鳥取市の駅は色々upしてきましたが、鳥取市内の旅記事を書いているうちに、この駅をupしていない事に気づき今回はこの駅記事にてお送りします。
JR用瀬駅-
・路線 JR因美線(鳥取-東津山間)
・開業 1919(大正8)年12月20日
・訪問 初訪問-2004(平成16)年7月
・1日あたり平均乗車人員
66人/日 (2020年)
・近隣の都市駅
(鳥取方面) 郡家駅 ⇒4駅
(東津山方面) 智頭駅⇒2駅
・鉄道での所要時間
東京駅から:7時間5分
大阪駅から:2時間41分
※AM9:00発での最短時間
・駅規模ランク
ホーム ★★☆☆☆ …1面2線
跨線橋 ★★☆☆☆ …屋根なし
駅舎 ★★☆☆☆ …平屋駅舎
▼用瀬と書いて「ようせ」ではなく「もちがせ」と読みます。
2004(平成16)年7月に訪問しましたが、その時の写真はぼやけたものばかりで、2019(令和元)年8月に15年ぶりに再訪した時の写真を中心にお届けします。
開業は今から105年前の1919(大正8)年で、これは因美線の開業日と同じです。
現在の鳥取市になる前の2004(平成16)年までは、旧・用瀬町の中心駅でした。
東京からでは7時間以上かかり、大阪からだと2時間41分で、これは9:00からの検索なので、時間帯が違うと東京からはもう少し短くなるかもしれませんが、鳥取のはずれだとやはり時間がかかるというものです。
ここは元々八頭郡用瀬町という郡部で、これが2004(平成16)年に鳥取市に編入され、現在鳥取から出る「因美線」では鳥取駅のある鳥取市から郡家駅(八頭郡八頭町)を通ってまた現・鳥取市の当駅へと至り、鳥取市→八頭町→と鳥取市、と一旦八頭町を間に挟む形となっています。
▼ホームは1面2線で、跨線橋は屋根なしのタイプでした。
1面しかないのでホーム同士ではなく、ホームと駅舎をつなぐ跨線橋となります。
▼跨線橋から見たホームの様子です。
1面2線具合がよく分かると思います。
▼跨線橋を渡って駅舎裏(改札入ったあたり)からのホームのカットです。
室内型の待ち合わせスペースがありますが、ここだけが雨除けできる場所です。
▼この駅はホーム周りよりも、無人だった駅舎内を結構撮っていて、またその駅舎内には色々なものがありました。
まずは運賃一覧です。
鳥取駅へは410円です。同じ市内でも編入していて、そこそこの距離があるというものです。反対方向の津山は970円と、かろうじて1,000円以内で行けます。
県西部の米子は1,940円で、兵庫県の豊岡も同額となっていました。
▼上の写真より少し下目線にしたカットですが「もちがせ駅なか文庫」という事で、駅舎内にプチ図書館がありました。
こういうものがあるとないとでまた全然違いますよね。
▼駅舎内には写真パネルが数多くありました。
用瀬といえば「流しびな」が有名で、流しびなの館という施設があるほどで、3月3日には一部の特急列車が臨時停車するといいます。
駅からの旅ではこの辺りもめぐってきました。後の記事でお送りする予定です。
真ん中の景観は今でも観る事ができます。
▼上の写真に比べると時期的にかなり古いものとなりますが、左側は1979(昭和54)年に撮影された「リーバーと呼ばれる信号機手動切替装置」とありました。
右はもっと前で「出征兵士を送る」という戦時中のものでした。ほんの数十年前にこんな事があって、これに比べれば今が生きづらいと言えども全然…と思ってしまいます。
▼まだまだ沢山飾ってあった駅舎内パネル。
往時の用瀬を偲ぶには格好の写真たちですが、人が溢れた駅ホームで出征兵士を見送る写真はなんとも心痛むものがありました。
▼改札内から外を見た様子です。
「流しびなの里 用瀬」として。折り紙様のお雛様がつくられていました。
▼改札を出ての外へのカットです。
右側にかつての出札が見えます。
全体的に古びた内装が渋さを感じさせます。
▼駅出て目線の、これが駅前通りという事になります。
あまり商店はなく、住宅が並んでいる感じですが、この通り以外の線路と平行な通りなども駅前感があったり、渋い風景なども見られます。
▼用瀬駅の駅舎です。
赤褐色の屋根が鮮やかで印象的でした。
また庇も三角屋根で造られていて、やはりかつての町の中心駅だった事を思わされました。
▼初訪問時2004年当時の用瀬駅です。
この当時物はこんなぼやけた写真ばかりで記事にならないので15年後再訪分を中心にお送りしてきましたが、当時は紅白の柱や雛飾りを思わせるものがぶら下がっていました。
7月だったので特に流しびなイベントに特化してのものではなかったと思います。
でもまぁ駅としては基本的には当時から変わっていないですね。