青森県弘前市、「青森/弘前① 弘前公園三の丸・緑の風景」に続く、弘前市の記事第2弾です。
(2008年8月当時)
↓前回記事↓
まず最初は、この赤い橋です。
朱塗りの欄干に、純粋な木の柱というアンマッチな感じが不思議な雰囲気を醸し出し、一層存在感があったように思います。
この橋の名は「杉の大橋」というもので、杉材を用いた事によるネーミングと書かれていました。
水面に映る姿はとても良い佇まいを感じますが、途中で緑に隠れて途切れたみたいに写っているのがまた雰囲気ありました。
▼この杉の大橋、いろんな角度から見ると、いろんな顔に見えるなと感じます。この角度で見ると壮大さが感じられました。
▼こちらは正面からの杉の大橋です。
通路が視界に広がるとまた違った表情に見えるものですね。
下の柱が全然見えない角度なので、渋さが感じられずに逆に赤いビビッドな色合いが目立つ、綺麗な橋という感じの角度でした。
▼弘前公園でみられる野鳥
としてイラスト付一覧表がありました。
このうち、ひとつはハッキリ見れたので、この後しっかり出てきます。
▼二の丸大枝垂れ
とありましたが、シダレザクラです。
今から100年以上前の1914(大正3)年の植樹とあり、この当時2008(平成20)年でもうすぐ100年になろうかという頃でした。
桜って60年くらいが寿命と聞いた事もあり、これ凄いなと思って見ていました。説明書きにも「長寿のサクラとして知られている」とありました。
真夏に桜の木をしげしげと見た事もありませんでしたが、こんなに葉がついて緑色なんだなと改めて感じました。葉がない枯れ木をイメージしていませんでしたが、こんなに青々としてるイメージがなくて、という意味で。
▼こちらは下乗橋(げじょうばし)というやはり赤い橋で、本丸と二の丸を結ぶ橋です。
その名の通り藩士はここでは馬から降りるように、とされていたといいます。
▼お堀が鉤型になっていたのが印象的でした。
よく、敵の進軍を遅らせる為、街の通りを鉤型にしていて、それが今も残るところがあったりしますが、ここではお堀がその形になっていました。
お堀にも進軍を遅らせるような、こんな措置がなされていたのでしょうか。
▼さて、いよいよ天守の登場です!
三重三階の建物で、本丸唯一の現存建物ですが、その高さは14.4㍍と現存の三重天守の中では最も「低い」建物となります。
元は1627年に五重の天守が建てられていましたが、落雷による大爆発があり、この後約200年もの間、天守のない時代が続き、この建物が建てられたのは1811年といいます。幕府には遠慮してか「櫓」という事で建築申請していたようですが、今では「天守」で通っているといいます。
建屋はこじんまりとしていますが、下の石垣が高くて立派なものがありました。
▼二の丸辰巳櫓でしょうか。
ネットでの写真を見た限りでは辰巳櫓で、二の丸で現存する櫓は3つあるそうで、そのうちのひとつです。
▼この説明板は「未申(ひつじさる)櫓」のもので、上の建物とは別のものと思われます。櫓はいずれも天守と同じ三層建てで、天守も「櫓」といってもおかしくないレベルですね。
▼最後はこの写真
弘前公園でみられる野鳥
のイラストにあったうちの「コブハクチョウ」です。
これが大変存在感があって、お堀の水辺でいろんなポーズを取ってくれました(笑)
首が長い分だけ、色々な角度に自由自在に曲がる事!
弘前といえば真っ先に思い出すのがこの白鳥です。
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