遡って振り返る「生活と思い出と世の中と」、第11回は2011(平成23)年です。
今から10年以上前、ひと昔前ですが、なんといっても東日本大震災が衝撃的すぎた年でした。
個人的には41歳になる年でした。
●仕事
ペーペー(平社員)としてフルに過ごした最後の1年間でした。
しかし、部下も同然の後輩がついたり、翌年役職者になるフラグがついていた事が多数あったように思います。
外部の人とやり取りしている時は、こちらがペーペーと認識されてなかったようで、主任格と思われていたようで、その事と実務的な権限のなさの狭間でジレンマを抱えていたように思います。
またその主任格の会議体に本格的に常時参加となった年でもあり、正式発表はなかったものの、もうペーペーは終わりかな、と思ってました。
TV会議で、東日本拠点とやる時は「計画停電」に合わせたスケジュールを組んだりしていました。
●もちもの
パソコンを7年ぶりに買い換えました。それまでWindowsXPでしたが、Windows7へ。
携帯電話を初めてスマホへ買い換えたのもこの年でした。ガラケーと違って、歩きながら見てると視界がかなり遮られる感がありましたね。歩きガラケーとはいいませんでしたが、「歩きスマホ」はいわれるようになったなと。
スマホを買って程なく、後にも先にも1回きりの「水没」をやらかして、代用機で過ごしたりなども。ガラケーを使用していた最後の年、という事にもなります。
●ニュース
3月の東日本大震災が最大の衝撃でした。21世紀の日本で最も大きな災害と思いますが、津波の恐ろしさを初めてまともに認識した災害でもありました。
震災があると、ACの広告が鬼リピする訳で(阪神大震災の時もそうでしたが)、この年のは[E:#x266A]ぽぽぽぽーん、ってのが流行りました。
政権は菅首相が退陣し、野田首相が就任していますが、この時は年々首相が変わっていました。まだ民主党政権真っ只中の時期でした。
●訃報
横澤彪さん …フジテレビプロデューサーで「オレたちひょうきん族」の仕掛け人。懺悔コーナーの神父でも有名。
細川俊之さん …ニヒルっぽい渋い存在感で、主演級も助演も幅広くこなす。「あしたのジョー」の力石徹役で声優でも人気。
喜味こいしさん …兄弟漫才「いとし・こいし」の弟側として独特のダミ声でのツッコミが絶品
尾藤公さん …箕島高校の監督として数々の選手を甲子園優勝に導きプロへ輩出、1979年延長18回死闘の伝説
坂上二郎さん …コント55号として萩本欽一氏とともに一世を風靡したコメディアン。「夜明けの刑事」など俳優でも活躍
田中好子さん …キャンディーズのスーちゃんとしてアイドル界を席捲。その後女優として活躍。
田中実さん …連続テレビ小説「凛々と」で注目。「刑事貴族」など生真面目な役柄で人気。
児玉清さん …渋い存在感を放つ俳優にして「アタック25」の司会を生涯務めた数々の名セリフでも人気
長門裕之さん …人情味ある善人から憎らしい悪役まで幅広くこなした盟友。「赤い疑惑」など大映シリーズの悪役で人気
宮尾すすむさん …日本の社長を訪ね歩いたタレント。独特の「ハイっ」のポーズも有名
原田芳雄さん …陰のある独特の存在感と不良性をもったキャラが当たり役の俳優。影響を受けた後輩俳優多数。
伊良部秀輝さん …稀代の剛速球投手としてメジャーにも渡り阪神でも活躍も若くして自殺
高城淳一さん …悪役・イビリ役などでTVドラマで存在感。「大都会」「西部警察」両シリーズでイビリ役として君臨
竹脇無我さん …青春スターから時代劇ヒーローへ、淡々とした独特の物腰で存在感
滝口順平さん …「ヤッターマン」のドクロベエなどの独特のセリフ回しが有名な声優
杉浦直樹さん …とぼけた役どころがはまり役の俳優。独特の頭髪の分け位置で、養毛剤のCMなどで有名。
山内賢さん …映画の青春スターから、TVでは「あばれはっちゃく」シリーズ全編で担任の先生役
柳ジョージさん …渋い外見にサングラスと高くパワフルなブルースロックシンガーとしてシーンを牽引
隆の里関 …不屈の闘志で糖尿病を克服し30歳を過ぎて横綱になった「おしん横綱」。鳴戸親方としても相撲協会に尽力。
西本幸雄さん …阪急・近鉄の監督として強い球団に育て上げ、数々のリーグ優勝をもたらしながら日本一は無縁の「悲運の名将」
上田馬之助さん …プロレス界の悪役の存在感を上げ、タイガー・ジェット・シンとの凶悪コンビは有名
杉原輝雄さん …ガンに侵されながらも現役を全うした不屈のプロゴルファー
入川保則さん …ドラマのゲストを主に活躍。関西ローカル「部長刑事」で主演。余命宣告後の毅然とした姿が話題に
●プロ野球
巨人に澤村拓一投手が入団し新人王を獲得しました。
引退はヤクルト・石井弘寿投手、長年タフな中継ぎとして活躍しました。阪神の主力としても活躍した濱中治選手が引退、阪神⇒オリックス⇒ヤクルトへと渡りましたが、ケガや不調で大器になりきらなかった感がありました。
豊田清投手がそこそこの成績を残しながら広島で引退、西武のイメージが強いですが、巨人にも在籍していました。
オリックス・田口壮、中日・佐伯貴弘等の40歳越えの選手が現役最終年となり、翌年に正式に引退するなどしていました。
●大相撲
野球賭博問題で何十人も書類送検され、更には八百長問題の発覚で、異例の春場所が中止されるなど、揺れに揺れた大相撲界でした。
3月場所は戦後初の中止となり、次の5月は「技量審査場所」として無料公開し、2場所も連続して興行ができない(観客よりお金が取れない)状態となりました。
優勝は全5場所中、白鵬が4回でほぼ独占、あとは日馬富士が1回しており、相変わらずモンゴル勢の壁が厚い状態でした。
引退力士は、八百長等の関係で解雇も含め多数発生しましたが、これ以外の正式な引退者としてまずは大関・魁皇です。千代の富士が挙げた通算1,045勝を上回る歴代1位の1,047勝をあげて39歳を目前に引退しました。幕内在位107場所、大関在位65場所も共に1位の大記録を残しています。
その魁皇と同級生の関脇・土佐ノ海も引退しました。恵まれた体格に関脇・小結で連続して勝ち越しをあげるなど、大関候補の呼び声もありました。同じく関脇・北勝力も引退、2004(平成16)年には13勝を挙げて優勝争いにも参加し、大勝ちをした場所の多い力士でもありました。更には関脇・玉乃島も引退、キャリア前半は大勝ちを重ねて彼もまた大関候補と目された時期がありました。
その他は小結・普天王が引退、元十両ながら44歳まで現役を務めた栃天晃もこの年に引退しています。
●ハロプロ
スマイレージが前年メジャーデビューで大躍進していたと思ったら、8月に初期メンバーが初の脱退、その前に2期メンバーとして5名が当初「サブメンバー」の形で加入し、揺れに揺れていました。「なぜ最強の4人にメンバー追加するんだ?」という感じで、新メンバーに対する受け入れが必ずしも肯定的なものばかりではない状態でした。2期メンバーは8月に加入、9月に1人が病気離脱しますが、残る4人は10月に晴れて「正メンバー」へ昇格しました。しかしそれも束の間、またも初期メンバーが一人年末に卒業が決まり、快進撃を続けてきた(と見えた)スマイレージにかなり陰りが見えた向きもありました。(実はこの時、解散の話もあったそうで…)
Berryz工房の「ヒロインになろうか!」が発売、東日本大震災と時期的に被ってしまいましたが、個人的にこの曲が初めてリアルで発表されたシングル曲でした。それまで「イナイレ」路線でアニメ主題歌起用されていた曲が続いてきましたが、この曲からその路線を外れる事となりました。
●旅行
関東の未訪問市を巡る旅をよくやっていました。埼玉県や千葉県、茨城県など。
福島県の会津地方へ初めて行きましたが、会津若松でホテルが取れずに旅行も断念し、再訪は10年後となりました。また喜多方へも初めて行きました。夏の盆時期に行きましたが、福島でもめちゃくちゃ暑くて、歩いている時はただただ苦行でした。