山形県山形市、JR山形駅から霞城(かじょう)公園(=山形城跡)を訪ねた様子です。
(2006年8月当時)
You Tubeへアップしました。
ブログでもダイジェストでお送りします。
▼20年前の山形駅前 (西口)
当時まだこのような広大な更地がありました。

▼霞城公園に着きました。
歩きでもバスでも行けますが、入口によっては歩きだと距離的に辛いことがあります。
山形城は東北では最も広い城とされ、東西1.5km余り、南北2km余りの広大な敷地面積を誇ります。
17世紀初め、文禄年間に最上氏により拡張され、江戸初期に鳥居家により本格的に築城されました
両サイドがお堀の通路を渡っていきます。 この城跡は、とにかく石垣が素晴らしかったです。

▼外堀
いかにも四角という感じのカクッとした形状で、 そして緑色濃い樹々の風景も印象的でした。

▼石垣の素晴しさを存分に楽しめます。

▼二の丸南大手門跡
の標柱が小さく立っていました。
本丸、二の丸が霞城公園として残されています。

▼霞城公園案内
単なる城跡ではなく、スポーツ施設も複数内包した エリアになっていました。
これはかつて運動公園として 整備された事によるもので、スポーツ公園かな、と思うくらいでした。

▼本丸一文字門の復元工事事業の看板がありました。
当時、この木橋の上には何もありませんでしたが、木橋の端に「一文字門」が取付き、今は立派な門のついた石垣上となっています。



▼石垣もですが、その向こうに見える土塁もきれいに整備されていました。

▼庭園スペースにはきれいに整備された植え込みに囲まれる形で「最上義光公勇戦の像」がありました。
最上義光は「よしあき」と読みます。
そして、その最上義光公の像がカッコよすぎました。
上を向いていて、馬の2本脚の部分だけが接地していますが、 ここの2本脚だけで実に3トンの重さを支えているそうです。


▼(左)櫓門をサイドから見た様子です。
この右側が門の出入口となっています。 1869(明治2)年の版籍奉還後、建物や櫓などはすべて破壊されたので、後年復元されています。
(右)櫓門を入ったところです。
この階段上にて時々 「東大手門一般開館」として開放される事があるようです。


▼櫓門(やぐらもん)
高麗門を入った枡形内で、北櫓と向かい合う形でこの門があります。
アップで見ると、木造部分も壮観である事が窺えます。


▼櫓門を出たところです。
東大手門内の枡形部分、北櫓(左)と高麗門(右)のカットです。
高麗門を出ると、二の丸東大手門の景色を見渡せます。

▼二の丸東大手門(高麗門)を出たところだす
門は1987(昭和62)年に復元工事が着工され、1991(平成3)年に完成しましたが、工期が実に45ヶ月かかりました。
外堀には木橋が架かっていて、更にコンクリートの橋が架かっています。


▼二の丸東大手門の説明板がありました。
山形城の正門であり、枡形の多門両櫓をもつ独特な形式の枡形門で、 江戸城の諸門に匹敵する規模をもつ、とありました。


▼霞城公園前バス停です。
霞城公園を後にして、 100円循環バスのバス停へ向かいました。
現在は市内コミュニティバス 「ベニちゃんバス」として運行 されています。

▼霞城公園前バス停から、「山交ビル センタービル前」というバス停へ来ました。
山形駅前バス停の隣に 位置する山形市内のバスターミナルです。
この時バスに乗って失態を犯した思い出が…、、いざ下りる時に小銭がなければ、千円札もなく、両替不能となり、降り際に「バスセンターで100円払ってください」と言われ、払いに行きました…。

▼山形駅前に戻ってきて、旅は終わりです。
山形市内では、その後も何度か訪問し、ピンポイントに旅したことがありますが、機会があれば掲載します。いつか「山形②」の記事がアップできる日が来ますように…。

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