(2015年5月当時)
▼太田駅北口商店街
として、歩道のみアーケードの商店街がありました。
シャッターの空いていたお店があまり見られませんでしたが、左手前の食堂は今でも営業しているようです。
▼太田駅北口商店街を歩いていきます。
昔ながらの雰囲気満載でした。
地元のお店もありつつ、向こうには不二家も見えました。
この写真から既に9年経っていますが、手前のタバコ屋さんは残っているのでしょうか…?煙草だけではないお店のようで、他で続いているのかもしれませんが。
▼路地へ入って、更に昔ながらの店が軒を並べている感の強い所へ。
こういう通りを見る度「昭和のいつごろから変わってないんだろうか?」と思わされます。
▼こちらもまた「CD ビデオ カメラ」と並べ立てられた軒先で、この当時でも閉店してかなりの月日が経っていたと思われます。
▼太田市役所前の交差点から市役所を眺めた様子です。
右の高い建物が太田市役所庁舎で、1994(平成6)年に着工し1998(平成10)年に竣工しています。
当初は21階建て、総工費232億円の予算で構想され、実際に着工されましたが「豪華すぎる」との批判もあり、これが市長選挙の争点にもなりました。
結局、反対派の候補が新市長に就任し、12階建て、総工費158億円に圧縮される形で工事が再開され、工事業者の反対も新市長が説得する形で竣工までこぎつけたという、いわくつきの建物という訳です。
▼太田パークレーン
というボウリング場です。
1969(昭和44)年に開業され、当時はまだ営業していましたが、この5年後の2020(令和2)年5月に閉店となりました。ボウリングの衰退とコロナ自粛が始まった頃という状況から閉店へ追いやられたのでしょうか。
翌2021(令和3)年初めには解体工事が始まったといいますが、その跡地には桐生信用金庫という金融機関等が入ったといいます。
▼古いシャッターのお店ですが、ここはネットで検索しても出てくるし現役のようです。「東芝カラーテレビ」のようなこんなシャッターは70年代にはよくありましたね。
▼太田宿本陣跡
の碑がありました。
日光例幣使(れいていし)街道という街道の宿場町で、1643年に成立したといいます。
例幣使というのは、神に捧げる幣物を届ける使者の事をいい、ここでは日光東照宮へ届ける使者を指しますが、この太田もその道中の宿場町として
▼このユニークな建物は群馬大学の太田キャンパスで、2007(平成19)年に開設されました。主に理工系の学部が使用しているといいます。
▼再び太田駅北口商店街へ戻ってきました。
右手前の「明治チョコレート」の表示のあるコンクリートの建物、いつ建てられたのか?すごく気になります。かなり年季入ってそうで。
という訳で、駅前の街並みを流し歩いただけで、これという所へは行っていませんが、太田市内でした。
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