長野県東御(とうみ)市、しなの鉄道/田中駅からの歩き旅です。
(2011年4月当時)
▼駅前通り
田中駅から伸びた道路です。
駅前感はあんまりなくて、幹線道路上の一角、そういう印象でした。
何があるのかよく分からないまま、とりあえず歩いてみることに。
▼FMとうみ
この田中駅前でいちばん最初に、これというものを見たのは何か?と聞かれると、このFM局かもしれません。
東御市を中心としたコミュニティ放送局で、午前7時から午後9時までの毎日14時間の放送ですべて自主制作番組だそうです。
開局日は「とうみ」に因んで10月3日(2010年)だそうです。この時は、まだ開局後半年程度の状態だったんですね。
▼田中宿
ここ田中は、北国街道の宿場町として栄えました。
当初は隣の海野宿と合宿という形で、ひとつの宿として扱われていましたが、1742年大洪水により多大の被害が出て、海野宿の方へその機能を移す事となりました。その後立ち直った田中宿にも本陣が置かれ、海野/田中の両宿に本陣があるという状態となりました。
しかししかし1867年、またも大火が田中宿を襲い、宿場の殆どが焼失、大名旅人も海野宿に泊まるようなり、田中宿の本陣は明治期に廃業、旅籠も全く残っていないそうです。そのせいか当時を偲ぶことがかなり難しい街並み、と感じました。
▼商店街
田中駅前で個人的に最も賑ってると感じたのがこの辺りでした。
飲食店が通りにずらーっと並んでいました。
「雷電」という名の店も見えますが、江戸時代の力士として有名な雷電為右衛門(1767-1825)は当地の出身です。
当時の相撲は、大関が最高の地位でしたが、その大関を27場所(当時は年2場所、現在換算だと80場所程度!)務め、44歳で引退するまでの通算成績は254勝10敗という驚異的な記録で、大相撲史上最強の力士とまで称されています。
そういえば今の大相撲に長野県出身力士っていないよな、と思って調べたら、現役では三段目筆頭の力士が最高で10人もおらず、かつての力士でもwikiで10人も出てこない状態でした。昭和50年代前半まで現役を務めた大鷲(平)以来、関取は出ていないようですね。長野の力士ってなんでそんなに居ないのか不思議ですが…、、
▼東御市役所
田中駅から距離にして600mほど行った所の坂の上にある東御市役所です。
この当時は、ちょうど市庁舎内の大改修が終わったばかりの頃で、事務所や議会など色々なものがちいさな移転をしていて、そのようすが看板に示されていました。
庁舎はてっぺん部分が屏風のように折れ曲がっているのが特徴的な建屋でした。
▼貸自転車
最後は田中駅に戻ってのカットですが、貸自転車があるそうです。
駅規模が小さくて、そんなのなさそうに思っていたのですが…。
9月19日ヨリと書いてあって、いつの9/19なのか調べてみたら、2009年のだそうです。
1日500円乗り放題で8:00~という早くからの対応が嬉しいですね。
この時でそれから1年半、今で4年近くになりますが、続いているのでしょうか。
仮に乗ったとしてどこへ行くんだろう、と考えてしまいますが、歩きよりも行動範囲は広がるんでいろんなものは見れるでしょうが、自転車だと上に載せたような通りの写真とか撮らない事が多いんですよね、風景を流してしまうというか。そこが徒歩と自転車の違いなんですが…
徒歩旅もあれば自転車旅、バス旅いろんなパターンで旅してる(基本歩きですが…)んで、それぞれカットが変わってくると思いますが、そういう事含めてこれからもupしていきたいと思います。