続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

島根/安来⑥ 伯太 遥かなる1992年春

島根県安来市、「島根/安来⑤ 広瀬Ⅲ・1991年のヒロセン」につづく安来市第6弾となります。前回同様過去写真の掘り起こしですが…

(1992年4月当時)

lefthand926.hateblo.jp

 ▼今回は初めて、旧・能義郡「伯太(はくた)町」の町域をお送りします。

1992(平成4)年4月の事となりますが、この当時は現・安来市ではなく旧・伯太町の頃でした。

旧・能義郡として平成の大合併前までは「広瀬町」伯太町の2町で構成されていて、広瀬町は月山富田城で、伯太町はチューリップの里として観光資源のある町(自治体)として運営されてきました。(今では共に「安来市」になりましたが…)

今からもう29年も前の姿ですが、それでもこの辺りは大きくは変わっていないのではないかと思います。そしてここは島根県道1号線です。

溝口伯太線という事ですが、このうち「溝口」は鳥取県(西伯郡伯耆町)であり、鳥取-島根両県跨いでの約20kmの県道で、島根県道1号線であると共に、鳥取県に入ると鳥取県道1号線」となります。両サイドが田畑ののどかな風景に家がポツンとある感じの街並みでした。

f:id:lefthand926:20210515205923j:plain

▼これは旧・伯太町内で中心的な伯太郵便局です。

伯太町は江戸時代に「母里(もり)藩」という藩が存在しており、古風な街並みの

残る街もありますが、その辺りへはこの時行く事ができませんでした。この郵便局は割に町の中心部に近い所にありますが…。

f:id:lefthand926:20210515220737j:plain

▼伯太郵便局付近のカットです。

川沿いに集落が開けていて、やはり水と共に文化が発展するんだなと感じました。

f:id:lefthand926:20210516033616j:plain

伯太町案内図

がありました。

中心地はさらに詳細な地図が載っていました。右が北になります。結構山で覆われている感があり、南下すると更にそれが顕著になる感がありました。島根県の南東端で鳥取県と接しています。

チューリップの絵も描かれているように「チューリップの里」であり、時期的にも4月上旬だった訳ですが、そういう場所へは出くわせませんでした。「チューリップ祭り」が毎年行われますが、最近はコロナ禍で中止になっているようです。

それとこの当時はあまり街並みに興味がなく、それらを全然撮れていなかったのも後悔ものでした。

というのも再訪しようと思っても、なかなか時間のかかる場所でもあるので。

f:id:lefthand926:20210516033658j:plain

f:id:lefthand926:20210516033719j:plain

▼最後に携帯画面のアップロードを載せますが、

まず左側は「伯太町 観光」で検索したマップ画面です。

それにしても大してヒットしなかったなと…。

そんな中で「母里の風車」は多数のチューリップが満開の時に一緒に撮るととても画になるだろうな、とネットで調べて思いました。

オーベルジュ天空別邸 母里」は、古民家リノベーションした空間で、本格フランス料理が出る、超高級宿にして、挙式・披露宴もできるスペースで2017年にオープンしたそうです。(HPリンクは下につけています)

右側の画面は、市内の中心である安来駅へのバスの乗換案内のものです。

町内の中心に相当する「伯太庁舎」から安来駅へのバスでのアプローチです。25分くらいで着くようにはなっていますが、前後のダイヤが2時間ぐらい空きがあるのが難点です。先述の「なかなか時間のかかる場所」というのは、よく時刻を確認なしいとタイミング次第では、ものすごく時間がかかってしまうという事なのです。

最近でも何度か行こうと思ったことがありましたが、緊急事態宣言が出たり、途中の伯備線で特急「やくも」の間引き運転があったり、とても行ける状況ではないかなと静観しています。それもあって、古写真を引っ張り出して記事にしたという事です。

bettei-mori.jp

f:id:lefthand926:20210516033736p:plainf:id:lefthand926:20210516033810p:plain

島根/安来⑤ 広瀬Ⅲ・1991年のヒロセン

島根県安来市「島根/安来④ 鷺の湯温泉/足立美術館/安来節演芸館」につづく安来市第5弾の記事で、旧・能義郡広瀬町としては第3弾となりますが、今回は1991(平成3)年当時、まだ安来市になる前の郡部の頃の風景としてお送りします。

(1991年12月当時)

lefthand926.hateblo.jp

 

▼今回お送りする写真は、わずか3枚のみです。

というのも初めてこの能義郡広瀬町を訪ねた1991年に「写ルンです」で断片的に撮った写真のみにつき、極めて適当なカットとなっている事をご容赦願います。

しかしながら、今から30年前の貴重なカットともいえるかと思います。

まずはこの「比田郵便局」のカットです。

前回までの広瀬町のカットは、バスターミナルで中心地に降り立って、そこから歩いての行程でしたが、この当時はバイクで走りながらピンポイントで撮っていたので、撮影場所がかなりばバラけています。

当時1992(平成4)年のお正月を迎える仕様で、軒先に門松が飾ってありました。

この辺りはこの記事で訪ねた広瀬町の中心地から実に約20kmへ南へ下った所にあり、当時の町域の広さを感じさせられます。

この辺りには比田温泉という温泉があり、「比田山荘」という温泉宿があります。

lefthand926.hateblo.jp

f:id:lefthand926:20210515092733j:plain

▼こちらは広瀬町下山佐という地区の国道432号線上です。バイクで信号待ちの時に撮ったようなカットで、適当すぎてすみません。

広瀬町の中央より約2km南の地点で、さほど遠くないのですが、たったそれだけでこれだけ風景が激変するのはすごいなと感じました。ここは何もないところでした。

f:id:lefthand926:20210515095033j:plain

広瀬町 町民会館

のある辺りです。

当時の広瀬町で「この辺りが中心地付近かな」と思って撮った覚えはありますが、詳細にどの辺か調べてみたら、JAと町役場(現市役所支所)の間にある道路である事が分かりました。

手前のリヤカーが時代を感じさせます。

f:id:lefthand926:20210515095803j:plain

▼こちらは2019(令和元)年5月1日当時のものですが、上の写真と反対向きながら、ほぼ同一箇所の撮影(定点観測的なもの)に成功していました。(当時、上の写真でどこを撮ってたか全然記憶にありませんでしたが)

当時の広瀬町町民会館は安来市広瀬町民会館となってますが現在もあるようで、今は公衆トイレになっていますが、右奥にあるものと思われ、町民の避難場所にもなっているといいます。

歩道の感じは変わっていますが、和風建築の塀が当時のまんまでした。

f:id:lefthand926:20210515101124j:plain

そんな感じで、30年前の広瀬町の様子を忘備ついでにお送りしました。

愛媛/新居浜 普通の街並み

愛媛県新居浜市JR新居浜駅からの歩き旅です。

(2006年8月当時)

▼駅記事で、新居浜という所は人口12万ほどの割に駅前が寂しいようなことを書いたと思いますが、これはもう15年前の姿となり、2012年には駅舎をリニューアルし、以後駅前も長年の懸案であった再開発に着手したそうで、15年も行ってないのでそろそろ見てみたいところです。

これはその2006年当時の駅前のカットですが、ルートインのホテルが1km先にあったりして、駅の真ん前にあるホテルなんて希少で、大体が駅から少し離れた場所にありました。

f:id:lefthand926:20210512223701j:plain

 ▼この「ビジネスホテルにいはま」というホテルは、新居浜駅前にある貴重なホテルでした。喫茶・軽食コーナーもありました。

f:id:lefthand926:20210513200040j:plain

新居浜駅の真ん前は今でこそ東横インがありますが、これが開業したのが2017年の事で、この当時は先の「ビジネスホテルにいはま」しかない状態で、駅の真ん前にあるという理由だけで、ここを選択しました。部屋内のカットを。

このホテルは今はあるのかどうかわかりません、マップを見てもそれらしい位置に出てきませんでしたので…。間近に東横インが現れたのは脅威だったと思います。

f:id:lefthand926:20210513202605j:plain

▼「ビジネスホテルにいはま」の前の様子です。

これはひょっとしたらもうないかもしれないのですが、また新居浜を訪ねて確かめてみたいものです。

f:id:lefthand926:20210513203732j:plain

▼駅前にあまりにも何もなさ過ぎて、ちょっと歩いて郊外へ出てみました。

こんな所に本格的なホテルが!ってことで全国チェーンのα-1とルートインが並び立っていました。郊外の方が栄えてる、と思ったのはこの時でした。

f:id:lefthand926:20210513203909j:plainf:id:lefthand926:20210513203936j:plain

新居浜警察署です。これもルートインなどのホテルの並びにありました。

小中学生を中心とした見学受け入れもやっているようです。

www.police.pref.ehime.jp

f:id:lefthand926:20210513205457j:plain

▼ボケ過ぎてしまった写真ですみません、大きな三又の歩道橋がありました。すごく画になるなと思ったんですが、当時色々加工しすぎてこうなってしまったと思われます。(最初から鮮明ではなかったと思いますが…)

f:id:lefthand926:20210513214025j:plain

愛媛県道134号、国領高木線とありました。

国道11号と被っている区間があり、その辺りのものと思われます。

f:id:lefthand926:20210513214310j:plain

▼駅へ近づけば近づくどに更地が増えていく(再開発の前兆だったのかもしれませんが)新居浜の街で、駅前の観光案内図です。

これがラストの写真ですが、祭りが多い街だなという印象は受けます。

見えにくくてよく分かりませんが新居浜の観光名所として、別子銅山記念館などがあり、別子ってこの辺りだったんだなと今更知りました。足尾とかもっと関東方面の銅山かなと勝手に思っていましたが、この別子がらみで「別子ライン」という渓谷や「別子鉱山鉄道」というかつての鉄道など色々あるようです。

各地が分散して発達した新居浜だけに、たとえば別子に絞って旅してみるのも良いかもしれないですね。別子銅山は1973(昭和48)年まで銅を生産していたという事で、貴重な昭和産業の面影を残す遺産なのですね。

最後に別子銅山記念館についてリンクを張って新居浜市の記事を終えたいと思います。

www.jalan.net

f:id:lefthand926:20210513230147j:plain

 

沖縄/うるま 壮観!勝連城跡

沖縄県うるま市、勝連城(かつれんじょう)跡を中心にお届けします。

(2001年4月当時)

うるま市沖縄県の中東部に位置し、人口は122,321人(2021.4.1現在)で、沖縄第3の都市(那覇市沖縄市につづく)であり、2005(平成17)年に旧・具志川市石川市、中東郡の与那城町勝連町の2市2町が合併して誕生しました。

 

▼ほとんど勝連城へ行っただけで、ここも勝連城へ行くための寄り道に近い感じでしたが「与那城町総合公園」とあります。

2001年当時は「与那城町」だったのですが、現在はうるま市となっており「うるま市与那城総合公園」となっています。

今は、うるま市となってしまった当時の与那城町勝連町の両方を訪ねようと、まずはここ与那城町の中心地にやってきました。

okinawa.town-nets.jp

f:id:lefthand926:20210510194007j:plain

▼すぐ近くにあった旧・与那城町役場です。

結構立派な建物が建っていましたが、今はうるま市の与那城庁舎です。

1994年竣工で、この当時はその後7年くらいのまだ新しい建物でした。

旧・与那城町のカットはこの2枚だけですが、バス路線としては沖縄本島で重要拠点として役目を果たす「屋慶名(やけな)バスターミナル」の隣がここになります。

f:id:lefthand926:20210510200846j:plain

与那城町を後にして、旧・勝連町域へやってきました。

いきなりですが、世界遺産「勝連城跡」です。

この前年にあたる2000(平成12)年に、首里城などと共に「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」としてユネスコ世界遺産に登録され、この当時はまだその熱気冷めやらぬといったところでした。

勝連城跡前というバス停があるのでアクセスは楽でした。

www.katsuren-jo.jp

 

f:id:lefthand926:20210510203823j:plain

史跡 勝連城跡

という碑があり、昭和49年建立とありました。史跡に指定されたのは沖縄が本土に復帰した1972(昭和47)年の事です。

14世紀初頭に勝連按司という人物が築城したといわれています。

f:id:lefthand926:20210510204907j:plain

▼とにかく、緑と石垣と青空がそれぞれ際立っていてカラフルな場所だったなという印象が強かったです。どこを撮ってもすごく画になりました。

f:id:lefthand926:20210510205340j:plain

▼これは下へ見下ろした風景でしょうか?

20年以上経っていて正直覚えていない部分もありますが、雲の高さと湧き具合がまたも画になる風景でした。すぐ近くに雲があるようなそんな感じでしたね。

f:id:lefthand926:20210510205806j:plain

▼階段があり、その周りの風景です。

これもまた低く流れる雲がとても画になる風景でしたが、沖縄では今帰仁(なきじん)城跡(沖縄の万里の長城ともいわれる)に匹敵する絶景、と個人的には感じました。

首里城も素晴らしいのですが、あれは建物が美しいという感じで、構成物と自然の融合という意味では、今帰仁や勝連は素晴らしかったですね。

f:id:lefthand926:20210510210017j:plainf:id:lefthand926:20210510210152j:plain

▼石垣を見上げるカットも画になりました。

この石垣の残り具合がまた良いんですよね。

これもまた低く雲が流れていて、石垣より雲が低くすら感じたほどでした。

f:id:lefthand926:20210510210032j:plainf:id:lefthand926:20210510210139j:plain

玉ノミウデ御嶽(うたき)

とありました。

勝連を守護する大きな霊石をご神体とする御嶽ですが、グスク時代には建物の基礎に使われていたのではないか、とされています。

f:id:lefthand926:20210510210051j:plain

▼ぐるっと城壁が囲んでいる風景もまた素晴らしいものがありました。

というわけで、ほぼ勝連城跡の景色で記事を書く事となりましたが、あまりに素晴らしい風景すぎて…、これは当時「写ルンです」で撮ったんですが、今みたいにデジカメを持っていたら、何枚撮ったか知れません。沖縄で絶景を見たい方は絶対行った方が良いと思います。

f:id:lefthand926:20210510210107j:plainf:id:lefthand926:20210510210125j:plain

沖縄/石垣 空の玄関ほか

沖縄県石垣市石垣島の様子です。

(2000年7月当時)

▼これは今から20年以上前の2000年夏の様子で、当時まだデジカメを持っておらず「写ルンです」で撮ったものです。

石垣島へ行ったのが、後にも先にもこの1回限りで、しかもこの時は八重山諸島の「与那国島」へ行く時の経由地として降り立ったものです。(後で街歩きしましたが…)

JTA(日本トランスオーシャン航空)の飛行機でやって来ました、人生初石垣島

f:id:lefthand926:20210509204924j:plain

▼これも駐機場から撮った石垣空港の到着口です。

この当時で沖縄へ行くのが2回目、石垣が初めてという事で、八重山諸島与那国島(日本最西端)以外に「波照間島」(日本最南端)と「竹富島」へ行きました。

波照間島竹富島は、石垣港から船で行きましたが、与那国島だけはここからプロペラ機に乗って行きました、人生初プロペラ機でした。

当時はまだLCCなど知れ渡ってもおらず、ネット販売もほぼなかったと記憶していますが、関西空港伊丹空港から結構な値段でやってきたと思います。(その辺の記憶があまりありませんが…)

f:id:lefthand926:20210509205539j:plain

石垣空港から与那国へ行って、与那国で1泊後に石垣へ戻り、この時点で初めて石垣島内の街並みを歩くことができました。ここはそんな道中のワンカットです。

ここに「石垣市立…」との標識が見られますが、鹿児島や沖縄本島以外の離島は、平成の大合併で市になっていることが多いですが(奄美市宮古島市など)、ここは1947(昭和22)年にはすでに市制化されており、他に西之表市なども1958(昭和33)年と、割に早い時期に市制化されています。

f:id:lefthand926:20210509212343j:plain

▼街の中を歩いていてのカットですが、沖縄本島と同じように、沖縄らしい風景に出会います、というところです。

f:id:lefthand926:20210509213829j:plain

f:id:lefthand926:20210509214058j:plain

八重山郵便局

という石垣島の島内で最も中心的な位置づけにある郵便局です。といっても民営化以前の話ですが、いまはゆうちょ銀行の支店という位置づけです。

他にもこの時色々行って、宿泊もしたんですが撮った写真があまりに少なく、これくらいしか紹介できないのが寂しいところです。

具志堅用高記念館へ行ったり、他の離島への往復に石垣港へ何度も行ったりしていたのですが、その辺の写真か全然撮れず、コロナが明けたら石垣島を20年数年ぶりにちゃんと観光していきたいのですがいつの事やらという感じですね。

具志堅用高記念館のHPはコチラ。ちょっちゅねーはまだ通じる言葉なのか(笑)

www.chocchune.com

f:id:lefthand926:20210509214122j:plain

 

栃木/佐野 駅前の佐野城跡

栃木県佐野市JR佐野駅前の風景です。

(2008年8月当時)

▼これも古くて今から13年前の姿になりますが、駅を出るやいきなり佐野城址という観光にはうってつけの街というところでした。

これという建屋はありませんが、緑いっぱいな憩いのスペース的な側面が強い感じでした。

f:id:lefthand926:20210509123038j:plain

▼佐野城跡の説明板がありました。

「春日岡城」の別名を持ち、江戸幕府開府の前年にあたる1602年に佐野氏によって築城されたお城です。それまで根城にしていた唐沢山城という山城からこの地に移ってきましたが、整備も終わり切らない1614年に佐野氏が突如改易となり、お城も廃城になったという事です。

築城が慶長7年で廃城が慶長19年と、江戸以前の各元号の短い時代において、ひとつのお城が単一元号内に誕生と消滅の両方が発生するという実に短命なお城となってしまいました。

現在は佐野城山公園となっていて市民の憩いの場として活用されているという事です。

f:id:lefthand926:20210509123554j:plain

▼こんな緑の多い所、という印象が強かったです。

市の中心駅の駅前がいきなりこんなのだったのがちょっと斬新でした。

f:id:lefthand926:20210509125603j:plain

▼こんな橋もあったりしました。

欄干の装飾が立派でちょっと高級感が出ていました。

f:id:lefthand926:20210509130456j:plain

▼緑いっぱいの中に、丘城の部分が見えると、これはかつての城の遺構なのか?とかついつい考えてしまいます。残っているのは曲輪、堀切、土塁などだそうで、建物は何もないので分かりづらい部分があるかと思います。

f:id:lefthand926:20210509131511j:plain

▼この辺りも階段にはなっているものの、何かあった雰囲気を感じさせるものがありました。

f:id:lefthand926:20210509132633j:plain

▼佐野城本丸の石畳と石垣

の説明板がありました。

1992(平成4)年の発掘調査で、石垣と石畳が見つかったという事ですが、保存のために埋め戻しをしたそうで、ここにある石は付近から出土したものを並べているものである旨の説明がなされていました。

f:id:lefthand926:20210509134513j:plainf:id:lefthand926:20210509134543j:plain

▼本丸の石垣・石畳周辺の石で作られた区画です。

ここに往時の本丸の姿が偲ばれるという事ですね。原形は形状保持のために埋められてしまっていますが。

ちなみに城跡ではこの本丸辺りが最も標高が高く、その高さは56mだそうです。

f:id:lefthand926:20210509140625j:plainf:id:lefthand926:20210509140658j:plain

▼ここは土塁なのでしょうか。

築城後に城下町の整備も行われながら、突然の佐野氏の改易に一転して廃城となるという急ピッチの展開でした。

改易の理由として、当時の領主が江戸で火災が発生した際に急遽駆けつけ、その行為自体は良かったのでしょうが、元豊臣方の大名が江戸での有事の際にすぐに来れる位置にいる事を幕府が危惧した為といわれています。そんな事をしなければ、このお城にはそこから先の未来があったのでしょうね、もしかすると明治まで存在していたのかもしれないかと。

f:id:lefthand926:20210509141102j:plain

▼佐野城跡から離れて駅前の市街地へ。

駅前の通りはこんな感じです、というカットです。

f:id:lefthand926:20210509144304j:plain

▼こちらの方が駅前通り的な道路ですが、中層の建物がずらっと並んでいました。

この時は佐野駅前のほんの少ししか歩いていませんが、佐野市の他の名所として田中正造の旧家があります。それと市内の皐月ゴルフクラブ佐野コースというところの7番ホールは世界最長の964ヤード(PAR7)というとんでもないものだそうでギネス記録にもなっているといいます。何打でいけるのか試してみたいものです(笑)

ほぼほぼ佐野城跡を見ただけのものでしたが、佐野市の風景としてお送りしました。

f:id:lefthand926:20210509145046j:plain

 

福岡/大牟田 新銀座ゴースト商店街

福岡県大牟田市、JR大牟田駅からの歩き旅です。

(2018年1月当時)

▼いきなりこんな写真でスタートですが、これはJR大牟田駅の近くではなく、駅からかなり歩いたところになります。

西鉄大牟田駅もすぐ近くにありますが、そこから1駅分を歩こうと隣の新栄町駅まで歩く道のりの一角です。あまりに渋い家屋だったのでつい見入ってしまいました。

f:id:lefthand926:20210506223519j:plain

▼ちょっと駅から離れますが、ビジネス旅館などの建物が複数あり、これが現役稼働してるかはともかく、かつて結構賑わった辺りかもしれません。この左手前の河口荘というのはググったらその名前や地図などは出てきますが、ひょっとして現役なのか…。

f:id:lefthand926:20210506234358j:plain

▼塀がひび割れたところもありました。補修してるのが昭和感満載で。

f:id:lefthand926:20210508180121j:plain

▼先ほどの旅館より本近くにまたビジネス旅館がありました。

これも地図などにはその名前や情報は出てきますが、現役稼働しているのかまでは不明です。1979(昭和54)年に創業したとありました。

f:id:lefthand926:20210508180435j:plain

▼商店街らしい雰囲気の通り、いやまさに商店街ですが「みずき通り」という通りに出てきました。歩道もきれいに整備されていて見栄えの良い通りでした。

あと、これから出てくる写真も含めてですが、この日は雲がとっても特徴的な模様になっていて、そのおかげでどこを撮っても立派に画になるような感じでした。

f:id:lefthand926:20210508181409j:plain

▼みずき通りはきれいな通りではあるのですが、少し横を見つめると建物がすごく渋かったりして、足を止めずにはいられないことも多々ありました。

f:id:lefthand926:20210508181424j:plain

▼上の写真の通りから真横に見た格好のカットです。

お店は洋風ですが建物は和風でカオスな建物と感じました。白壁に黒も足され、赤のドアとかどんな状態なんだろう?という感じでしたが。

更にはその通りの奥を覗いたらもっとカオスな事になっていて、コンクリートの色褪せ具合とゴツゴツ感がすごい雰囲気を放っていました。

f:id:lefthand926:20210508181516j:plainf:id:lefthand926:20210508181549j:plain

f:id:lefthand926:20210508181627j:plain

▼GINZAと書かれた通りが見えました。交差する商店街はアーケードつきの立派な所でした。

でも人通りは少なくて、静かな雰囲気でした。それでもこの辺りでの設備的には最も豪華なエリアかと思います。

f:id:lefthand926:20210508181701j:plainf:id:lefthand926:20210508181750j:plain

▼たかしまや

なんてのがありました。鷹島屋と書くようです。

これまた店舗情報は載っているものの現役かどうか分からない状態でした。

f:id:lefthand926:20210508182154j:plain

▼商店街の脇にある「大牟田神社」へ入ってみました。

16世紀前半創立の歴史ある神社で、火の神また大牟田氏神として崇められてきたとありました。

f:id:lefthand926:20210508193744j:plainf:id:lefthand926:20210508193830j:plain

f:id:lefthand926:20210508193917j:plain

▼神社にあった大蛇(オロチ)山の大蛇車です。

大牟田駅のホームにオロチがありましたが電動の迫力あるやつで、これと同じようなオロチがここにもありました、大牟田といえばこれというぐらいめちゃめちゃインパクトあります。

f:id:lefthand926:20210508194942j:plainf:id:lefthand926:20210508195012j:plain

大牟田神社の拝殿へ。

全般に朱色で稲荷系なのかな?と思いますが、そんなことは書かれていなかったです。

「二拝二拍子一礼」とちゃんと書いてあると、お祈りの時に分かり易くていいですね。

f:id:lefthand926:20210508200504j:plain

大牟田神社を出ましたが、この向こうへの通りの建屋群が壮観でした。渋すぎませんか?という意味で。手前には壁画のようなものも。

この通りの建屋群は実はこの記事のメインです。

右端に「新銀座」という通りの表示がありますが、この中を通っていく事が、この時の大牟田の旅のメインの目的だったのです。

f:id:lefthand926:20210508200829j:plain

▼という訳でこの「ふれあい新銀座」と銘打たれたここへ入っていきます。

この時点で怪しげな雰囲気がプンプン漂ってきてるとは思いますが…

f:id:lefthand926:20210508215336j:plain

 ▼ここからが本記事タイトル通りのところで、今回訪問の目的地でありました。

事前に調べてはいましたが、かなりの「ゴースト」な商店街です。アーケードがありながら、人が通っていないうえにろくにお店もやっていない…、しかも壊れたり剥がれたりしたところは放置されたまんまの部分もありで。

f:id:lefthand926:20210508220039j:plainf:id:lefthand926:20210508220117j:plain

f:id:lefthand926:20210508220159j:plainf:id:lefthand926:20210508220840j:plain

f:id:lefthand926:20210508220933j:plainf:id:lefthand926:20210508221051j:plain

▼上の商店街から道路を隔てた先の商店街です。

これもまた見事なシャッター商店街!土曜ですが昼の15時ごろ、現役で稼働しているなら店が開いているはず、のところが全滅、、

と思いきや、向こう側にかすかな光が。

f:id:lefthand926:20210508221632j:plainf:id:lefthand926:20210508222043j:plain

f:id:lefthand926:20210508223519j:plainf:id:lefthand926:20210508223603j:plain

▼奇跡的に?!営業していた店がありました!!

東京屋 という紳士服のお店でした。

その向こうもTOKYOYAとありましたが、こちらは閉まっていて、旧店舗だったのかもしれません。それにしても1軒でも開いていたのが奇跡であり快挙?でした。

f:id:lefthand926:20210508223650j:plainf:id:lefthand926:20210508223720j:plain

▼ここまで商店街の中を通ってきましたが、ここからはそれらの棟続きの建屋を外から眺めたものです。これが中から見るに負けず劣らずの渋さでした。

f:id:lefthand926:20210508230521j:plainf:id:lefthand926:20210508230548j:plain

f:id:lefthand926:20210508231305j:plainf:id:lefthand926:20210508231345j:plain

▼いつしか日も沈みかかり、夕焼けが現れた頃、元々の雲の描いた素晴らしさと相まって、景色の素晴らしさが増幅され、素晴らしいものが撮れました。

f:id:lefthand926:20210508231531j:plain

f:id:lefthand926:20210508231553j:plainf:id:lefthand926:20210508231621j:plain

▼またまた新銀座の裏手(家的には表になりますが…)、アーケードがないだけ閉塞感はありませんでしたが、やはりゴーストな雰囲気でした。

f:id:lefthand926:20210508231913j:plainf:id:lefthand926:20210508231951j:plain

大牟田来たなら、この商店街は寄ってみたら面白いと思います。ただし閉所恐怖症や静かなところが苦手という方には、全くの不向きにつき御注意よろしくお願いします。