(2011年3月当時)
▼まずは新飯塚駅通りという交差点にて、新飯塚駅前の歩道アーケードのついた商店街がありました。
ちなみにここは「新」飯塚駅前ですが、JR飯塚駅との関係性は、飯塚駅は旧市街の中心地であったのに対して、1964(昭和39)年に飯塚市役所がここ新飯塚駅近くへ移転してきてから、この新飯塚の方が中心地として栄えるようになり、駅利用者数でも飯塚駅より4倍ほど多い形となっています。
また両駅は隣駅同士で、新飯塚駅の南側約2kmの地点に飯塚駅があります。
▼商店街の「百縁市」というイベントの看板が出ていました。
このイベントは昨年末も行わていたようで、今もずっと続いているようですが、2019年のおなじ12月に「第51回」が行われたので、2020年は3度開催されている格好です。コロナに負けず、というところでしょうか。
写真は2011(平成23)年当時ですが、この頃は「偶数月の15日」に開催されていたようで、最近よりも頻度が高かったようです。
▼飯塚市のマンホールです。
カラー版と両方見つけられました。
市の花であるコスモスが散りばめられたものでした。
▼飯塚市役所です。
これがこの近くにできた為に、それまで飯塚駅周辺が市の中心であったのが、その座を新飯塚に取って代わられたようです。
といっても、この写真の市役所は旧・市役所となってしまい、下のように2017(平成29)年に新庁舎が北隣に完成し、同年5月より供用開始となっています。
これに伴って、この写真の市役所は解体され、今はもう見る事ができなくなっており、貴重な旧市役所の記録が残せた、事になります。
▼新飯塚橋です。
市役所を横目に西へ進んで、川と交差する地点で、欄干の端は渋い石造りで、黒ずみに時の流れを感じました。
▼新飯塚橋から眺めた川の様子です。
流れる川は遠賀川(おんががわ)です。
橋の真ん中に陸地があり、ここでは川に挟まれた狭い陸地になっていますが、南へ進むにつれて純然たる陸地になっていきます。
▼新飯塚橋を渡り切った辺りです。
国道201号線上にありますが、直進で福岡へ、交差する道路で北九州または飯塚市外へと至り、この先が国道同士の交差点となります。
▼ちょっと路地裏に入ってみて、中村印刷所という所へ。
この建物が渋すぎて惹かれました。
木枠の窓は歪みが出ていて、全体的にのっぺりとした平面的な外観、二階部分の窓と下半分の格子状の部分…と、建物としてなかなか見どころ満載では??という感じでした。この10年前当時でも、使われなくなって久しい建物のようで、いつまで操業していたのか気にかかるというものです。
▼曩祖(のうそ)八幡宮という神社に行き着きました。
厄除祈願の幟が並んでいて、階段を上って行き着きますが、神功皇后などが祀られた神社です。創建年代は不明ですが、1359年には社殿が造られた、とありました。
▼八幡宮の建物エリアへ上ってきたら、このような馬がお出迎えしてきました。
▼境内にあった「庖丁塚」です。
当時の福岡県知事による書がなされていますが、亀井光氏という人物で、1967(昭和42)年-1983(昭和58)年の4期16年を知事として務めた人物です。
「神祭る 庖丁塚に 菊かほる」なる句が下に記されていました。
庖丁を大事にしようという心がこの神社には示されているのですね。
▼つづいて「筆塚」もありました。
筆塚は筆書道の師や文筆家などが死んだときに供養塔としてつくられるものと思いますが、ここにある筆塚の筆はエンピツに近い印象すらありました。
▼拝殿周辺の様子です。
真ん前の塔がてっぺんで繋げられていて、片側は角のように曲線で尖って伸びていました。拝殿前は両サイドにしっかり酒樽が積まれていました。
▼狛犬は鞠を踏んづけているタイプのものでしたが、手のひらで踏んづけているのはよく見ますが、ここでは両前足の手首?から肘関節まで使って、鞠に寄っかかるようにして踏んづけていて、結構珍しいのではないか?と思いました。
▼これも境内にありましたが、渋すぎる木造建築でした。
ひっそりと「最優秀作品展示場」なる表示がありました。