につづく富士宮市の記事第2弾で、タイトル通り富士宮の象徴的な名所「浅間大社」を訪ねます。
(2011年11月当時)
▼いきなりですがズバリ「浅間大社前」という交差点です。
大きな赤い灯篭?にその雰囲気が感じられますが、とにかく「赤い」ものが多くて、赤いものがたくさん見られました。
▼入口へ更に迫って、灯篭の向こうには、駐車場を経てやはり赤い大鳥居がありました。観光バスなんかも入り込んでいました。ツアーのお決まりコースかもしれません。
「浅間大社」と俗に言いますが、正式名称は「富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐう せんげんたいしゃ)」といいます。
▼正式名称の書かれた石碑もありました。
そして大鳥居は近づくほどにその荘厳さが感じられました。
▼橋の欄干も川沿いの灯篭も、やはり赤でした。
華やかな観光名所も、周囲は時が止まったような空間もあったりしました。
▼上の写真から少し角度ずれた形ですが、この川も印象的でした。
▼上の写真から対岸?的な位置へ来ましたが、向こうに大鳥居が見えていて、最初来た地点の1本向こうの橋へ来た訳で、ここは「御手洗橋」とありました。やはり朱塗り橋でした。
▼浅間大社の境内案内図がありました。(説明書きが横向きになっててすみません)
現在は手前の大鳥居の付近ですが、直進すると本殿が控えています。この絵を見るだけでも「赤」が多い事が感じられるかと思います。
その歴史は古く、第11代垂仁天皇が創祀した事に始まり、第12代景行天皇の息子ヤマトタケルが東征の際に浅間大神の神助を怖れ、この付近に厚く大神を祀った、とれされています。ちなみに、垂仁天皇の時代が紀元前から紀元に切り替わる頃、とされています。
その後は征夷大将軍として有名な「坂上田村麻呂」が現社地に神霊を遷し奉った、とある歴史ある大社な訳です。
▼大鳥居をくぐって、参道を行きます。
奥には厳かな本殿が控えているのが窺えます。
ここでの両サイドの灯篭は赤ではなく白なのですね。
▼本殿手前の鳥居周辺は、鳥居を含めてすべてが天然色?で、ここに赤はありませんでした。
狛犬の向こうに勇猛な弓を引く武士の像がありましたが、これは1193年に源頼朝が鎌倉武士を率いて当地へ参詣時に、流鏑馬を奉納した事に起因する、とありました。5月5日に流鏑馬祭りというのがあるそうですが、このコロナ禍でさすがに中止され、ただ神事のみは行われたそうです。
▼境内に池があり、カモが泳いでいました。
こういう所だとよく鯉を見て、その獰猛さに驚くんですが、このカモも結構アクティブでした。
▼本殿前の楼門の手前まで来ましたが、フライドポテトや大判焼きの畳まれた屋台が真ん中にデンと置かれていました。
▼「富士山本宮」の扁額のかかった楼門の前、ここを入って本殿へ向かいますが、ここから本格的に赤ゾーンが始まり、門の前で記念撮影をする方々も見られました。
▼本殿周辺の見取り図です。
周囲に池が多く配され、城郭かよと思いました。
この池は富士の雪解け水が伏流となって水温は13℃で一定とあり国の特別天然記念物にも指定されているといいます。その前に本殿が重要文化財なのですが、ものすごく格の高い場所なのですね。
▼楼門横の回廊の部分です。
中身も一緒に載せましたがこんな感じで、もう少し赤みが鮮やかに撮れていたらよかったのですが、かなりくすんでしまいました。
ただの門だけではなく、両サイドにこんな回廊が張りめぐらされているところにも、この神社の格の高さが窺えました。
▼重要文化財として
「富士山本宮浅間大社 本殿」とありました。
1604年、江戸幕府開府の翌年ですね。
ここで流鏑馬が奉納されたのは先述の通り1193年ですが、これは鎌倉幕府開府の翌年であり、奇遇を感じました。
しかし開府翌年というのは、色々な事が本格的に始動となる時期、という事も併せて感じられました。
ところで、この看板意外とよく見るタイプのもので、下に「火気厳禁」「HITACHI」などとありますが、これは通称「文化財愛護火気厳禁ボード」と呼ばれるもので、日立が費用負担しているそうです。
その出来事の起因が、約50年前の1966(昭和41)年に大徳寺の方丈(国宝)が放火により焼失してしまった事で、その後大徳寺は日立へ防火設備を設置させた際に、日立がこの看板を設置する事になったといい、以後このようなものへ出資するようになったようです。
▼くぐった後の楼門の姿、門入口絵の全くの裏側の格好です。
飾りなど華やかなものは表側に全部ありますが、この裏側は純粋に建物の素晴らしさが感じられました。
▼いよいよ本殿です。
ここは実際参拝される方が絶えず、なかなか人の居ない時を撮るのが難しく、あまりカットを撮れていませんが、こんな感じです。これが重要文化財です。酒樽が積んであったり、両サイドに菊花が飾られていたりしました。
角度により色んな姿が見えるので、これがまた素晴らしいなと感じます。語彙力なくて伝わりにくいと思いますが…。
▼本殿の右手前には、このようなシダレザクラに祈願絵馬が飾られていました。
本殿周辺見取り図にありましたが、このシダレザクラは武田信玄公による手植えの「二世」だそうです。
▼楼門から本殿に至る境内の様子です。
向こうには社務所が見えます。
ここで引いたおみくじが…
大吉でした。
あまり引かないんですよね大吉。
なので10年前でもよく覚えています。
▼本殿前にあった石を2つ御紹介。
ひとつめはこの「南極の石」です。
南極奥地より何億年もの歳月を経て流出、地吹雪により風化し、南極観測船「ふじ」の乗組員に採取されたものとあり、その乗組員に奉納されたものです。南極に石があるのか!って感じでしたが…。
▼こちらは「火山弾」です。
富士山の噴火の時に落下したものだそうですが、こう見えて約100kgもあるといい、またこのようなきれいな形のものは稀有だそうです。
▼境内で「菊花展」が開催されていました。
本殿前の両サイドにも菊花が飾られていましたが、菊もここのウリと感じました。
▼別の池に行ったら、居ました。
鯉が!
定番の鯉、やはり獰猛でした(笑)
▼さらに加えてカモも居ました。
カモと鯉のコラボ、カモが鯉をつけ狙っているようにも見えました。
▼長々と浅間大社のカットをお送りしてきましたが、これを出て近くで「富士宮焼きそば」を頂きました。
10年前持っていたデジカメで食べ物を撮るとイマイチの画像になっていたので、これもその御多分に漏れずでした。近接の撮影が難しくて…。
メニューにさりげなく書かれていますが「ここずらよ」という大鳥居すぐ前のお店で頂きました。
▼浅間大社を離れて、街のアーケードを歩いていました。
この先も寄りたい所があり…。
▼アーケードを歩いていると、このようなB級グルメの屋台店のフードコートがありました。
夕方時にはちょうどいい感じで、ビールも飲みたくなるし、ちょっとしたものも食べられるしで。
この時、上の写真にあったように焼きそばを食べてしまっていたので、餃子を注文する事としました。海老のしっぽが見えてる、まさに海老餃子です。
浅間大社の散策もですが、ここでのひと時も思い出深いものがありました。
▼最後は、冨士宮駅への帰りでの街並みカットです。
明るく華やかなところ、昔の雰囲気を色濃く残したところ、色々でした。
富士宮は、富士の裾野という地形的な利点で観光にも事欠かない街で、コロナ禍が明けたら、いろんな人に行ってほしいと思える街です。