続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

福岡/飯塚① 新飯塚~曩祖八幡宮

福岡県飯塚市JR新飯塚駅からの歩き旅です。

(2011年3月当時)

▼まずは新飯塚駅通りという交差点にて、新飯塚駅前の歩道アーケードのついた商店街がありました。

ちなみにここは「新」飯塚駅前ですが、JR飯塚駅との関係性は、飯塚駅は旧市街の中心地であったのに対して、1964(昭和39)年に飯塚市役所がここ新飯塚駅近くへ移転してきてから、この新飯塚の方が中心地として栄えるようになり、駅利用者数でも飯塚駅より4倍ほど多い形となっています。

また両駅は隣駅同士で、新飯塚駅の南側約2kmの地点に飯塚駅があります。

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▼商店街の「百縁市」というイベントの看板が出ていました。

このイベントは昨年末も行わていたようで、今もずっと続いているようですが、2019年のおなじ12月に「第51回」が行われたので、2020年は3度開催されている格好です。コロナに負けず、というところでしょうか。

写真は2011(平成23)年当時ですが、この頃は「偶数月の15日」に開催されていたようで、最近よりも頻度が高かったようです。

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飯塚市のマンホールです。

カラー版と両方見つけられました。

市の花であるコスモスが散りばめられたものでした。

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飯塚市役所です。

これがこの近くにできた為に、それまで飯塚駅周辺が市の中心であったのが、その座を新飯塚に取って代わられたようです。

といっても、この写真の市役所は旧・市役所となってしまい、下のように2017(平成29)年に新庁舎が北隣に完成し、同年5月より供用開始となっています。

これに伴って、この写真の市役所は解体され、今はもう見る事ができなくなっており、貴重な旧市役所の記録が残せた、事になります。

mainichi.jp

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新飯塚です。

市役所を横目に西へ進んで、川と交差する地点で、欄干の端は渋い石造りで、黒ずみに時の流れを感じました。

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新飯塚橋から眺めた川の様子です。

流れる川は遠賀川(おんががわ)です。

橋の真ん中に陸地があり、ここでは川に挟まれた狭い陸地になっていますが、南へ進むにつれて純然たる陸地になっていきます。

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新飯塚橋を渡り切った辺りです。

国道201号線上にありますが、直進で福岡へ、交差する道路で北九州または飯塚市外へと至り、この先が国道同士の交差点となります。

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▼ちょっと路地裏に入ってみて、中村印刷所という所へ。

この建物が渋すぎて惹かれました。

木枠の窓は歪みが出ていて、全体的にのっぺりとした平面的な外観、二階部分の窓と下半分の格子状の部分…と、建物としてなかなか見どころ満載では??という感じでした。この10年前当時でも、使われなくなって久しい建物のようで、いつまで操業していたのか気にかかるというものです。

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曩祖(のうそ)八幡宮という神社に行き着きました。

厄除祈願の幟が並んでいて、階段を上って行き着きますが、神功皇后などが祀られた神社です。創建年代は不明ですが、1359年には社殿が造られた、とありました。

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八幡宮の建物エリアへ上ってきたら、このような馬がお出迎えしてきました。

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▼境内にあった「庖丁塚」です。

当時の福岡県知事による書がなされていますが、亀井光氏という人物で、1967(昭和42)年-1983(昭和58)年の4期16年を知事として務めた人物です。

「神祭る 庖丁塚に 菊かほる」なる句が下に記されていました。

庖丁を大事にしようという心がこの神社には示されているのですね。

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▼つづいて「筆塚」もありました。

筆塚は筆書道の師や文筆家などが死んだときに供養塔としてつくられるものと思いますが、ここにある筆塚の筆はエンピツに近い印象すらありました。

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▼拝殿周辺の様子です。

真ん前の塔がてっぺんで繋げられていて、片側は角のように曲線で尖って伸びていました。拝殿前は両サイドにしっかり酒樽が積まれていました。

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狛犬は鞠を踏んづけているタイプのものでしたが、手のひらで踏んづけているのはよく見ますが、ここでは両前足の手首?から肘関節まで使って、鞠に寄っかかるようにして踏んづけていて、結構珍しいのではないか?と思いました。

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▼これも境内にありましたが、渋すぎる木造建築でした。

ひっそりと「最優秀作品展示場」なる表示がありました。

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熊本/八代 ユニーク看板群

熊本県八代市JR八代駅からの歩き旅です。

(2009年7月当時)

▼駅前の八代観光マップです。

歌手の八代(やしろ)亜紀さんはここ八代市の出身ですが、市名は「やつしろ」です。

また当駅・八代駅と、新幹線の停車する「新」八代駅とは少し距離があり、隣駅としての関係性ですが約3km離れています。

観光地へのバスアクセスとして載っていますが、これらの便の頻度が気になるところです。たとえば「八代港」行きのバスは1~2時間に1本のペースなので、時刻表確認は必須です。

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八代駅前通りです。

2009(平成21)年と、もう10年以上前の姿ながら、広い道路にビルが点在していますが、あんまり駅前感がないなという印象でした。

左手前の隠れている建物は球磨川旅館」という今も営業している旅館です。

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▼上の写真とは一つ違う筋の駅前の通りです。

上の写真が表とするなら、こちらは裏という感じが満載ですが、昔ながらの人家兼商店という感じの建物が立ち並んでいて、地図で検索しても名前が表示されないお店が多かったです。

左手前の「さつまや」という寿司屋さんは2011(平成23)年頃に移転した、との書き込みが見られました。

いかにも昭和な建物が並び、平和を感じるばかりでした。

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▼上の写真の通りから、少しだけ向こうへ進んだ地点です。

更に昭和感が色濃く出ていました。

文具店の看板は特に素晴らしい昭和感?で、店名は消されていたので、当時からもう営業はしていなかったかもしれませんが、「よくぞこの看板を残してくれた」と思い見入っていました。「くれたけ」「ぺんてるの文字が懐かしすぎました。

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 ▼2枚上の写真でも見えていますが、そこからさ更に向こうへ進んだ地点です。

特にこれといったものもない…と見えがちですが、左手前の「永吉」が目に入り思わず撮ったカットです。

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八代市のマンホールですが、カラー版も併せて見つけられました。

柑橘系のものがデカデカと描かれていて、何かと調べてみたら晩白柚(ばんぺいゆ)という、八代特産の世界最大級の柑橘類だそうです。重さは最大5kgにもなるという事で「お米やん」と思ってしまいました(笑)

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▼カチカチ堂という名前に惹かれて撮ったものです。

名前がユニークというか、何せ惹かれる所が多かった、全体的にそんな印象でした。

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▼こちらはドライクリーニング「ママ」という、これまた看板に惹かれて撮ったものです。横看板の「毛物 和服 専門店」とある字体がまた昭和チックでした。

ここまでが風景写真ですが、八代ならではというご当地感のあるものはマンホールぐらいで、後は看板に惹かれて撮った写真ばっかりになっていました。それくらい看板群がユニークでした。

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▼最後はこの駅で買った「デコポンゼリー」です。

これは「熊本」とあり八代に限ったものではありませんが、ここで買ったものとして載せました。

当時はまだカメラで食べ物を取るのが難しく?近くのピントがなかなか合わずにかなりボケていますが、少しでもおいしさが伝われば、と思います。

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奈良/橿原 日本のスタート・橿原神宮

奈良県橿原市近鉄橿原神宮前駅からの歩き旅です。

(2007年1月当時)

 ▼橿原神宮前駅から橿原神宮への短い道のりにある駅前通りです。

 橿原オークホテルというのが左側に見えますが、14年経った今も存在しています。

 

橿原市においては大和八木と、この橿原神宮前が中心地を二分しているような勝手な印象をもっていますが、この辺りはホテルが複数あり、ある程度の賑わいのあるエリアです。

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▼上の写真から少しだけ進んだところです。

左手前の寿司屋さんはもうないようですが、その向こうの食堂などはまだ残っているようです。

橿原神宮までの短い道のりでしたが、商店の続く通りでした。

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▼駅から徒歩10分もしないうちに橿原神宮へたどり着きます。

 日本の初代天皇である神武天皇を祀っています。この辺りで即位の礼を行い、日本の天皇誕生の瞬間でもあり、日本建国の礎を築かれた、とあります。「日本がここから始まった」という訳です。

 

橿原市といえば今井町の古い街並み」が観光の目玉としてありますが、これと双璧をなすのがこの橿原神宮かと個人的には思っています。

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 ▼橿原神宮の大鳥居です。

すごく大きくて実に存在感がありました。

朱塗りでも金ピカでもない、その大きさの割に地味な印象の鳥居ですが、素木(しらき)造りという、色を塗らずに木の地肌・風合いをそのまま活かした形で建てられています。このタイプは天皇または皇室ゆかりのお社である事を示しているといわれ、橿原神宮には計4基の鳥居があるといいますが、それらすべて素木造りです。

そして4基の鳥居は時期を少しずつずらしながら、2019年までには順次ひと通り改修していったといいます。

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 ▼橿原神宮の出入口周辺で、ここは南神門(みなみしんもん)と呼ばれるもんです。

日本の始まりを体感する空間のスタートです。

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社務所の周辺です。

厳かな建物が並ぶ中で自販機があると、ちょっと浮くな…という感じがどうしてもしてしまいます。

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▼外拝殿(「げはいてん」と読みます)です。

いわゆる拝殿ですね。ここでお祈りします。

建物は入り母屋造りというものですが、この屋根には「争うことなく、ひとつ屋根の下で肩を寄せ合って暮らせる世界を」という思いが込められているそうです。

神武天皇という初代天皇を祀っているという事もあり、近代日本建築の粋を結集して造られている、ともありました。

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▼境内の色んな建物と共に。

もう14年前の様子となりますが、人で賑わっていました。

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橿原神宮の特徴的なひとつとして、この大絵馬の存在があります。

幅5.4㍍、高さ4.5㍍あり、現在の天皇陛下が誕生された1960(昭和35)年から近鉄が奉納する形でつくられ始めて、今では60回以上を数えていす。

この写真の絵馬は2007(平成19)年当時のもので、この年は亥年であったので、イノシシが描かれていました。すごくシンプルですね。

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▼またまた橿原神宮独特の、という感じで存在するのがこの「深田池」です。

ここは橿原神宮の境内では「最も古い場所」とされています。

水鳥でいっぱいだったのがたいへん印象的でしたが、奈良県内でも有数の野鳥の飛来地だそうで、こんな風に活発に泳いでいるとついつい撮りたくなるというものです。

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▼入った時の南神門に対して、こちらは北神門です。

木造の重厚の柱が印象的で、鳥居もそうでしたが、木の風合いを生かした「素っ気なさ」のようなものを感じました。これも神武天皇を祀っている事の現れでしょうか。

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ということでほぼ橿原神宮の記事でしたが、今井町の街並みなど後年訪ねて大変印象的でした。これもまたいつかお届けできれば、と思います。

愛知/半田② ミツカンと黒板張りの街

愛知県半田市 愛知/半田① 酒と運河のまち につづく、半田市の旅第二弾です。

(2011年2月当時)

▼酒の文化館を離れて、次に来たのはこの「業葉(なりは)神社」です。

古来より「八幡宮」と尊称されていた神社といいますが、そこそこ風格を感じる神社でした。

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▼業葉神社内のお稲荷さんと思われる、朱塗り鳥居が続くものがあり、左側の説明板には「斐芽の祠(ひめのほこら)」とありました。

昔大相撲の巡業でここへ来ていた関取が、子供たちが健康に育つようにと持ってきたといわれる大きな石があるといいます。ビリケンさんの子安バージョンともいうべき、撫でて子供の健康祈願をしようというもののようです。中までは見ませんでしたが…

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▼業葉神社を出て、再び運河へ。

半田の美しい風景、の象徴的なエリアかと思います。

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▼その運河に架かる橋のひとつである「げんべえばし(源兵衛橋)」です。

ここは江戸時代、人家の少ないところで橋もなく、付近の人たちが難儀していた中、船大工をしていた源兵衛さんという人が船の廃材を使って橋をつくった事により、誰彼となく「源兵衛橋」と呼ぶようになった、といわれています。

それが今では、素晴らしいきれいな橋になって、交通に貢献しているのは勿論、半田運河の景色を引き立たせる存在になっている訳ですね。

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▼橋を渡った道路沿いにミツカンの本社がありました。

半田市に本社を置く企業、としてはおそらくこのミツカンが最も有名と思われ、半田の企業として象徴的な存在といえるかと思います。

ビルを見ても分かりますが、表記はMizkanとなっています。これは元々英文社名がMitsukanであったものを、2004(平成16)年に現在のMizkanにしたという事です。マツダがMAZDAと表記しているようなものですね。「z」にしたのは、短くして覚えやすく、また革新的にしたかった、という事でした。

そしてミツカンといえば、独特の「≡」の下に「〇」のマークが有名ですが、三本線は

中埜家の家紋であると共に、酢の命である「味」「利き」「香り」を表しているそうで、また〇は「天下一円」との事でした。これらが合わさった「三つ環」こそが、まさに「ミツカン」の語源だったという事です。

半田では酒造りの盛んな事は前回記事でも触れましたが、江戸時代からその酒を造った後に残る酒粕を用いて酢を造っており、米を用いて造る酢よりも安価であった為、江戸庶民に寿司が普及が盛んになったといいます。

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▼半田運河沿いのカットを。

半田市に来たら、是非とも見て頂きたいと個人的なおススメはこの辺りです。

広い運河と共に、ミツカンや中埜酒造などの黒い板張りの建物が立ち並ぶ荘厳さ、かつそれらが水面にぼんやり映える穏やかな風景…これこそが半田観光の醍醐味と感じました。

水面に鳥が止まっていると更に素晴らしい風景になります。

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ミツカンの黒い板張りの醸造蔵が立ち並ぶ辺りです。

上の写真と場所的に同じで、運河沿いの形ではないカットをここに載せました。

知多半島の板張りの建物は黒が実に特徴的で、ここ半田市もそうですし、南知多町でもそうでしたが、とにかくこの圧倒的な黒ずくめの存在感をこの辺りでは感じてほしいところです。

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ようこそ 半田運河・蔵の街へ

として説明板がありました。

これを見てから、運河と蔵の街並みを見た方が良かったかもしれませんが、逆になってしまいました(笑)

明治・大正期の運河の写真も載せられていて、現在との対比もできます。

蔵の街エリアも地図で明記されていて、効率よく観光ができます。

別のマップではモデルコースも設定されていて、これまた効率よく運動もかねて旅できるというものです。

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ミツカングループの中核企業である中埜酢店の入口です。

門にあたる部分に入口を設けているところにセンスを感じました。

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▼これも「中埜酢店」と表示のある入口になりますが、ここは

博物館「酢の里」

というものでした。

1986(昭和61)年に日本初の「酢」の総合博物館としてオープンしましたが、ただしこれは2011年当時のもので、現在は2015(平成27)年にリニューアルオープンした「MIZKAN MUSEAM」となっています。

www.mizkan.co.jp

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▼蔵の街並みを抜けての歩道アーケードのついた昔ながらの商店街に出くわしました。

この旅では、名鉄知多半田駅から歩いてやって来ましたが、JR半田駅へ向かう形となり、来た道を引き返す事はなかったので、その分様々な景色を見る事ができました。

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愛知/半田① 酒と運河のまち

愛知県半田市名鉄/知多半田駅からの歩き旅です。

(2011年2月当時)

知多半田の駅にあった半田市の説明板です。

江戸時代から、海運・醸造・繊維などの産業が盛んであったといい、往時を偲ばせる雰囲気が色濃く残ったエリアもあります。また山車まつりが盛んで、5年に1度は市内31台の山車が集結するという大規模ぶりであるといい、左下の写真にその迫力満点の雰囲気が伝わってきます。

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▼ようこそHANDAへ

という事で、幟が出ていましたが、雛人形と鯉のぼりと、そして大きな山車が載っていました。

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▼当時泊まっていた「名鉄イン 知多半田駅前」です。

もうちょうど10年前の事です。

名鉄インというと、愛知県一円にありそうなイメージを持つかもしれませんが、愛知県内で8ヶ所展開されていて、そのうち6ヶ所が名古屋市内にあり、名古屋志外では刈谷とここだけのようです↓

www.m-inn.com

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知多半田駅前の通りのひとつです。

右手前の大きな建物は「CLACITY」という駅前複合商業施設です。

これを向こうに300mほど進むと、JR半田駅に行き着くので、名鉄駅とJR駅とどっちの駅前がメインか?という明確なものはないと思います。

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▼半田の街歩きを本格的に始めたところです。

クラシティ半田というのは、すぐ上の写真にある大きな複合商業施設です。

レンガ建物に運河に蔵の街に…と近くに観光資源が実に豊富ではありませんか!という事を観光マップを見て感じたので、それに沿って歩き初めたという訳です。

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▼古い商店が続く街角の一角です。

営業している店もしていないと思われる店も混在しているようですが、昭和末期もほぼこの姿だったのでは?と思えるような一角でした。

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▼商店街だったことを思わせる街灯の建っている通りで、商店も民家も混在するような場所で、木造家屋も続いていました。

右手前は理容店だったと思われますが、軒がボロボロになっていました。いつまで営業していたのだろうか?と、つい思いを馳せて?しまいます。

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▼ここもまた渋い通りが続いていきます。

右側は「まるはつ」という表記ですが和菓子舗で、「丸初製菓」というのが正式表記のようで、1893(明治26)年創業の老舗で現在の御主人が4代目だとか。

maruhatsu.jp

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 ▼清酒「國盛」の建屋がデカデカと現れました!

國盛(クニザカリ) 酒の文化館

という中埜酒造の企業博物館があります。

中埜 といえば分かる方には分かるのですが…

中埜酢店というのがミツカングループの中核企業であり、ミツカンの社長も中埜氏が務めている、そんなミツカンと浅からぬ関係のところであり、ミツカンの本社もここ半田市にあります。

こういう事も実際に歩いてみて学ぶことだなとつくづく感じたものでした。

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▼ここは中埜酒造の本社工場入口です。

中埜酒造自体は1844年創業でこれまた歴史ある老舗です。

かつて丸中酒造と名乗っていましたが1990(平成2)年に中埜酒造となっています。

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▼中埜酒造の工場が運河に沿っているのが窺えるかと思います。

長く通っている配管が印象的でした。

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▼これも同じ建物ですが、ガラッと変わってしまっててとても同じ建屋のものとは思えないですね。

愛知県で、知多の方へ行くとこのような黒い和風建築が実に目立っていて、この地方のカラーなのか分かりませんが、大変目を惹きます。

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▼酒の博物館

入口付近です。

200年前の酒蔵をそのまま利用したもの、という事で、この時は中へは入りませんでしたが、試飲もできるそうです。

黒い建物なのに、窓の縁取りは白というコントラストに満ち溢れた建物なのですね。

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ここで一旦、記事を切ります。

次の記事では、更に運河のきれいな景色などもお届けします。

北海道/江別 はまなす温泉という名の遺産

北海道江別市JR江別駅からの歩き旅です。

(2013年4月当時)

▼最初は江別駅の真ん前にあるこのレンガ調の建物、江別市水道庁舎」です。

中のロビーには1981(昭和56)年の建設工事の際に出土した土器などが展示されているといいます。しかし平日の昼間しか開いていないので、観光客が土日に訪ねても、それらを見る事ができないという訳です。

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▼その水道庁舎の脇には「水道発祥之地」の碑がありました。

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▼向こうへ続く通りは本町通りとよばれる江別駅前の通りです。

左手前には江別商工会議所があります。

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▼これは江別コミュニティセンターと江別中央公民館の建物です。

手前の長い丸柱が、建物の壮大感を表しているようでした。

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はまなす温泉

の看板のついたボロボロの大きな建屋がありました。

2012(平成24)年時点で既に廃業との書き込みを見かけましたが、この写真は2013(平成25)年のものにつき、この時既に廃業していたのでしょう。

既に外壁はボロボロと剝がれ、入口の段積みレンガも崩れかけていて、完全に営業している雰囲気がありませんでした。

しかし「はまなす」って個人的に北海道を連想しますが、やはり日本では北海道に多く咲いているのですね。紋別市にも「はまなす通り」というのがありますし。(↓下記事御参照)

lefthand.cocolog-nifty.com

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真宗大谷派「選教寺」というお寺です。

北海道でお寺を初めて見た時「北海道でも普通にお寺ってあるんだ」と思ったものでした。

山門の装飾が手の込んだ素晴らしいものでした。

平成6(1994)年に山門建立の碑がたてられたようで、その時に寺号公称百周年記念とあったので、1894(明治27)年頃にできたお寺と思われます。

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▼街へ出ると、寂しげな通りが多かったように思いました。

右手前の建物は「こんどうストアー」とうっすら文字が見えますが、この当時でも廃業してかなり年数が経っているようで、下のシャッターも既に歪みが生じてガタガタになっていました。

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▼北海道といえば

というぐらいのこの白樺林?の風景が目の前にありました。

これ見ると「北海道に来たな」という感慨に似た感情を持ったものでした。

4月末でもまだ雪が残っていたのもまた「北海道」を感じたひと時でした。

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▼建物に建設資材が取り囲まれているこれはカトリック江別教会」のものでした。

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▼そしてまた北海道といえばこの屋根ですが、壁が木造に対して、このしっかりした屋根って頭デッカチな感じですね。でもこのマッチングがなんとも好きではあります。しかもここの場合は、木造外壁の下に鉄製シャッターが取り付けられていたり、カオスな建物だなと。

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▼コンクリート壁にこのしっかりした屋根、これまた北海道を感じさせるものでしたが、間口が渋すぎないか?というぐらいのものでした。

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▼これまたどう見ても廃屋だろという建物ですが、横の看板「雪捨て厳禁!」っていかにも北海道ですね。北海道では雪すらもゴミなのかと。雪を捨てると警察に通報されるなんて、いやはや北海道ですね。

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▼久遠山法華寺

という日蓮宗のお寺という事です。

レンガの門が印象的でしたが、入口は立入禁止?のようでした。

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▼最後はこの写真です。

江別駅に戻ってきて周辺のカットですが、やや左の「平和通」のゲートがどこか寂し気に建っているのが印象的でした。この向こうにはどれほどのお店が稼働しているんだろうか?と。

以上、江別駅周辺をざっと歩きましたが、江別市の観光名所としては

①北海道立自然公園野幌森林公園

②町村農場ミルクガーデン

③美原大橋

などのものがあるそうです。①はバスがあるようですが、②は車で20分、③は車で6分、とありました。

必ずしも江別ならではのもの、が見られたとは言い難いですが、江別市内の旅の一コマとしてお送りしてきました。

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佐賀/唐津② ネコだらけの唐津城

佐賀県唐津市佐賀/唐津① 唐津城へのみちにつづく唐津市第2弾です。

(2010年9月当時)

唐津藩武家屋敷之門

として重厚な屋根を伴った神社の山門らしきものがありましたが、これはナント現役の旅館です。

www.mizunoryokan.com

慶長7(1602)年に初代藩主・寺沢公が名護屋城の解体資材を利用して唐津城を築城した折に、藩の家老宅の門として使われたとされています。

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唐津城跡の敷地内に本格的に入っていきます。

ここは「御住居・学問所」とありました。

この石垣の南側は、城の中枢的なエリアで藩主の住居や藩庁が置かれた二ノ丸にあたります。という事で中心的な所まで来ました。

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▼石垣が並び、松並木が続いたこのような道を進んでいきます。

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唐津城

としての説明板があります。

唐津城平山城で、本丸が山城かつ水城という特殊なもので、二ノ丸三ノ丸は平城という連郭式の平山城という訳です。

当初は天守閣がなく、天守台のみのお城であったようで、現在の天守は模擬天守として造られたものです。

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唐津城敷地内は、とにかく猫が多数いました。

しかもあまり警戒していないのか、結構カメラ目線で撮れましたし、すぐ逃げる事はほとんどありませんでした。よほど居心地の良い所なのか。なんなら猫見たさでここへ来ても良いのでは?というぐらいでした。

当時から10年経っているので、今も同様に猫たちがいるのかは分かりませんが…。

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唐津城跡は舞鶴公園となっており、唐津城の別名は鶴舞城といわれています。

周囲約1kmの中に城郭がズラリとあり、また山城の部分でもあり、階段も多く見られました。

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▼この大きな長い階段が大変印象的でした。

これを上っていくのはなかなか大変で…。

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▼続いていく階段、暑い季節にはなかなか厳しいものがありました。

階段数は231段あるそうです。

しかしこの上りの時は知らなくて残念だったのが、有料でエスカレータがある、という事でした。知っていればこれを使わない手はなかったろうに…というところでした。9月初めでまだまだ暑かったのです。

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▼このような藤棚のある階段もありました。

ここの藤は「佐賀名木100選」にも挙げられていますが、推定樹齢100年だそうです。

しかし藤って、根っこがこんなに重厚なものだったんですね。なかなか下部を見る事がなくて、当時としても今更でしたがビックリしました。

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唐津城の塀周りですが、鉄砲を通す穴であろうものが見られました。

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唐津城で印象的だったのは、長くて広い階段と、この高い石垣でした。とにかく壮大で、何度も見上げていました。

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唐津城一之門です。

重厚な木製の門枠の両サイドに大きな石垣が配されていて、更に重厚感に満ち溢れた雰囲気でした。

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▼階段をさんざん上がったので、見晴らしは素晴らしいものでした。

唐津の町が一望できるのもありますが、左上の写真にあるような唐津湾に浮かぶ鳥島を見る事もできます。

この鳥島は、唐津湾沖合約700mの地点に浮かぶ現在は無人島ですが、かつては料亭があったり、1950年代の炭鉱産業華やかなりし頃には、本土からここまで埋め立てをする計画まで持ち上がったそうです。炭鉱の衰退と共に頓挫したそうですが。

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唐津城天守閣です。

1966(昭和41)年に5層5階の模擬天守として築かれ、その際に門や櫓なども再建されています。歴史記録上、天守の存在が記されたものが一切なく、築城当初建築されていたら…の仮定形?で建築されたものだそうです。

それでも2017(平成29)年に日本100名城に選出されているという、素晴らしいお城でもあります。

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天守閣は入場料400円とありました。(団体割引あり)

この天守閣はその後、2017年にリニューアルされているので、これはそれ以前の姿という事になります。

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城内橋

という橋がありました。

唐津城敷地の半島部と九州の陸地を南北に結んだ橋で、欄干部分が木製の渋い佇まいで、良い形で描いているカーブも実に画になるものでした!

北から南へ橋を渡り切ると、対岸に唐津城が見える格好となり、「唐津城」の表示もあり、遠目に見る唐津城もなかなかの良い景色だなと感じたものでした。この方向で見た時に、橋より右(東)が松浦川で、左(西)が町田川の河口になります。

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▼川には雰囲気たっぷりに渋い舟が停まっていて、屋形船っぽい船がありました。

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▼こちらは橋詰めの唐津城側で、堤防が城郭の雰囲気で、また火の見櫓も建っていました。

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▼看板文字冒頭やや見切れがありますが、

高島⇔唐津的航路 渡船待合所

とありました。

高島とはここから船で約10分の地点にある、人口300人ほどの小さな島ですが、「宝当神社」という縁起の良い名前、かつ参拝者の中に宝くじの高額当選者が出たことで話題になったといいます。

この待合所の建物が現存するのか、また機能しているのかググっても全くの不明です。自販機があったので当時は機能していたとは思いますが、10年前ですらこの様子でしたので。

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▼ちとりはし

という橋がありました。

二重の眼鏡橋のようなものでしたが、長崎のそれのようにハッキリ二重には見えませんでした。

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▼最後はこの写真ですが、

京町商店街

というアーケードつきの商店街です。

元々は街道筋の道であったとされ、1971(昭和46)年頃にアーケードが設置されて50年ほどになるようです。

シャッターの下りた店が目立ちつつも実に多彩なお店が営業している、とありました。

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さて、ここまで唐津城を中心にお送りしてきましたが、唐津佐賀県でも屈指の城下町で、そういう面での見応えある町であり、またそこには猫が多数いて、そこがまた思い出深いものがありました。もう10年前の姿になるので、現在どれほど当時の姿をとどめているのか分かりませんが、唐津に行ってみたい方の御参考になれば幸甚というものです。