続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

長野/飯田 リンゴと人形劇の街並み

長野県飯田市JR飯田駅からの歩き旅です

(2012年7月当時)

飯田ステーションホテル まつむらという名前のこのビジネスホテル、ひと時代前のテイストが存分に感じられましたが、今も現役で稼働しているようです。

ステーションホテルの名の通り、駅から100mとない至近にあります。

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 ▼その飯田ステーションホテルのある駅前通りの様子です。

古そうな建物が多いながら、そこそこの層の建物が並んだ通りになっていました。

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▼栄小路 と書かれたゲートのある通りです。

昔ながらの飲食店が立ち並ぶ通りでした。

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飯田市のマンホールです。モノクロ版とカラー版の両方が見つかりました。

飯田市の「市の木」がリンゴであり、戦後間もない1947(昭和22)年に発生した飯田大火をキッカケに、1953(昭和28)年に街の復興策としてリンゴの植樹を行ったのが始まりとされていますが、すっかりリンゴが市のウリになっており「リンゴ並木通り」なるものも存在します。

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太宰春台邸址 なる説明板が町の中のちょっとしたスペースにありました。

太宰春台(1680-1747)は江戸時代の儒学者ですが、ここ飯田城下の生まれで飯田藩士となりましたが、改易により一転、浪人となりました。

その後は江戸と関西を転々としつつ、荻生徂徠に師事し、名著を生み出した郷土の偉人であり、その邸宅跡としてここに建てられていました。

よりわかりやすく言うならば、日本に「経済」という言葉を広めた人物です。経済とは経世済民の略であり「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」というものが語源となっています。

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▼街へ出て「中央通り3丁目」というバス停です。

 中央通りという名に、明確なここが中央だというものが感じられました。

多くの路線共通の途中バス停として停車するようですが、1つの行先あたりの本数はあまり多くないようでした。

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 ▼その中央通りの交差点周辺です。

お店の看板の片側が外れていたり、信号向こうのゲートも単に枠だけですが、往年はきっと何かはまっていたのでは??と思うと、往時を偲ぶ風景という感じがしてなりませんでした。

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 ▼街の中で、とっても渋い建物に出くわしました。

縦長の楕円形の窓とレンガ色の建物が存在感たっぷりでした。

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 ▼りんご並木と人形劇のまち 飯田

として紹介されています。

りんごについては先述の通りですが、人形劇の街でもあるというここ飯田。

飯田人形劇カーニバルとして8月の第一木曜日から日曜日までの4日間行われるという、日本最大の人形劇イベントという事で、1979(昭和54)年からの歴史を刻み続けています。文化ホールだけでなく、学校や保育園、神社や路上など、街じゅうの至る所が劇場になるとあり、これは凄い所だと感じました。

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▼街なかで見かけた時計塔ですが、これが「からくり時計」でした。

パカッと開いて出てきた人形たちがかわいらしかったです。

大抵こういうのは、それとは知らずに出くわすわけで、偶々定刻になって出くわすラッキー感が何とも言えないものがあります。

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▼ぽぉ です!

という頭にリンゴのついたキャラの幟がありました。

2008年から「いいだ人形劇フェスタ」の公式マスコットキャラを務めているという事で、「ぽぉ」って何??と思いましたが、Appleの発音の「あっぽぉ」から来ているという、なかなか意表をついたネーミングのものでした。

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▼橋から谷のようになった部分を見下ろしたものですが、なんともいえない崖屋造りっぽい感のある画に惹かれました。

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▼ここは 銀座一 です。

と見える看板でしたが銀座一(丁目)でした。

飯田には「銀座商店街」というのがあり、HPも↓ありました。

www.iida-ginza.jp

 

明治期から街として形成され始め、1930(昭和5)年に飯田銀座と名付けられたといいます。戦後1947(昭和22)年に飯田大火で全戸焼失したという苦い経験を経て、1952(昭和27)年にアーケードがつき始めたといいます。

1967(昭和42)年に「飯田銀座音頭」なる曲が作られ、都はるみさんが歌われたといいます。また1978(昭和53)年には映画「帰らざる日々」のロケが飯田銀座にて行われたともありました。

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千劇 とありますが、

センゲキシネマズ という映画館です。

この都市にして複数のスクリーンを持つ映画館が存在する事に驚きました。

映画館どんどん衰退していく感が個人的にはありますが、ここは今も稼働しているといいます。

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▼リンゴ園を通りかかりました。

上の方がほんのり赤く染まりかけたリンゴの実が見られました。「みすずつがる」とか「ふじ」とかのリンゴがありました。さすが長野県だけあるなと感じたものでした。

街を流し歩いての記事でしたが、この後はある所に寄りますが、それは次記事に載せます。

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新潟/新発田 新発田城跡と取り壊されしもの

新潟県新発田市JR新発田駅からの歩き旅です。

(2010年9月当時)

▼2010年9月当時という事で、今からちょうど10年前の様子になります。

新発田へは2008年夏に初めて行って、その後2010・2012年と訪ねていますが、まともに旅らしい旅をしたといえるのはこの2010年当時のみでした。

新潟県の市の中心駅前の通りに多いのが、歩道のみ屋根のついた商店街なのですが、ここも御多分に漏れずという感じで、こんな風に長々と続いていました。

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▼その商店街の歩道アーケードの真下からのカットです。

「中央商店街」と表示がありました。

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新発田藩 札の辻跡

とありました。

新発田藩の高札場、つまり住民に決め事等を周知する場所がここにあったようです。

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▼「この場所に、新発田城「大手櫓」がありました」という説明板がありました。

1644年の絵図には既にこの櫓が確認できたため、それ以前にあったものと記されていました。

その後1668年、1719年と大火により焼失しながらも、その都度建てられたといいます。

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新発田市役所です。

コンクリート色そのまんまの渋い建物でした。

といっても、これは既に「旧・市役所」となりました。

1965(昭和40)年竣工で、50年以上市役所として勤め上げ、現在はその役目を終えています。そしてこの庁舎は解体され、現在は駐車場になっているといいます。

代わって2017(平成29)年1月より移転の形で新庁舎「ヨリネスしばた」として新生し、稼働を開始しています。

この時の訪問が2010(平成22)年でしたが、この時期に新庁舎の建設構想が纏められたというので、そういうのを後から知ると改めて感慨深い想いで、この写真を眺めてしまいます。今は亡き建物ですから…。

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新発田市民文化会館です。

これまた天然コンクリート色の渋い建物でした。

1980(昭和55)年に建設された、やはり長い歴史のある建物ですが、この施設は現役で稼働しているようです。

今年で開館40周年を迎える訳ですが、これを記念してNHKのど自慢が開催されるという事で、ことし11月15日(日)が予定されています。このコロナ禍でどうなるのか分かりませんが…

pid.nhk.or.jp

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県立新発田病院

とありましたが、この建物は当時既に立入禁止の柵が建てられていました。そして既にこの時には駅前の新しい場所へ移転(2006年)されていました。

この建物もすでに解体されアイネスしばた」という防災公園となったといいます。次々と今は亡き建物をupしている格好です。

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新発田城 大手中の門跡

なる大きな説明板がありました。

1598年に築城されたといい、現存建築のあるお城は新潟県内ではここだけだそうです。

また2006(平成18)年に日本百名城の31番目として選定されたお城でもあります。

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義士堀部安兵衛誕生の地

との碑がありました。

赤穂浪士の四十七士のひとりであり、中でも重要な人物ですが、ここで生まれたとは知りませんでした。また赤穂浪士の中でも随一の剣客だそうで。

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▼ちょっと視線を外して、こんな渋いクリーニング店の看板が!

新発田市の本拠を置くクリーニング会社のお店だそうです。

その下はいかにも昭和の看板という感じの牛乳販売店とおもわれるものでした。

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▼ようやく見えてきました。

新発田城の辰巳櫓です。

二重二階の櫓で木造にて2004(平成16)年に復元されたもので、これだけが一般公開されています。

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▼入口門とお堀とのカットと、門の単独カットです。

この本丸表門は1732年に再建されたものだそうですが、国の重要文化財に指定されています。

午前9時からの開門だそうで、早朝にここへ行ってたので、まだ開いていませんでした。

この城跡は敷地の殆どが陸上自衛隊の駐屯地という特殊な構造から、公開されるものも制限される格好になっています。

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▼こちらは旧二の丸櫓です。石垣のすぐ上の「なまこ壁」が印象的でした。

これも二層の建物ですが、これは復元されたものではなく、本丸表門と共に重要文化財に指定されています。

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▼建物を含まないお堀周りの様子です。

個人的には「きれいなお堀の城跡」という印象が強く、水面に建物や木がクッキリ映っている箇所が多かったように思いました。

また、建物ではメインともいうべき「三階櫓」(辰巳櫓と同じ2004年に木造復元)という三層の建物がありますが、これはこの時見れないまま去る事となりました。

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新発田駅から徒歩約20分とやや遠いですが、時間にゆとりがあれば是非に訪ねたい新発田城跡でした。

秋田/横手② 横手公園と晩ごはん

秋田県横手市秋田/横手① ホテルプラザアネックスの夕べ

に続く横手市の記事第2弾です。

(2020年8月当時)

前回記事では、宿泊したホテルを中心にお届けしましたが、今回はお出かけしたところをお届けします。

▼ホテルをチェックインしてしばらくくつろいだ後、明るいうちに横手公園へ行こうと夕方に出かけました。

ホテルから横手公園まで2km弱との事でしたが、東北地方といえど何せ暑い盛りでもあり、少しでも歩いていくのを避けたい一心で、この標識に沿って横手バスターミナルへ行きました。一応麓にあたる部分のバス停はありましたので。

かまくら館」もあったのですが、この時行く事を断念したまま行けずに帰る事となりました…。横手に来たら行きたい所のひとつですね。

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▼ホテルから歩いて横手バスターミナルまで来て、ここはその向かいにある「よこてイースト」の敷地で「納涼まつり」の幟が立ち、テント群がありました。

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▼これが横手バスターミナルです。

横手駅から歩いて2~3分の所にありますが、駅前よりこちらの方が交通機関の中枢という感じで、大曲のバスターミナルへも行きます。

この屋根下の左側、柵沿いにいくつかの乗り場があって、そこで発着するようになっています。

また、この建物の下のフロアが待合室になっています。

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▼横手バスターミナルから5分余りで着いた「横手郵便局前」バス停、ここが一応横手公園への最寄バス停にはなります。ここから少々歩く必要があり、横手駅から来ると公園入口を少々オーバーランした位置にこのバス停はあります。

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▼横手公園へ向かう道中で、トンボが止まっているのを見かけました。

それでトンボにピントを当てて撮ることができました。

あれ?羽が1対しか確認できず「ふつう2対なかったっけ??」となりました。

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▼降りたバス停近くでお堀の脇へ行ってみましたが、こんなお稲荷さんがありました。

「蛇王神社」とありました。蛇とは特に関係ないようでした。

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▼その蛇王神社から堀向かいに眺めた所にまた神社の建物らしきものがありました。

ここへは遠回りの形で橋を渡って行かなければならず、また横手城の建物を明るいうちに見たいのがあり、ここまで行く事は断念しました。

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▼この辺までバスでやって来たのは「羽後交通」のものでしたが、これとは別に横手郵便局入口というバス停名にて横手市循環バスで運行されていました。

1時間に1本、1日10便とコミュニティバス系としては多い方だと思います。

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▼横手公園入口側へ戻る形でアブローチしたところ、色んな標識が出ていました。

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▼公園入口に近づいていくところで、写真真ん中あたり、山の上にチラっとお城の建物が見えてきました。今回の目的地はズバリここです。

高さはあるのか、上る時どれだけしんどいのか…??ついつい考えてしまっていました。

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横手公園(横手城)含むアプローチが示されている街なかでした。

だいぶ陽が低くなってきていて、早く登らないと日が暮れてしまう…という状況でした。

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▼少し離れた所ではふんだんに標識がついていたのに、直前で切れるような形で少々迷いながらようやく行き着いた横手公園の入口です。ここをまっすぐ進んでいきます。

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▼上の写真の突き当たりが、横手公園へのアプローチとなる階段つきの山道でした。

これを上がっていきます。写真は3枚別々のものが横並びになっています。階段山道の風景として左から右へ流れていく形です。

あまり人が通っていないのか?道が少し整備され切れてなかったり蜘蛛の巣があったり、多分ほとんどの方は車で上るのかなと。

どれだけしんどいのか??と思っていましたが、5分位上るととりあえず城の高さまで行き着きます。

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▼階段を上り終えて、ようやくまず横手城跡の案内板まで行き着きました。日暮れ時とはいえ夏の暑い中、階段を上り続けるのはどうかと思いましたが、思ったほどしんどくはありませんでした。

そして横手城跡の紹介です。

横手城は16世紀中ごろに小野寺氏によって築城されたといわれています。この小野寺氏は関ヶ原の戦い後に反徳川派と目され改易となった後、入れ替わりが激しく、一国一城令で破却されそうになりましたが、重要拠点と目された事で破却を免れたとありました。結局幕末の戊辰戦争まで持ちこたえましたが、そこで落城し、1871(明治4)年に廃城になったといいます。

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▼お城山ご案内として地図つきの案内板がありました。横手公園は昔から「お城山」として親しまれてきた旨の記載がありました。

現在地は真ん中左下のオレンジの部分で、そこから左上にお城の天守が立っています。

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▼横手城跡前の駐車場からの街の眺望です。

パネルもついていて、見えるものが何か主要なものについては記載がありました。横手川や鳥海山など。

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▼夕日と共にした形での眺望です。

少々来るのが遅くて、まともに写真が撮れるか?と思いましたが、良い時間帯に撮る事が出来ました。こういう時はカメラを色々調整して、色んな明るさ暗さを出してみたいなと思ってしまいます。

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▼さて、今回の横手観光のメインである横手城跡天守のカットです。これを見るために今回来たようなものです。(もちろん温泉にも入りに来たのですが…)

この横手城は実際は天守はつくられなかったようで、この天守は愛知県の岡崎城をモデルにした「模擬天守」だそうで、1965(昭和40)年に建設され、東北地方では最初の模擬天守といわれています。

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▼模擬天守の1F部分は資料館からの展望台になっています。

この時期独特のカットと思いますが、入場に際してのマスク着用の絵と共に「検温」の協力呼びかけが記されていました。このコロナ禍にしかないカットという訳です。

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▼最後はこのカットです。

天守の傍にこのようなお食事処があり、この建物の2Fでパスタを頂きました。ソフトクリームやケーキから食事までなかなか幅広いメニューで、ここで食べた頃にはかなり暗くなっていましたが、横手城跡は単に建物だけでなく、他に食事のできるお店もある、という事をここで書いておこうと思います。

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秋田/横手① ホテルプラザアネックスの夕べ

秋田県横手市JR横手駅からの旅の様子です。

(2020年8月)

▼14年ぶりにやって来た横手市、2006年訪問当時は駅前をちょろっと歩いただけで、記事として書けるものがなかったので、今回は同程度しか歩けなかった大仙市と共に旅した訳です。

それで特に横手には宿泊もしました!

それがこの時のお宿です。

ホテルプラザアネックス横手

写真右側に写っている建物がそれですが、JR横手駅東口を出て右へ徒歩2、3分という駅近でアクセス至便な温泉ホテルです。

泊まった日がバレますが、そこそこ人は居りました。

このホテル自体に大浴場があり(岩盤浴もあり)、ハイグレードな「個室露天風呂つき客室」もあります。

これに加えて、このホテルの宿泊者は隣の(写真左側の)ゆうゆうプラザの温泉も無料利用することができます。ここを利用する場合は。フロントに言えばバスタオルを貸してくれるので、それで入る事となります。

両者は棟続きになっていて、外へ出ずにアネックスからゆうゆうへ行く事が出来ます。

テルチェックインは16時~とやや遅いので要注意です。

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▼アネックスのホテル前の足湯?ではないかもしれませんがお湯が沸いていました。

特定のスペースというより、お湯が沸いてるのを見せてるだけかも。

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 ▼チェックインしてカードキーを挟んだ案内紙と朝食券です。

元々素泊まりプランしか選択できず、食事なしの扱いでしたが、フロントで朝食を利用されますか?と聞かれたので希望したら¥1,200ほど?上積みで朝食券をもらいました。

この時の宿泊費用は3,250円!!でした。これは勿論「Go To トラベル」クーポン込につき価格表示上は5,000円でした。ただ、このクーポンがついてくれたおかげで、朝食で1,000円強追加されても4,400円くらいの支払いで済みました。こう書くと安宿みたいに思われるかもしれませんが、そんなチープな感じはしなかったというのが正直な印象でした。

朝食はバイキングで、このコロナ禍でも結構普通の雰囲気でした。

晩御飯も同じホテルの7Fで食べましたが、パスタを頼んだら、大型ボールみたいなすごい容器が来ましたが、その中にちょこっとだけしか入っていなくて、容器に完全に騙されました…

大浴場は同じ7Fの食事フロアの奥にあるという構造です。前述の通り隣接のゆうゆうプラザの温泉施設も無料利用できました。こちらの方が日帰り温泉施設でもあり、設備的には充実しており、入浴はどちらも利用したいものです。

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 ▼宿泊部屋のデスクに貼ってあった大浴場の案内です。

これでこのホテルの7Fと隣接のゆうゆうプラザの入浴可能時間が分かります。

岩盤浴は終了時刻が少し早くなっています。

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▼部屋の様子です。

普通に洋室のシングルでしたが、¥5,000はリーズナブルであり、そんなにチープな感じもなく一定レベルのビジネスホテルという雰囲気でした。

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▼ホテル部屋からの眺望です。

この日は6Fの部屋を割り当てられ、かなり上層階でしたが、向こうに見える白コンクリート色丸出しのJAビルがインパクトありました。

すぐ近くにあるはずの横手駅はここからは見えず、反対方向に位置しています。

横手駅すぐにあって、温泉も複数箇所入れる、しかも街なかなのでそこそこはお店もやっているという点では、かなり利用価値の高いホテルかと思いました。周辺にいくつかホテルがあり、思ったより多かった感もありました。

次の記事では、ここから出かけた様子をお伝えします。

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JR横手駅 (新) (秋田県横手市)

秋田県横手市のJR横手駅、

前ブログで旧駅舎を紹介しましたが、この度2006年夏以来14年ぶりに訪問し、駅舎も変わっていたので「新」としてご紹介したいと思います。

↓旧駅舎記事はコチラ

lefthand.cocolog-nifty.com

▼前回の旧駅舎記事では線路と垂直に、文字通り「横手」についていた駅名標は、普通に線路と平行についていました。入れ替わったのか、別物なのか分かりませんが。

秋田新幹線の路線から外れており、新幹線では大曲駅が最寄りで、ここから17分ほどで到着します。ただし便が1時間に1本程度しかないので要注意です。

隣駅表示にある「後三年」駅は、文字通り「後三年の役」の古戦場があるところです。前九年の役(1051~1062)、後三年の役(1083~1087)で、いずれも9年でも3年でもないのに、いつも不思議に思ってしまいます。

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▼3面4線のホームで、通常使われているのは1~3番線までで、そのうちの2・3番線の様子です。

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▼市の中心駅らしく両サイドに電光掲示の次発列車表示があり、時計や他の番線への表示もあり、近隣の沿線駅に見られない都会感がありました。

停まっている電車は14年前と同じ型のものでした。

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▼横手駅115周年とのポスターがありました。

1905(明治38)年に開業した横手駅は、この2020年で開業115周年になる訳ですが、そのために作られたってなかなかすごいですね。

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▼改札を出たばかりの所です。

両サイドに出口がある自由通路になっていましたが、前回2006(平成18)年訪問時にはなかったので、今回再訪してよかったと思いました。

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▼そしてその自由通路の様子です。

駅が改装されたのは2011(平成23)年からで、この橋上駅舎になって今年で10年目になります。

両サイドには色々と横手の名所や名物などが紹介されてもいました。

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▼改札出てすぐ、改札の壁?というか境目の所に、このような水槽が置かれていて魚が泳いでいました。カラフルな魚たちでした。

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▼改札出てすぐのスペースの所に「土産物の自販機」がありました!

その名も「横手発 小みやげ自販機」

ただし設置期限があるようで1年間ほど採算を様子見しているようで、現時点では2021年3月が期限だそうです、売行き上々ならば継続かも。

お酒やらリンゴジュース、ちょっとアレですが幼虫型チョコなんかもあり、お土産買い漏らした時にちょこっと買う、そんな感じでしょうか。

秋田だから稲庭うどんもありました!

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▼そして買ったのは「横手やきそば」。

横手に来たからにはどこかで食べるか、買うかしたかったのですが、駅で買えました。

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▼駅の階段を下りるとこんな感じで、壮大な駅感がありました。これは前回訪問時にはなかった雰囲気でした。こちらは東口です。

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▼東口階段を下りて右側にこのようなスペースがありました。

横手市観光情報センターです。

暑い中ではクーラーが入っていて大助かりでしたが、ここはかなり観光促進している感じのスペースでした。ちなみに反対側の西口にも同様のスペースがありました。

仕切りの向こうに飾られた船は「横手の送り盆まつり」で使われる「屋形船」です。

今から約300年前の「享保の大飢饉」の際に、亡くなった人を供養するために屋形船が造られ、法名などを書いた短冊を吊るして供養されたのがその始まりとされています。

レンタサイクルもここで借りられるようです。

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▼これも観光センター内の様子ですが、

オレたち 昆虫族

なんてネーミングがストレートすぎてビックリものでした!

8/30まで、つて今日までだった訳ですね。

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▼これもセンター内ですが、左上は釣りキチ三平のポスターが多数貼られていました。

この釣りキチ三平の作者である漫画家の矢口高雄氏の出身がここ横手市にあたり、郷土の著名人のマンガとして大々的に出されていました。矢口氏は元々銀行員でしたが退職しマンガを描き、水木しげる氏に見い出されて世に出たようですね。

「-三平」は1973(昭和48)年からマンガで連載され、テレビアニメで1980(昭和55)年~1982(昭和57)年まで2年余りにわたって放送され、三平役は当時バリバリの売れっ子であった野沢雅子さんがアテていました。

ちなみに矢口氏は現在80歳で、数年前に体力的な限界により筆を置き、現在は引退状態にあるといいます。

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▼横手駅を出てまっすぐの目線です。

地方都市らしい駅前というか、高い建物がポツンポツンと点在している感じでした。

真ん中にある「ユニオン」というビルが目立ちますが、これは2006年初訪問時にもあり、当時はバリバリに営業していた商業施設ですが、今では看板も色褪せて、5年前に閉鎖になっているようで、1Fのパチンコ店も含めて廃業し、市の中心部の駅前に大きく残った廃墟と化しているようです。

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▼旧ユニオンビルのアップです。

パチンコ店だけやっているのかと思いましたが、やっていませんでした…。

解体予定も特に無いようで、一方で付近の再開発計画はあるようで、この建物はどうなっていくのか?というところです。

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▼横手駅の駅舎です(東口)。

東口しか撮っていませんが、かつての平屋建ての「よこて駅」表記のものからだいぶ変わって、少し規模が大きくなり、スタイリッシュな駅舎になりました。

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秋田/大仙③ 大川寺~はなび・アム

秋田県大仙市、秋田/大仙② 大曲の歴史を感じる道

に続く、大仙市記事の第3弾です。

▼続いては、大川寺というお寺に入りました。

 先に訪ねた諏訪神社も大曲の名所として挙げられていましたが、そこよりもこちらの方が賑わっていた感がありました。

 長延山大川寺(だいせんじ)、奇遇にも大仙市と同じ「ダイセン」です。

曹洞宗のお寺で、1391年創建といわれる歴史ある古刹であり、藩主佐竹公が年賀参りをしたお寺といわれています。

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 ▼「長延山」の扁額のついた山門です。

入口の門の上層に鐘がついた、いわゆる鐘楼門です。裏側には鐘をつけるように階段がつけられています。

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 ▼山門をくぐって境内を進んでいきます。

左側の枝垂れ柳が何とも印象的でした。

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 ▼境内にて、小西伝助という文人実業家の紹介がなされた案内板がありました。

小西伝助(1869-1917)は、ここ大曲の出身で、新聞の発行や文芸誌の創刊など文人的な活動にとどまらず、鉱山の開発や石炭の試掘、電力事業に従事するなど幅広い活動を展開した郷土の偉人という訳ですね。

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▼上の写真に写っていた枝垂れ柳のところに、「大仙市 指定文化財 板碑(画像碑・永和碑)」という標柱があり、傍に高い木のやはり標柱があり、大日如来何やらと、漢字が書き連ねてありました。

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▼大川寺の本堂です。

色目が鮮やかで木目の色と白黒とがそれぞれに存在感を放っていて、白壁にくりぬかれた模様もそれぞれ存在感大だと思いました。

そしてフォルムも屋根のせり上がりと、真ん中最下部の唐破風とそれぞれが大きなアクセントになって、とてもバリエーションに富んだ建物、と感じました。

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▼本堂手前脇にあった「大川寺財弁天」です。

1893(明治26)年に建立されて以来、霊験あらたかといわれる「弁天さま」です。

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▼大川寺のアクセスマップです。

大曲駅からのアクセスとして経路をつけています。

大曲駅からグレーの経路は「花火通り商店街」を通る事となります。

ちなみに前回記事で訪ねた「諏訪神社」は、この斜め向かいに位置しています。

【長延山 大川寺】
住所:秋田県大仙市大曲須和町3丁目1-26
TEL:0187-62-0072
アクセス:JR大曲駅より徒歩約10分

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▼大川寺を出て、すぐ北へ歩くと川の手前まで来て、このようなバス停がありました。上の地図の大川寺のすぐ左上の部分です。

「はなび・アム前」というバス停ですが、このはなび・アムを次に訪ねる事としました。

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▼バス停のすぐ近くには丸子川が流れていました。

下の3枚目の写真は大曲駅方面で、これ以外は反対側となります。概してのどかな風景ですね。

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▼バス停から川に沿って歩くとこの「はなび・アム」の建物に出くわします。

花火ミュージアムの略かと思いますが、大曲の街を象徴する「花火」について余すところなくその魅力を伝える施設で、正式名称は「花火伝統継承記念館 はなび・アム」というそうで2018年6月に開館した新しい大曲を象徴する施設でもあります。

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▼Bium Shopとあるこの建物は、はなび・アムの傍にあるものですが、グッズ売り場ですね。建物内にあった方が良かったかな、と思って見ていましたが、離れにある格好になっています。

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▼はなび・アムの入口です。

ここから入っていきますが、こんな壮大な建物に入るのに「入館無料」です!

今はコロナ対策でアルコールが置いてあるのは勿論ですが、記帳必須となっており、感染が判明した場合の特定材料として住所電話番号等記する事となっていました。

1Fで記帳/受付すると、エレベーターであがっていきます。1Fは基本受付で特に見るものはありません。

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▼館内は基本的に撮っていませんが、エレベーター内にあったフロア構成だけ取りました。後はこのリンクをご覧ください

www.travel.co.jp

という訳で受付では「まずは4Fを見てください」という事だったのでもエレベーターで4Fへ行きましたが、このフロアが館内のメーンエリアともいうべき階です。

展示ホールにいろんな花火玉や花火競技大会の壮大な歴史年表があり、花火玉のつくり方なんかも視覚的に分かりやすくなっていました。

また、定期的にはなびシアターが上映され、壁面1面だけでなく、天井やサイドの壁にも一部かかった形で映し出されていて、花火が立体的に見えたのが大変素晴らしかったです。特に今このご時世で花火大会が軒並み中止となっている中で、このシアターでのド迫力の花火を見る事ができ、今年も花火大会が見られたような、そんな気分になるには十分のものでした。

ちなみに3階は主に資料の展示ホールで、花火競技大会の参加団体の紹介などがありましたが写真が主のもので、もう一つは影絵での花火アートがあり、これもまた素晴らしかったです。

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▼はなび・アムの大きな建物の向かいに別館があり、その入った所にこのような「一緒に写真を撮ろう」コーナーがありました。花火玉が顔になったキャラクターですね。

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▼はなび・アムのパンフレットです。

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▼はなび・アムを出て、川沿いの舗道を大曲駅に向かって歩きます。

酷暑につきちょっと歩くだけでもきついですが、はなびアムは涼しかったです。

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▼最後はこの写真、大曲駅にだいぶ近づいたところで出くわしたラーメン屋さん「繁盛亭」です。

ここの冷やしラーメンを美味しくいただきました。

メニューが壁面にベタベタと色々貼ってあるスタイルで、だんだん増えていったのかな??と思わされました。また古地図や古写真など渋いものが随所にあって、そういうものを見るのも楽しいお店でした。

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▼これまでUpしたJR駅については、こちらから!

lefthand.cocolog-nifty.com

秋田/大仙② 大曲の歴史を感じる道

秋田県大仙市、秋田/大仙① HANABI通り商店街をゆく!

につづく大仙市の記事です。

さて、前回記事に続いて花火通り商店街を歩いていきます。

▼商店街を歩いていて目に留まった所で、軒先から眺めてみると…

花火玉やら筒やら色々なものが!

さすがは花火の街。

「のびのびらんど」という市民交流プラザですが2005年にオープンして、今年で15年になるそうですが、大曲の象徴的な施設のひとつと感じました。中まで入る事は遠慮しましたが、この表を見るだけでも良かったです。

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▼更に商店街を進みます。

紅白のポールが目に入りましたが、旧大曲市表記と現大仙市表記が混在していました。

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▼商店街沿いにあったお稲荷さんです。

この辺りになると駅からの距離もそれなりにあり、商店が立ち並ぶという感じではありませんでした。

前に標柱があり「大仙市指定文化財 御前井」とありました。

御前井は「ごぜんい」と読みます。

この地を治めた佐竹藩主が参勤交代で大曲本陣に滞在時する時に、藩主向けの献上水として汲み上げられた井戸で、当時は2基あったそうですが現存するのは1基のみだそうです。

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▼旧・大曲市としてのマンホールがありました。

やはり花火は必須アイテムですね。

あとは丸子川と大平山の風景、との事です。

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 ▼更に進んで駅から約500mの地点で、丸子川の流れる丸子橋に差し掛かる所です。

真夏の徒歩500mはかなり暑いです…。

ここにある「丸子のこみち」は川沿いの歩道で、散歩にはうってつけなのですが、この時期は何より暑いです。

石碑が建っているのは「富樫氏土屋館跡」というもので、土屋館は「つちやかん」ではなく「どやだて」と読みます。

1508~1536年の間、富樫氏がこの地に居館していたといいます。

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▼これも丸子のこみちのところにあった説明板です。

枕流館(ちんりゅうかん)という明治期から昭和初期にかけての情報拠点がこの辺りにあった事が記されていました。元々は旅籠屋だったものが、文人の集まるサロンのような形へなっていったといいます。著名人として政治家などでも犬養毅、柳田邦男などの人物も宿泊していたといいます。

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▼丸子橋と丸子川の様子です。

丸子川は雄物川水系一級河川で、長さは16.3kmこの大仙市と美郷町を流れているといいます。

この前日は大雨で秋田新幹線の運休が云々されていたようで、そのせいか水位が高い感と水が濁っていた感がありました。

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▼丸子橋を通過して、ふたたび商店街の町並みへ。

右側の木造建屋が渋すぎました。

隣(手前)のカラーテレビの看板がそのまま残っているのも良かったです。

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▼上大町11番町というバス停へ来ました。

ちょっとくたびれた感のあったバス停標識でしたが、歩道の車道側に立っているはずのものが、ここでは随分車道から離れて立っているなという印象でした。バスからしたからこんな陰に隠れたようなところで人が待っていても分かりにくくないですか?という感じでした。

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▼大曲の名所のひとつ、諏訪神社へ来ました。

その歴史は古く801年に征夷大将軍 坂上田村麻呂が討伐へ向かう際に居を構えた所とされています。

毎年2月15日には「大曲の綱引き」という大規模な綱引き行事が行われています。

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諏訪神社の境内へ入り手水舎へ。

今のご時世がよく表れていますが、新型コロナウィルス感染拡大防止のため…という事で、利用が停止されていました。

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諏訪神社の拝殿です。

屋根裾が末広がりでまた微かに上向きで、いい感じのフォルムになっていました。

前面の真ん中はなんでしょうか、いわゆる妻が幾重にも構成されていて、これもまたカッコ良いフォルムに何役も買っていると思います。

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▼拝殿のカットでも見えていましたが、向かって左側の狛犬の頭部が苔で緑になっていて、まるで緑の頭髪のようでした。ありそうでないカットのような気がします。

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▼拝殿の中も素晴らしかったです。

中にはお伊勢さん系の小冊子がおいており、コロナ収束祈願のコラボのお酒の紹介もありました。

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諏訪神社を後にして、通りに戻りましたが、ここは「栄町商店街」との表示がありました。

写っている建物はペットショップですが、この近くにて「大曲道路元標」の石柱がみつかったとありました。しかしこの石柱は材質から、建っていた時期から色んな事が不明なようです。

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▼再度、通りから少し逸れて、大仙市大曲体育館と武道館です。白いものが体育館、手前の黒っぽいのが武道館です。

体育館は1973(昭和48)年建設で、2002(平成14)年に大規模改修をしたといいます。

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▼これもまた通りを逸れた所ですが、大曲高校付近にあった「一里塚」です。

ここは「米町」という所で、ここで米の積み下ろしをしていたところからそう名づけられたようです。大曲の中心として機能していた時期もあったそうで、その中心に一里塚があるという訳です。

向かいには地蔵さんがあるという事で、付近の役者が住み着いた事もあり、役者の供養塔もあるという、歴史的なものが色々詰まったエリアという事でしょうか。

そんな古い歴史も気になるところですが、向こうの年季入りまくりのアパート?が現役で稼働しているのか?も大いに気になるところでした。

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今回記事も途中になりましたが、ここで一旦切ります。

今回は看板を色々見たような部分が多かったですが、次はここへ行ったという明確な名所わスポットを当てます。