遡って振り返る、「生活と思い出と世の中と」。
1980年の2回目として、1回目とは逆に自分の生活から当時の世相等へと絡めて思い出したものを綴っていきます。
当時は小学3~4年の年で、具体的に覚えてるものを中心にお届けしますが、今にはないものも書いていきますので、当時こんなものがあったな、と共感頂ける部分があれば幸いです。
●お城と動物園
生まれて初めて、お城(姫路城)というものを見に、父親に連れられて行きました。
そして近くにあった動物園にも行きました。当時1/15、成人の日で休みでした。今は付近の月曜日が休みになる感じで、その辺が変わってしまったところですね。
まだ姫路城が世界遺産になる前でもありました。
●クラス替え
小学校のクラスは1年生から2年ごとにクラス替えになり、3年生が終わると次はそのまま4年生でクラス替えなく上がる予定でした。が、この時それまで6クラスだったのが、7クラスへ増える事となり、3年生のクラスは1年で終わり、クラス替えとなりました。
勿論担任の先生も変わった訳で、生まれて初めて男の先生が担任になりました。
これがまたユニークな先生で、普通のクラスの教室の机配置ではなく「コ」の字が90度右にひっくり返った2列ごとの席配置で、学校外へ出て近所の河原で遊んだり、楽しかったです。
また、男の先生という事で音楽は、それまでは担任の先生がされていましたが、この年から「音楽の先生」として専任の方が授業をされていました。
●行動範囲の拡大
それまで低学年で、行動範囲が自分の住んでいる町の範囲までしか行けませんでしたが、町外の友達とも遊ぶようになり、幹線道を越えたり、橋を渡ったりして、それらの友達の所へ遊びに行くようになりました。
これに伴って、買い食いとかおごってもらうとかそういう事もするようになりました。
●新しい自転車
10歳の誕生日を迎えるという事で、かなり強く親にねだりましたが、変速付きの自転車を買ってもらいました。
当時の流行りだった車のギアみたいな6段変速ギアがサドルの前についたタイプのものでした。
それまで乗っていた自転車は、いわゆる「駒付き」から駒を外して初めて乗れるようになったものをそのまんま使っていたのですが、この時初めて最初から「駒なし」の自転車を得て変速付きでという事で、それもあってか行動半径も広がりました。
●クラブ活動
高学年になって、上半期こそありませんでしたが、10月から「クラブ活動」ができるようになりました。といっても全員何かしらのクラブに強制的に入り、金曜日に6時間目?だかにやるようになりました。
最初の半年は「竹馬クラブ」というのに入りました。
この前年の末から、偶々縁があって竹馬をつくってもらう機会を得て、竹馬で歩き回る事が「特技」となり、よく近所を歩き回っていましたが、学校のクラブ活動で、まさかできるとは思いもせず、ためらいもなく入りました。近所の山へ竹を切りに行くところから始まりました。
今は本当に竹馬に乗って遊ぶ子なんていないですね。
昭和には「カラー竹馬」が少し売れた時期もありましたが、竹で作った竹馬に乗って遊ぶ子はいないですよね。そもそも山から竹取れないか、というところで…。
●町内ソフトボール
自治会内の子供会でソフトボールがあり、4年生から参加という事で参加していました。それまで休耕田みたいなところでバットとグローブと軟球とか持って、適当な場所に塁を決めてやっていた野球しかしたことがありませんでしたが、この時初めて、ちゃんとした場所で塁間も決められたところで、ヘルメットを被って、ユニフォームを着て、球はソフトボールでしたが、本格的な形でやる事となりました。
キャッチボールにトスバッティングに、ノックを受けて、チームも編成されて…といった具合に。だいたい学校から帰ってきて、午後4時くらいになると「子ども会放送」が流れてきて「今からソフトボールの練習を始めるので、○○(場所)へ集まってください」というものでした。毎日だったか頻度は忘れましたが、当時は小学生で塾へ行く子は少なく、町内の大体の男の子が集まってきていました。
4月に始まり、6月には試合があって、他の自治会チームと対戦しますが、チームは一軍クラスが「A」で二軍クラスが「B」とここまでは試合に出れますが、自分たちはその「B」にも入れず、三軍クラスのユニフォームだけもらえてチームで試合のできない状態でした。
●町内映画鑑賞
子ども会行事で、映画の鑑賞会があり、ジャッキーチェンのカンフー映画(多分「酔拳」)とかいくつか映画を見る機会を得ました。近所の公民館へ行って、終わる頃には暗くなっていましたが、1人で帰ってきて、親に楽しかったと伝えたのを覚えています。
●授業
4年生で習った事、で印象深いのは社会の「都道府県」かもしれません。
地図の読み方?は3年生で習いましたが、北海道とか長野県とか、47都道府県について習ったのがこの時だと思います。当時取っていた「学研」の付録に都道県のカードがあって、それで知らぬ間に覚えた、という感じでした。
学校の旅行で「大阪空港」へ行く事になり、兵庫県隅の我々は「大阪へ行ける!」と思いましたが、これが大阪ではなく兵庫県である事を知ってガックリしたのも思い出です。
●祖母との別れ
4人いた祖父母のうち、最初にお別れしたのがこの年で、母方のおばあちゃんでした。
本当にかわいがってくれて、来てくれるたびに嬉しくて、月に1回は来てくれたんですが、最後に来たのがこの年の10月で、12月初めに肺炎で74歳で亡くなりました。
亡くなる直前に、母が自分にお金を渡し「これで本でも買ってきなさい」という事で、本を買いに行ってる間に、帰ってきたら「亡くなった」と言われました。
そのまま泊まって一夜を過ごし、お通夜に葬儀にと10歳にして生まれて初めて参列しました。お経も読み足も痺れ…という感じで。
当時は斎場とかでほとんどなく、自宅でお通夜をして葬儀は近くのお寺でした。多くの参列者がいて…という昭和のお葬式でした。

