続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

生活と世の中と思い出と(1981年①)

遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。

最初のブログ「トラベルとかナントカ」で連載していましたが、写真容量が限界で記事更新不可能となった為、記事を丸々こちらへ引越し(前のブログにも残していますが…)したのを契機に、こちらのブログで連載を続けることにしました。

このブログだと写真容量も気にしなくてよいので制約なく記事が書けるというものです。

 

という事で、今回は1981年のニュースと自分の当時の生活とを絡めて綴ります。

当時小4の終りから小5でした。

 

↓1982年の同内容記事はコチラ

lefthand926.hateblo.jp

 

エースコック「力うどん」発売

この年だったんですね。82年には認知していましたが…。

何が画期的って、カップうどんに「おもち」が入った事です。

それまで「どん兵衛」のお揚げはありましたが、お餅が丸ごと入った!というその発想に驚きました。

これのCMだったと思いますが、先生が小学生の生徒に「たなか!」と関西イントネーションで怒鳴るシーンが記憶にあり、これまた画期的でした。CMに関西弁が入ったという意味で。

 

●名古屋女子大生誘拐殺人事件、犯人逮捕

この前年末から、誘拐された女子大生の事が当時実名で報道されていましたが、家族ともこの女子大生の事が「無事かな?」とか話していたのを覚えています。結局、この犯人逮捕により被害者が殺されていた事も分かってしまいました…

 

ポートライナー開通

神戸にポートピア'81というのが開催される、というのがCMで散々流れていました。

ゴダイゴが歌うCMソングが印象的でしたが、リアルタイムではこれがゴダイゴとは知りませんでした。ゴダイゴの事は「西遊記」の主題歌で知っていましたが、ヒットから遠ざかったゴダイゴがこれを歌っていたのを知ったのは、後の事でした。

 

横綱・輪島引退

大相撲の横綱として北の湖と共に「輪湖時代」を気づいた名横綱の輪島が3月の春場所で引退しました。

この時期は大物力士の引退が相次ぎ、ひとつの時代の終りを確実に告げる事をなんとなく感じました。昭和55年暮れには横綱三重ノ海が引退し、明けてこの年1月場所大関貴ノ花が引退、そして次のこの場所で自身と大関・増位山が引退という、これだけ上位陣が立て続けに引退したら、やはり時代の変化を感じるというものでした。

一方で千代の富士が一気に台頭し、関脇から大関に上がったと思ったら、わずか3場所で大関を通過し横綱になりました。

 

ピンクレディー解散

数年前日本を席捲する大ブームを巻き起こしたピンクレディー、小学校で知らない子はいなかったレベルの大人気ぶりでしたが、いつの間にかすっかりその名前や存在を聞かなくなって久しい…と思っていたところ、雨模様の後楽園球場での解散コンサートの様子がニュースで流れてきました。

キャンディーズが人気絶頂の形で解散したのに対して、ピンクレディーの解散はすっかり人気が落ちてしまってからのもので、観客も満員ではなかった印象があり、個人的にひっそり解散した、そんな印象でした。

偶々タイミングがそういう形になっただけと思いますが、アメリカ進出の間にすっかりシーンが変わってしまったなど、今から思えば理由は色々あるんだな、と改めて感じます。

 

報徳学園優勝

甲子園の夏の高校野球選手権大会で、地元兵庫の報徳学園が優勝しました。

この年は大府(愛知)の槙原寛己投手など話題になりましたが、後に近鉄に入る金村義明投手がエースの報徳が決勝戦で京都商を下し日本一になりました。この決勝戦テレビで見ていたのを覚えています。

 

●遠東航空墜落

夏休みにテレビを見ていたらニュース速報が流れてきて、作家の向田邦子さんが飛行機事故で亡くなったとありました。向田さんの存在はこの時に知ったのですが、その後いろいろと向田さんの作品がドラマで放送され、偉大な作家である事を知りました。

 

江本孟紀突然の引退

江本突然引退、みたいな話が飛び込んできて、阪神首脳陣への批判みたいな感じで突然引退した、と聞いた印象があります。「ベンチがアホやから」というのは後に知りましたが、一軍で普通に投げていた投手が突然喧嘩別れみたいな形で引退した、というのは子供心に衝撃でした。

 

●宇野ヘディング事件

中日・宇野勝選手がショートでフライを頭に当てて落球し、彼といえばヘディングとして有名になり、その後の珍プレーでも必ず流れていました。

 

●巨人日本一

プロ野球の話が続きますが、巨人が4年ぶりにリーグ優勝を果たし、日本ハムとの「後楽園対決」の日本シリーズを制して8年ぶり日本一になりました。自分が物心ついてから初めて見た巨人の日本一でした。

長嶋茂雄監督解任、王貞治選手引退となった前年から、時代の変化を感じる布陣となり、藤田元司氏が監督に就任し、ゴールデンルーキー原辰徳選手の入団により大きく変わった感がありました。

江川投手が20勝で最多勝となり、原選手は新人王、西本聖投手が18勝で沢村賞を獲得しましたが、沢村賞で江川投手が受賞するものと思われていたところ西本投手が受賞し記者会見が話題になりました。

 

スター千一夜終了

子供の頃、平日夜の番組としてTVで目にしていたのがこの「スター千一夜」でした。

当初「スター"せんいちや"」と読めずに「千一夜」という字面だけ見ていた感じでした。

フジテレビの夜の帯番組で、旭化成の提供でした。

今では絶対存在しえない番組でしたね。スターの距離感がほどよく、大物の一面を垣間見た感があったりして。

また志垣太郎という人を俳優としては「あかんたれ」以外で印象なかったのですが、なぜか記憶にすごく残っていてなぜだろう?と思って後から見返すと、この方が司会をやっていたのですね、というのが後年You Tubeなどで分かる訳で、良い世の中になったものです。

 

テレビ東京へ改称

この年改称されて現在に至る「テレビ東京」の存在を知ったのは後でしたが、前身の東京12ちゃんねるというワードはそこかしこで見た気がしました。

関西ではテレビ大阪がこの次の年に開業しますが、当時まだネット局がなく、地元ローカルのサンテレビ(兵庫)や他の民放でも時々、東京12チャンネルの番組が遅れネットや再放送などで放送されていました。

 

●北端夕張炭鉱事故

新聞の一面にデカデカと載っていたのを覚えていますが、昭和時代にはこのような炭鉱事故が時々発生し、多くの犠牲者が出ていました。その中でも上位に入る多数の犠牲者が出た事故だったといいます。

炭鉱産業というものがまだまだあった頃で、鉱山というところで働き、鉱業で賑わった街というものが存在しました。この事故のあった夕張なんてその最たる例ですね。炭鉱のあった最盛期には10万以上いた人口が今では1万人以下の人口で、自治体として借金が嵩むところとなってしまい、時代の変遷を感じます。

 

ヤンバルクイナ発見

新種の鳥として発見された事が、夜のニュースに取り上げられていたのを見ました。

殆ど飛べない鳥である事も話題になりました。

 

レーガン大統領就任

アメリカ大統領選挙が行われ、レーガン氏がカーター大統領を破って新大統領に就任しました。

リアルで最初に知った大統領がカーター大統領でしたが「大統領変わったのか…」という感じでした。その後レーガン大統領が狙撃されたニュースが入ってきたのもビックリでした。