(2000年2月当時)
▼上のリンクの駅記事でも載せましたが、まずは2000(平成12)年当時の甲府駅です。
この時、日本の全47都道府県で最後に訪問したのが、この山梨県であり、最初は大月市から入り宿泊しましたが、その後この甲府までやってきたという訳です。

▼2000年当時の甲府駅前広場です。
「宝石の街甲府」とありますが、水晶の産地として有名で、そこから技術的に活かされてこのように呼ばれるようになったといいます。

▼甲府駅前通りです。
さすがは県庁所在地の駅前という感じで、片側複数車線の道路が続いていました。
右奥にはマルフクのビルが見えますが、この2年後の2002(平成14)年には全店舗が閉店となります。

▼甲府城二の丸に現存する「武徳殿」で、全国各地に武徳殿は点在しますが、1933(昭和8)年竣工で、甲府市内にわずかに残る建物のひとつで、現在は山梨県警の武道場として使用されているといいます。
甲府は第二次世界大戦中の1945(昭和20)年7月に空襲で1,000㌧近い焼夷弾が投下され壊滅的な被害を受け、市街地の約75%が灰燼に帰したというそれは凄惨なものだったといいます。それを潜り抜けてこの建物は残っているという訳ですね。

▼甲府城跡に本格的に入りました。
甲府駅から徒歩5分程度で行けるアクセス至便な城跡です。
甲府城は鶴舞城ともいい、1583年に築城されたもので、武田氏の滅亡後に徳川氏が甲斐を支配し、城下町の整備が進められたといいます。
てっぺんに立っているものは高さ約18mの謝恩碑という事で、甲府市は明治40年代に二度の大水害を経験し、明治天皇がその災害を憂慮し侍従に視察させ下賜(かし)したという事で、その謝意を表すため、1919(大正8)年に完成したといいます。これもまた戦前の貴重な建物のひとつですね。

▼甲府城の石垣部分です。
当時から天守台はあったものの天守が建てられる事はなかったといいます。(存在していた可能性も否定されてはいませんが…)
初めて甲府に行ったこの時で、一番お気に入りの写真です。
それまで天守の立派なお城ばかり見ていましたが、こういう未完の美のようなものを初めて感じたのがこのお城でした。

山梨県は人口的に甲府の一極集中という感じで、甲府以外に10万都市がない状況なので、この辺りの都会っぷりが山梨県随一と感じられます。

▼甲府城跡の山手門です。
いろんな門がありますが、これはそれほど豪華な感じの薄い門です。
その代わり両サイドの石垣が重厚感に溢れていました。

▼やはり「石垣の美しい城跡」という印象が強く、写真でこの25年前の様子を振り返ってもやはり同じ印象でした。

▼城郭を見下ろした様子です。
下から見ると石垣の美しさが印象的でしたが、意外と屋根や壁のあるエリアが広かった事も改めて感じさせられました。

▼お城らしく鉄砲穴もありました。

▼明治天皇御登臨之址
というのがありました。
先に謝恩碑の写真をあげましたが、こちらは明治天皇の天守台臨幸を記念して1938(昭和13)年に造られたといいます。

甲府はその後も何度か訪ねていますが、初回訪問時の25年前の写真は以上です。
機会を見て「②」以降の続編をupしたいと思います。
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