続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

生活と思い出と世の中と(2000年)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。22回目は2000(平成12)年てす。

 

西暦がちょうど2000年、20世紀最後の年「ミレニアムイヤー」として大いに話題になり、2000円札も発行されました。

個人的には30歳になる節目の年でもありました。

 

●仕事

1998(平成10)年末から派遣社員生活が続いていて、この年も「通し」でそうでしたが、この年4月~初めて自分より後に人が入り、1年半続いた自分が一番下っ端体制が崩れました。と同時に、その人たちに仕事を教える事になり、この世界で初めて人にものを教える事になりました。

そういう意味で自分のポジションがひとつ上がった事を感じた年でもありました。色んな事を覚えて、教えることで理解して…と、この当時は色々知識吸収欲が高かったように思います。新システムの事を検討するという事で別室に籠って考える日々も送りました。

出張にも結構行かせていただきました。作業的なものや、打ち合わせ的なもの、現場工事手伝い…多岐にわたり、仕事の充実した年でもありました。

 

●ニュース

西暦2000年問題がすごく話題になりましたが、結局何も起こりませんでしたし、世界が滅ぶこともありませんでした。

しかし色んな事件やアクシデントは起こりました。

現職の小渕恵三首相が倒れ、森喜朗氏が首相の座に就きましたが、小渕氏は亡くなってしまいました。「平成」を掲げた人物でしたが、こんな形で亡くなるとは…。

西鉄バス乗っ取り事件は衝撃的でした、犯人が17歳少年とは…昭和の犯罪のような…。

有珠山の噴火や、鳥取県西部地震があり、特に鳥取地震は個人的に影響があり、山陰地方へ行くルートを変えて乗車したりして時間がかかったりしていました。

シドニー五輪が開催されました。高橋尚子選手の走りが感動でした。この絡みでよくhitomiさんの「LOVE2000」が流れていました。

 

●訃報

二階堂進さん …晩年まで総裁選に野心を燃やした政治家

荒井注さん …元ザ・ドリフターズで一世を風靡、脱退後はコミカル系の俳優へ。

橋本功さん …「江戸の旋風」シリーズの岡っ引き勘八や「明日の刑事」佐藤刑事などがらっぱち系の役の似合った俳優

高原駿雄さん …「秘密戦隊ゴレンジャー」のスナック・ゴンのマスター江戸川権八などが有名な俳優

浅野輔さん …「JNNニュースコープ」のキャスターとして人気を博す

真家ひろみさん …元「ジャニーズ」メンバー、あおい輝彦さんなどと共に活動していた

鶴岡一人さん …南海ホークス監督として長年球界に貢献してきた

粟津號さん …「大都会」シリーズの刑事役で唯一殉職した「平原刑事」を演じるも悪役を主戦場とした俳優

ジャンボ鶴田さん …若手時代よりタレント的に有名だったプロレスラーも早世

小渕恵三さん …「平成」を掲げた官房長官にして、現役首相時代に倒れ帰らぬ人に

三浦洋一さん …オールバックにポマードがトレードマーク。「さすらい刑事旅情編」香取刑事役を長年務めた。

山村聰さん …「必殺仕掛人音羽屋半右衛門など重鎮的役柄で場を締めた俳優

井上大輔さん …元ブルーコメッツの中心的存在で、その後作曲活動や自身でもガンダムソングを歌ってヒットさせた

梶山静六さん …自民党の重要人物として長年活躍

竹下登さん …島根県出身の首相として名を馳せ、平成になった時の首相でもあった

青江三奈さん …ブルース系を得意とした歌手で、「伊勢佐木町ブルース」などのヒットで紅白にも出場。

黒田清さん …読売新聞にいたジャーナリストでTVにも出演し新聞コラム執筆も行った

谷村昌彦さん …「Gメン'75」末期のベテラン刑事・古田刑事役にて出演。

工藤栄一さん …「必殺!Ⅲ 裏か表か」などの多くのハードな作品を指揮した映画監督。

浪越徳治郎さん …「指圧の心は親心 押して命の泉湧く」で有名な指圧師でTVにも頻繁に出演

ミヤコ蝶々さん …大阪のおばちゃん風の独特の存在感をもった女優

藤井将雄さん …ダイエーホークスの投手として活躍も病気により戦線離脱し現役中に早世

林家珍平さん …「銭形平次」の八五郎役として長年活躍

高野光さん …ヤクルトスワローズで新人から主力として活躍するも引退後に自殺

東野英心さん …東野英治郎さんの息子にして親子で俳優。「あばれはっちゃく」シリーズの頑固で怖い父親を熱演。

 …自殺をした方や早世の方が多かったように思います。

 

プロ野球

セ・リーグ優勝が巨人で、パ・リーグ優勝はダイエーでした。

巨人のリーグ優勝が二岡選手のサヨナラホームランという劇的なものでした。日本シリーズダイエー相手に4対2で日本一になったのですが…

この時の日本シリーズというのが、、、巨人は長嶋監督で、ダイエー王監督な訳です。長嶋VS王の「ONシリーズ」としても大いに話題になりました。

新人王はセ・リーグが横浜・金城龍彦選手で首位打者のタイトルも同時に獲得しました。パ・リーグは該当なしの寂しい年でした。

主な引退は、この年2,000本安打を達成した横浜・駒田徳広選手がベンチとの確執もあってか終盤殆ど出番なく終わり、あっさりした引退でした。オリックスの優勝に大貢献した野田浩司投手が32歳の若さで、同じく32歳で1991(平成3)年に新人で大活躍したヤクルト・岡林洋一投手も引退しました。同じくオリックス優勝に貢献しヤクルトに移っていた馬場敏史選手も引退しました。その馬場選手とダイエーの内野を守った湯上谷紘志選手も引退しました。

 

●大相撲

横綱若乃花が引退しました。29歳の若さで。大関までに5回も優勝していましたが、横綱になってからの優勝が一度もないまま、ほとんど活躍できなかったのが悔やまれました。兄弟同時横綱誕生と騒がれながらも、その期間は実に短いものでした。

他の引退力士としては、巌雄(がんゆう)や北勝鬨(きたかちどき)などですが、幕内優勝も経験した元関脇・琴錦もこの年引退しました。そして、同じく元関脇でやはり幕内優勝経験のある水戸泉も引退、豪快な塩まきは本当に観る者を惹きつけたものでした。

また大関昇進の多い年だった印象もありました。貴ノ浪大関復帰もあれば、武双山大関になり、魁皇大関になり、雅山大関に昇進しました。

 

●もちもの

前年1999(平成11)年に初めて「携帯電話」なるものを買いましたが、本当にただの「電話」で、電話機だけのものでした。これに当時少しはやった「着信音設定」の本を買って、「手打ち」で着信音を設定していました(笑)

この年の春にezwebの携帯に買い換えて、初めて「メール」ができるようになり、また「ネット」もできるようになりました。ネットというものができるようになって素晴らしいなと感じたものでした。まだまだそんな「ググる」とか一般的ではありませんでしたが…。

家のPCも買い換えましたが、10月にネット手続きをして、それまでExcelとかだけしかできなかった「箱」が、ここでも「インターネット」のできるPCになりました。おもえばここからが自分にとっての「ネット」文化の始まった年でした。

そしてそれまで「現金一括」主義で、なんでもそれしかしてきませんでした(たまに現金ローン組んでましたが)が、クレジットカードを初めて手続きし、持つことになりました。これはPCでネットをするためにクレカを持っている事が必須で、いわば「必要に迫られて」持つことになったものでした。

 

●旅行

正月から夜行列車に乗って初めての秋田県へ。大館市「秋田犬会館」へ行きました。

雪の積もった、更に降っている中を歩いて着いて、秋田犬はいませんでしたが、剥製に触れたり、秋田犬の事をいろいろと学び、ここから歩いて東大館駅へ。途中で食堂へ行きましたが、今はもうないであろう感じの老舗感満載の所でした。

その後盛岡(岩手)、仙台(宮城)、福島…とそれまで行った事のなかった東北の県をすべて回りました。青森と山形は訪問済だったので飛ばしましたが、特に宮城は日本三景「松島」を楽しみました。松島駅から松島海岸駅まで歩くと、大体ひと通り楽しめるという感じでした。

2月には大月市を訪ねて初めての「山梨県」へ。これにて「全47都道府県」の訪問を達成しました。20代のうちに達成したいと思って、この前年からラッシュをかけていましたが、29歳にして達成する事ができました。

夏には、「沖縄離島めぐり」を敢行しました。日本最西端の与那国島へ行って1泊し、日本最南端の波照間島へはレンタサイクルして、石垣島も行って…と。チケットとか知らなかったので、全部正味の価格で1回の旅で15万くらい使った覚えがあります。「日本トランスオーシャン航空」なんて乗って行ったと思います。石垣から与那国まではプロペラ機だったような気がします。与那国で原付をレンタルして島巡りをしたりしました。

 

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