三重県鈴鹿市の旅第一弾として、近鉄/鼓ヶ浦駅からの歩き旅です。
(2008年5月当時)
▼まずは鈴鹿市のマンホールです。
色んな模様パターンがあるようですが、ここでは鈴鹿市下水道のシンボルマークとされるメダカが描かれたものがありました。
外周の模様は何だかよく分かりませんでした。
▼鼓ヶ浦駅から歩いてすぐの所にある「釜屋川」周辺の様子です。
駅から1~2分も歩けば出くわす風景です。
この川をずっと向こうへ1kmほどたどれば鼓ヶ浦海水浴場手前の大きな川へ合流します。
▼上の写真から少し目線を左にずらしたカットです。
左手前に郵便局があり、その向こうに北伊勢上野信用金庫の看板が見えますが、この信金は鈴鹿支店として別の箇所へ統合されたようで、現存していません。
鈴鹿市では箕田支店も統合されたようで、かなり支店が減ったようです。
▼今回記事の旅の目的地は「子安観音寺」ですが、その前の通りです。
古き良き時代の雰囲気が残る通りで、大善という鮮魚店の看板が見えました。
通りの家屋の軒の部分が、どこを見ても渋いと感じました。
▼という訳で、目的地の子安観音寺へ到着。
鼓ヶ浦駅から3分も歩けば着くという、超アクセス至便な場所にあります。
それもその辺のお寺とはちょっと違うので、観光のし甲斐があります。
↓サイトがありました
1,300年の歴史をもつ名刹です。
▼子安観音寺の山門の正面です。
既に貫禄あり、風格あり、そして鮮やかなお寺でした。
そして右向こうに見えているものも立派でした。
これを見に、中へ入っていきます。
▼子安観音寺内の文化財
の案内板がありました。
大正時代の桜があるという事で、桜は樹齢60年くらいが寿命と聞きましたが、枯死していなければかなり長寿の桜だなというところで。
▼山門をくぐってから見えた、中の拝殿は実に色鮮やかなものでした。
この赤と緑の色づかいはどこか韓国寺院っぽい雰囲気も感じられますが、中には弘法大師様にお祈りする時の文言が記されていました。という事で、真言宗のお寺です。
▼霊験あらたかなお寺というところでしょうか。
色々と書き並べられてありました。
・観音霊場第二十二番札所
・三重四国八十八ヶ所第十六番札所
・伊勢西国霊場第十九番札所
といった具合です。
▼手水舎も立派なものがありました。
▼「智慧の塔」とされる三重の塔がありました。
三重県にあった三重塔!です(笑)
正直、市の中心でもない駅から歩いてすぐの所で、こんなに素晴らしいものが見れると思っていなかったので、嬉しい誤算でした。
建てられたのは古くからではなく、1998(平成10)年という事で、この当時ではまだ建ててから10年ほどしか経っていませんでした。
▼こちらが大正時代に国指定の天然記念物とされた桜である「不断櫻(ふだんざくら)」です。天然記念物指定時の標柱に「内務省」と刻まれており、時代を感じます。
里桜の一種で、年中葉が絶えず、不断櫻といわれる所以かと思いますが、開花も春秋冬におよぶ長いものといいます。
かなり古くから全国的に知られたものだそうで、永禄年間の道中記に「名木」と謳われた記載が見られ、永禄とは元年が1558年なので、室町末期にはそのように記されていたのですね。
という事で「観音寺仁王門」が指定されており、立派な仁王像がそこにありました。
記念物の宝庫でもあるこのお寺です。
鈴鹿では個人的に鈴鹿サーキットを見ておらず、町の風景はいくつか流し見てきましたが、まずはここの記憶が強く残っていたのでお送りしました。
もう一ヶ所、訪ねた所があるので、次はそこを載せたいと思います。
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