(2012年7月当時)
▼駅近くにある「中央町 一番街」の商店街です。
昔ながらの店が散見される通りでした。
▼三田市役所(当時)です。
1960(昭和35)年、三田市制施行した1958(昭和33)年の2年後にできた庁舎でしたが、三田市の市役所にしては小さいな、と思っていたら、この訪問時の2年後2014(平成26)年に新庁舎が完成お披露目され、翌2015(平成27)年に供用開始されたといいます。
なので、この建物はもう旧庁舎となった訳ですが、現役稼働時のカットとして貴重なものになりつつある…という事で。この時でも築50年を過ぎていたとは思いませんでした。
▼武庫川大橋という橋がありました。
武庫大橋という日本百名橋の素晴らしい橋がありますが、それとは別物です。
▼こちらは三田大橋という橋です。
右向こうに見える渋すぎる建物ですが、今ストリートビューで見ると既に更地になっていて、駐車場と塾になっていました。
▼そしてこれらの橋が架かる川は武庫川です。
阪神地区を代表する川、のイメージが個人的にはありますが、二級河川で延長は約66kmだそうです。丹波篠山市からここ三田市を経て、神戸市北区、西宮、宝塚、伊丹、尼崎とほぼ阪神地区の都市を網羅する形で流れています。
▼橋を渡った後の先ほどの今は亡き渋すぎる建物をアップで。
これもまた貴重なカットという事になりますね。
なんの建物かなかなか調べても出てきませんが、旧の消防署だったのでしょうか。
▼道中角っこにこんな渋すぎる家屋がありました。
看板もいつ付けられたものか?ってくらい時代を感じさせますが、その割にきれいな看板で、新たに作って貼ったのか?というくらいのものでした。
▼法務局前という交差点ですが、和風建築の素晴らしい建物があり、その手前に「歴史の散歩道」として各方面への標識が出ていました。
三田駅から850mの地点となりますが、三田城跡もあるという事で、しかもここからわずか150m、これは行くしかない!というものですね。三田駅から三田城跡までちょうど1kmになるのですね。
▼旧九鬼家住宅という旧家がありました。
三田の街でこんなところに出くわすとは思いませんでした。
資料館になっていますが、一見和風建築に見えて上層をよく見ると洋風の要素もあり、日本で数少ない「擬洋風建築」というものです。全体像が撮れていなくて分かりづらいですが。
この住宅は1995(平成7)年まで実際に九鬼家子孫が暮らしていたそうですが、歴代当主の中で九鬼隆範(=くき・りゅうはん:1835-1908)という人物が特に取り上げられていました。
三田藩士の家に生まれ、家老の九鬼家に養子に入った人物ですが、明治期に鉄道建設に貢献した人物という事ですが、この家屋の設計者もこの人物だそうです。
▼古城浄水場というのがありました。
向こうの橋には「ふるしろぼり」とあり、この辺が三田城跡の辺りかなと思いつつ歩いていました。
▼お城のお濠だったのかな、と思わせる「ふるしろぼり」の辺りでした。
▼川本幸民先生 顕彰碑
とありました。
川本幸民(1810-71)という人物について、ここでも九鬼氏が出てきますが、九鬼隆国(1781-1853)の命で江戸で蘭学などを学び、日本初のマッチ・写真機・ビールなどを自分で試作したといいます。また日本で「化学」の訳語を当てた人物でもあるそうです。
▼三田城跡
と明確に示された場所へ来ました。
かなり早期に廃城になった上に、その歴史がよく分からず、あまり遺構らしきものも見られないというところで、学校の塀を一部城郭風の建築にしているものの、歴史的価値は疑問のようです。九鬼氏が鳥羽より赴任してきた江戸時代の藩政下においては、城というより陣屋とみなされていたようです。
▼有馬高校は三田城の跡地に建っている旨が記されていましたが、金心寺というお寺があったのが、秀吉の三田城攻略時に焼失したともありました。
▼元男爵 九鬼隆一先生生誕の地
との石碑が立っていました。
またまた九鬼氏です。
九鬼隆一(=くき・りゅういち:1852-1931)は、明治から昭和初期にかけての政治家ですが、1866(慶応元)年に九鬼家の当主となっています。その後はここにあるように美術・文部の世界で官僚として活躍し、当時藩閥色の強かった中で異例のスピード出世を遂げたり、かなり才覚のある人物であったようです。
▼車瀬橋商店街
という渋いいでたちの商店街に出くわしました。
本当にここ三田なんだろうか??と思うばかりで、勝手に自分の中で三田=ベッドタウンって感じだったので、こんなに色々歴史を感じられる場所に出会えるとは思っていませんでした。
何の変哲もない昔ながらの商店街ですが、実は何を隠そう
「日本一短いアーケード商店街」だそうです。
その長さ約50mという。
それでいて、シャッター商店街ではないようで、店の構成表を見てもびっしりと隙間なくお店が詰まっていました。
▼ほんまち
と表記された街灯の立つ商店街でしたが、とにかく渋い街並みでした。
こういうのが見たかったんだ、というところで。
これはもう三田駅前というより、神鉄だと隣駅にあたる三田本町駅前辺りになります。
本町は旧市街の中心で、かつての栄華がどことなく感じられるエリアでした。
こんな感じでHPもありました。
ベッドタウン的なニュータウンと思っていた三田に、こんなに歴史を見いだせて実りある旅でした。