続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

山形/山形① 霞城公園をゆく!

山形県山形市JR山形駅から霞城(かじょう)公園(=山形城跡)を訪ねた様子です。

 

(2006年8月当時)

 

You Tubeへアップしました。

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ブログでもダイジェストでお送りします。

 

▼20年前の山形駅前 (西口)

当時まだこのような広大な更地がありました。

 

霞城公園に着きました。

歩きでもバスでも行けますが、入口によっては歩きだと距離的に辛いことがあります。

 

山形城は東北では最も広い城とされ、東西1.5km余り、南北2km余りの広大な敷地面積を誇ります。

17世紀初め、文禄年間に最上氏により拡張され、江戸初期に鳥居家により本格的に築城されました 

両サイドがお堀の通路を渡っていきます。 この城跡は、とにかく石垣が素晴らしかったです。 

 

▼外堀

いかにも四角という感じのカクッとした形状で、 そして緑色濃い樹々の風景も印象的でした。 

 

▼石垣の素晴しさを存分に楽しめます。

 

 

▼二の丸南大手門跡

の標柱が小さく立っていました。

本丸、二の丸が霞城公園として残されています。

 

霞城公園案内

単なる城跡ではなく、スポーツ施設も複数内包した エリアになっていました。

これはかつて運動公園として 整備された事によるもので、スポーツ公園かな、と思うくらいでした。

 

▼本丸一文字門の復元工事事業の看板がありました。

当時、この木橋の上には何もありませんでしたが、木橋の端に「一文字門」が取付き、今は立派な門のついた石垣上となっています。

 

▼石垣もですが、その向こうに見える土塁もきれいに整備されていました。

 

▼庭園スペースにはきれいに整備された植え込みに囲まれる形で最上義光公勇戦の像」がありました。 

最上義光は「よしあき」と読みます。

そして、その最上義光公の像がカッコよすぎました。

上を向いていて、馬の2本脚の部分だけが接地していますが、 ここの2本脚だけで実に3トンの重さを支えているそうです。 

 

▼(左)櫓門をサイドから見た様子です。

この右側が門の出入口となっています。 1869(明治2)年の版籍奉還後、建物や櫓などはすべて破壊されたので、後年復元されています。 

 

(右)櫓門を入ったところです。

この階段上にて時々 「東大手門一般開館」として開放される事があるようです。 

 

▼櫓門(やぐらもん)

高麗門を入った枡形内で、北櫓と向かい合う形でこの門があります。 

アップで見ると、木造部分も壮観である事が窺えます。

 

▼櫓門を出たところです。

東大手門内の枡形部分、北櫓(左)と高麗門(右)のカットです。

高麗門を出ると、二の丸東大手門の景色を見渡せます。 

 

▼二の丸東大手門(高麗門)を出たところだす

門は1987(昭和62)年に復元工事が着工され、1991(平成3)年に完成しましたが、工期が実に45ヶ月かかりました。

外堀には木橋が架かっていて、更にコンクリートの橋が架かっています。 

 

▼二の丸東大手門の説明板がありました。

山形城の正門であり、枡形の多門両櫓をもつ独特な形式の枡形門で、 江戸城の諸門に匹敵する規模をもつ、とありました。 

 

霞城公園前バス停です。

霞城公園を後にして、 100円循環バスのバス停へ向かいました。

現在は市内コミュニティバス 「ベニちゃんバス」として運行 されています。 

 

霞城公園前バス停から、「山交ビル センタービル前」というバス停へ来ました。

山形駅前バス停の隣に 位置する山形市内のバスターミナルです。

この時バスに乗って失態を犯した思い出が…、、いざ下りる時に小銭がなければ、千円札もなく、両替不能となり、降り際に「バスセンターで100円払ってください」と言われ、払いに行きました…。 

 

山形駅前に戻ってきて、旅は終わりです。

山形市内では、その後も何度か訪問し、ピンポイントに旅したことがありますが、機会があれば掲載します。いつか「山形②」の記事がアップできる日が来ますように…。

 

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