含め、周辺の道路が結構狭い印象がありました。

踏切傍に渋すぎる木造の建物があり、目を惹きました。

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亀山駅の駅舎です。

駅前広場、と呼べるレベルではなく、ただの通路に駅が置かれている感じです。

1969(昭和44)年築の駅舎が50年以上この形で存在していますが、改札を出るとすぐ出口で滞留スペースもありません。

左側は駅執務室と思われますが今は無人駅で、往時は2階まで事務室として使われていたのかな?と想像させるものが今も遺っていました。ただ、この左側のコンクリート職丸出しの建屋は現在ではきれいに外装がなされています。

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つづいては、手柄駅です。

山陽電車/手柄
・路線 山陽電車本線(西代-山陽姫路間)
・開業 1958(昭和33)年8月1日
・訪問 初訪問-2007(平成19)年1月
・1日あたり平均乗車人員 987/日 (2017年)
・近隣の都市駅 (西代方面) 飾磨⇒2駅
        (山陽姫路方面) 山陽姫路駅⇒隣

・鉄道での所要時間 東京駅から: 3時間47

            大阪駅から:1 時間3分
          ※AM9:00発での最短時間

▼ここに初めて来たのは2007(平成19)年の事で、写真はその当時のものをお届けします。これもまた亀山駅の写真と同日のものです。

1958(昭和33)年開業という、割に後発の駅です。

1923(大正12)年、飾磨駅亀山駅と同時に一度開業していますが、ここから400mほど離れた場所で、また1945(昭和20)年にいったん廃止されています。

その後、姫路駅の隣は亀山駅でしたが、13年後の1958年に再開業の形でできた駅です。

姫路駅の隣にありますが、利用者数はあまり多くなく、姫路駅と反対側の隣にある亀山駅よりも少なく、山陽電車全49駅で見ても42、3位といったところです。

 

「手柄」という素晴らしい名前ですが、元々は近くの神が手で草を刈ったから「手刈」という説があるようです。この辺りは「手柄山」という低い山があり、手柄山遊園という昭和の典型的な遊園地で賑わい姫路モノレールというモノレールまで走るほどの場所でしたが、時代の進化と共にモノレール廃止に始まり、遊園地の客数減少、などを受け、往時の姿を見る影もなくなってしまい、ついに2020年9月をもって手柄山遊園は閉園となってしまいました。また同時に「市民プール」として親しまれた姫路市民プールも終了となってしまいました。

遊園のみならず、陸上競技場や武道館、図書館など様々な施設が集中したエリアでもありましたが、色々なものが閉園閉業に追い込まれるイメージが個人的には強いエリアです。

ホームに沿うように「姫路市中央卸売市場」があり、これは1957(昭和32)年に全国で15番目の中央卸売市場として誕生したもので、この翌年に当駅がやや移転して再開業した格好となります。

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▼ホームはやはり2面2線、このアリは大体同じような規模感です。

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▼ホーム間は跨線橋でも地下道でもなく、構内踏切で行き来します。

なので、向こう側のホームに電車が来る時には遮断棒が下りて通れなくなってしまい、目の前で電車を見逃す事になってしまいます。

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▼駅横の踏切周辺です。

卸売市場もあれば、やはり水産系のニッスイもデンと居を構えていました。

この道が実質的な駅前通りという事になるでしょうか、普通に幹線道ですが。

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手柄駅の駅舎です。

駅前広場は、踏切前の幹線道から脇にそれる感じでスペースが設けられていて、亀山駅よりはまだスペースがある感じでした。

改札周辺は駅舎というより、屋根がついただけのゲートの下という感じで、滞留できるスペースはほとんどなく、ただ自販機コーナーがあって、その辺りだけはわずかに滞留できるかな、という感じでした。

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