(2009年8月当時)
▼もう10年以上前の2009年の姿となります。まずは当時泊まったホテルからですが、東横イン一ノ関駅前です。
市名の場合は「一関」、駅名の場合は「一ノ関」と「ノ」の字が間に入るというややこしい表記になっています。
この当時は東横インによく泊まっていて、ここは会員になって10回泊まると1回分が無料になるというので、数年間は時々それをやっていたものでした。
▼一ノ関駅前の通りです。
直進すると平泉へと至り、左折すると仙台や気仙沼などへ至る形になっていました。
▼一ノ関駅前からホテル群を見てみると、駅前にはかなりホテルが密集しているのが分かりました。一関という街に個人的に持っていたイメージに反し意外にも?駅前にホテルが多いんだなと感じました。
▼これも一ノ関駅前ですが、昭和22年9月のカスリン台風と、1年後の23年9月に発生したアイオン台風という2つの台風の洪水位を示したものがありました。
カスリン台風は群馬や栃木などを中心に死者1,077名を出したというもので、この辺りでは一関市を中心に川が大氾濫を起こしたといいます。
アイオン台風は前年のカスリン台風の復旧が終わり切らないうちに、それよりも大規模に襲ってきた台風ということで、これが追い打ちをかける格好となり一関で500名の死者を出したといいます。
▼一ノ関駅前通りを歩いていると、通りのサイドにこんな感じで郷土の偉人が紹介をされていました。
ここでは長沼守敬(=ながぬま・もりよし:1857-1942)という人物が紹介されていました。一関出身の洋風彫刻家で、我が国で初めてヨーロッパに渡って彫刻を学び、これを日本へ戻って還元し、洋風彫刻の発展に寄与した人物です。
▼次は高平小五郎(=たかひら・こごろう:1854-1926)という人物です。
やはり一関出身で、明治期に外交官として活躍し、小村寿太郎などと共に近代の日本外交樹立に多大な貢献をした人物です。
▼お次は阿部美樹志(=あべ・みきし:1883-1965)という人物です。
上2人が江戸時代生まれに対して、この人物は明治生まれで昭和40年まで存命していました。コンクリート博士と称されたコンクリートの開祖たる建築家で、我が国初の鉄筋コンクリート高架鉄道の建築者です。梅田の阪急百貨店や阪急梅田駅、阪急西宮スタジアムなど阪急関係の様々な建築物も手掛けたといいます。
▼交差点付近で、観光名所や施設への標識が出ていました。
蔵のひろばや武家住宅…行きたかったところですが、時間の都合で見送りました…
▼日本の道百選として「おくのほそ道」とありました。
そして「芭蕉の辻」とも。
それにしても日本各地どこへ行っても芭蕉に関する何かがあって、改めてすごいなと思いますが、この辺だと一関というより平泉が縁深いものがあるかなという感じですね。
▼ちなみに一関は岩手県のこの辺です。
ホテルのTVで天気予報見てた時のものですが、南西部にあるのですね。
というところで、駅前の通りを歩くことで郷土の偉人を知る事ができるという素晴らしい通りでした。