続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

生活と思い出と世の中と(2004年)

遡って掘り返る「生活と思い出と世の中と」。18回目は2004(平成16)年です。

21世紀初の夏のオリンピックであるアテネ五輪が開催された年で、野球界では近鉄バファローズが消滅した年でもあり、個人的には34歳になる年でした。

 

●仕事

今勤めている会社に入った年でした。

数年前にこの世界で拾ってもらって、その後自分は親会社側へ属し、かかわりを持ちながらも彼らと別会社に属す事になりましたが、諸事情あり子会社側から拾われる形で入る事となりました。

しかしそこに至るまでが大変でした。何故ならそこへ行くのが嫌だったからです。
それまで自分は親会社の派遣社員でやっていましたが、ある時から連日、子会社(今の会社)の方から呼び出されて入社の勧誘をされ、しかもここではない別の街で働けと言われ、無理!という事で断っていました。何せそこは土日も昼夜もない所で残業も凄まじいと聞き、盆正月もどうやら…という感じで、土日休みなかった為に最初の会社を辞めた経緯もあり、そこだは守りたいとこだわっていました。
せっかく月~金で自分のペースでそこそこ働かせてもらえる会社をわざわざ抜ける事は無いし、今の仕事でまだまだ覚えたいことが沢山ありました。

それで全面的に断っていましたが、何せ当時の自分が派遣社員身分であった為か、その後も勧誘が続きました。
「収入の安定」という殺し文句も持ってこられて、これは当時時給で働き、ボーナスも皆無であった状況には確かに「刺さる」言葉ではありました。
やがて提示条件が緩和され、現在の勤務地で違う部門での配属とすると突き付けられ、そこから少し折れて検討する事になりました。
そこで言われました「チャンス掴め!」と。この言葉も正直刺さりました。

最終的には派遣社員から正社員になれる、という大条件に負けて?周囲と色々相談の結果、入社を決意します。

色んな人との関わりの中で、自分は生かされていて、自分の道もそういう中で決まっていくんだな、という事も大いに感じた時期でした。

 

●運転から離れ

この前年の初めに、90ccのスクーターを買って乗り回していましたが、9月の初めに出かけの途中の道で急にエンジンの破裂音と共に止まってしまい、エンジンがかからずに、結局何kmも押し歩いて家の近くまで戻りました…。

後日近くのバイク屋でなおしてもらおうと思って、近くの公共駐輪場へ停めていたら、カギ穴が壊されていて、持ち込む気が失せてしまい、結局は家まで押し歩いて帰りましたが、治すことなくナンバープレートを返納し廃車手続を取りました。

それまでの間は、90ccのバイクで片道250kmある街まで走ったり…、2県境をバイクで跨ぐのは12年ぶりだったのでだいぶ緊張しましたが、しんどさと面白さと両方ありました。前回は125ccでしたが、90ccで走るのは厳しかったですね…。

バイクで電車の線路に沿う形で各駅を訪ねたりなんかも楽しかったです。

 

●PC

この年PCを買い換えました。

TV連動?のやつを初めて買って、大容量のHDDでということで、すごくスペックアップしました。このPCは特に気に入ってた事もあって2011(平成23)年まで7年間使っていました。

 

●ニュース

九州新幹線新八代鹿児島中央間が開業しました。

新潟県中越地震が発生し、大きな災害が発生しました。地震の度に被害状況が映されますが、阪神大震災を近くで経験してるので、いつ見ても痛ましさばかり感じます。

新札が久々に発行されました。五千円札は新渡戸稲造氏から女性の樋口一葉氏になり、千円札は夏目漱石氏から野口英世氏へ代わりました。千円札は変わった気がしませんでしたが自分だけでしょうか??

 

●訃報

玉川伊佐男さん …忠臣から悪役まで幅広くこなした性格俳優。「大都会 -闘いの日々」の課長代理など

手塚しげおさん …元スリーファンキーズで人気。「ウルトラマンレオ」隊員役や「太陽にほえろ!ジーパン刑事射殺犯役など。

いかりや長介さん …ザ・ドリフターズのリーダーとして「8時だヨ!全員集合」で国民的人気を得て、後には渋い俳優へ。

又野誠治さん …「太陽にほえろ!」ブルース刑事として番組後期をアクションで支えた俳優も若くに自死

三ツ矢歌子さん …昼メロの女王の異名を取った女優。

下川辰平さん …「太陽にほえろ!」で地道な捜査を信条とした長さん役で人気。「長七郎江戸日記」の三宅宅兵衛役も。

中谷一郎さん …「水戸黄門」の「風車の弥七」役で長年人気を博した。

芦谷雁之助さん …喜劇人から俳優へ。「裸の大将」での山下清役は大当たり役。

横山光輝さん …「魔法使いサリー」「バビル二世」などの漫画家。火災事故死。

三橋達也さん …十津川警部役で人気の俳優にして「連想ゲーム」でも人気。クレー射撃は芸能界屈指の腕前。

鈴木貴久さん …元近鉄バファローズ選手でパワー溢れるチームの象徴的存在。コーチ時代練習後に帰らぬ人に。

金田一春彦さん …国語学者として有名。辞書の監修なども。

高畠導宏さん …元ロッテ打撃コーチなど歴任したプロ野球選手から、高校野球の指導者目指して教職の道へ進むも叶わず病死

鈴木義司さん …「お笑いマンガ道場」で冨永一朗氏とやりあって人気を得た漫画家。

星セントさん …「セント・ルイス」として漫才で人気を博した、コンビの長身の方。後年ルイス氏も後を追うように逝去。

中島らもさん …エッセイストにしてコピーライター。「明るい悩み相談室」が有名。階段から転落し早世。

下条正巳さん …寅さん映画の「おいちゃん」役で有名な飄々とした雰囲気の俳優。息子に下条アトム氏。

渡辺文雄さん …「非情のライセンス」橘役など有名な俳優。「連想ゲーム」解答者や「ソルマック」CMなども有名

徳永善也さん …「チェッカーズ」のクロベエとして人気を博したドラマー。舌癌で40歳の早世。

江角英明さん …悪役から刑事役まで、刑事ドラマ系のゲストには欠かせない名優。

松原みきさん …「真夜中のドア」などの楽曲が有名な歌手。がんにより44歳で早世。

原健三郎さん …元衆院議長。「ハラケン」のニックネームと共に衆院議員54年務め、93歳まで在職。

荻島眞一さん …二枚目俳優で、コメディーも悪役も様になった名優も58歳の早世。

島田正吾さん …新国劇の看板俳優で晩年はフィクサー的役どころも。98歳の大往生。

 

プロ野球

冒頭触れたように「近鉄バファローズ」の消滅がありました。オリックスブルーウェーブ」もこの年限りとなり、「オリックスバファローズ」に統合され、残った選手は当時新規参入した「楽天」が引き取る事となる、「球界再編」の波が高まった年で、新規球団となると、これ以降は今現在までありません。

また、これは統合ではありませんが、福岡「ダイエー」ホークス最後の年にもなりました。ダイエーの経営が行き詰ったからですが、翌年以降は現在の「ソフトバンク」になります。

新人王はセ・リーグはヤクルトの川島亮投手、パ・リーグダイエー三瀬幸司投手でした。三瀬投手は28歳での(29歳の学年での)デビューとなりましたが、4勝3敗28Sと堂々のストッパーぶりでした。

この2人に共通しているのはこの新人の年がキャリアハイになってしまった事でした。

日本ハムが北海道へ移転した初年度でもありました。新庄剛志選手がアメリカから戻って来て、その去就も注目されましたが、北海道へ移転して新生ファイターズを謳う日本ハムで、日本球界へ復帰する事となり、そして様々なエンタテイメントを観客や視聴者へ提供していく事となります。

巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が病に倒れたのもこの年でした。翌年東京ドームにその姿を現した事で話題になりましたが、当初の報道よりずっと症状は重かったように思いました。

阪神鳥谷敬選手が入団した年でした。思えば初期は色々言われながらもやはり結果を残してきて2000本安打に繋がってると思います。

ダイエー松中信彦選手が三冠王をマークしました。この当時がまさにピークで、その後急速に下がっていくとは全く想像もつかなかったですが…。

セ・リーグ首位打者は広島の嶋重宣選手で、元々背番号34(川口投手の後を継いで)をつけた投手として入団しましたが芽が出ず、打者へ転向しプロ10年目でようやく花開き、「苦節」という言葉も時々添えられていました。

引退選手としては、阪神で代々の神様として活躍してきた八木裕選手が39歳で引退しました。中日では川崎憲次郎投手が引退、中日へFA移籍し4年間の複数年契約でほとんど活躍できず、複数年契約の難しさを感じさせられました。西武ではシンカーで鳴らした潮崎哲也投手が引退、90年入団組として1年目から大活躍するも野茂投手はじめ多数のライバルと新人王を争いました。

 

●大相撲

年6場所中5回も朝青龍が優勝していた、やはり「朝青龍時代」でした。残りの1回は魁皇の優勝でした。

この年は大関まで上った力士が2名も引退しており、貴ノ浪が引退、キャリア前半は快進撃でしたが、ケガなどで顕著に凋落し始め、衰えも重なりあっさり大関を譲り渡して相撲を取る事になるとは思いもしませんでした。引退後は命に関わるレベルの大病も経験し43歳の若さで亡くなる事となります。
もう一人は武双山、彼はキャリア前半は飛ぶ鳥を落とす勢いでしたが、大関になるやケガも含め僅か2場所であっさり陥落し、その後関脇で10勝して大関へカムバックし、引退まで大関を守り抜き、貴ノ浪とは対照的な引き際となりました。

関脇はいませんが、小結ではまず小城錦が引退、小城ノ花の弟として兄弟同時幕内在位して活躍しました。もう一人元小結は浜ノ嶋です。肥後ノ海とライバル関係でしのぎを削ってきましたが、個人的に同学年でもあり好きな力士でした。

幕内では若ノ城、大碇が引退、後に宮城野親方として白鵬の師匠になる金親は元十両力士でしたが、この年に引退しています。

 

●旅行

先に触れましたが、バイクで近場を乗り回して、線路に沿って駅を訪ねたりもしていした。

天橋立もこの年に初めて行きました。「日本三景」で唯一、行った事のなかった場所でしたが、ロープウェー上って、てっぺんで股覗き、やりましたねえ。当時ガラケーで写真も撮りましたが、画素数粗すぎて見れたものではありませんでした。

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