茨城県取手市、茨城/取手① 長禅寺・八坂神社 数多の大黒天 につつぐ取手市の旅です。(2016年4月当時)
▼第二弾は「旧・取手宿本陣」が中心です。
取手宿は、東京足立区の千住宿を起点とする「水戸街道」の5番目の宿場町であり、宿場町として認定されたのは少し後になりますが、利根川舟運の拠点地であったこともあり、賑わったといいます。
そしてこの本陣跡は当時の染野家住宅で、染野家は取手の名主として継がれていきましたが、現在ここは週末に公開されています。このように「公開中」と分かり易く表示されて。
という訳で早速中へ入ってみます。
▼染野家住宅へ。
茅葺の荘厳な屋根でどっしりとした重厚な雰囲気でした。
ちなみに現在の公開状況はコチラにありました。
▼建屋の向かって右端から入っていくと、展示スペースになっていました。
江戸時代の建造物で、江戸時代の宿場だったので、江戸の歴史にスポットを当てたものかと思いきや「装身具の魅力」と、古代のものをテーマとした展示もなされていました。(ここでのものではありませんが)
▼古地図や古写真による取手の街の様子が展示されていました。
隣の藤代宿周辺の様子も載っていました。
取手の街並みは明治末期から大正になりゆく当時のものが載せられていました。
▼本陣にまつわる資料
として主なものが紹介されていました。
右上は「徳川斉昭書歌」で、水戸へ帰還途中の斉昭が利根川の渡船上で詠んだものとされ、そのうちの1首は石に刻まれてこの染野家に運ばれて、裏庭にあるといいます。
左側も斉昭の書歌です。
ちなみに斉昭は水戸藩主として幕末の有名人の一人ですが、つまりは水戸黄門で知られる徳川光圀ち同じ水戸藩主経験者であり、もっというと水戸黄門の子孫です。
そして右下は「郵便保護銃」で、現金輸送時の護身用の銃だそうです。
フランス製で1872(明治5)年に登録されたとあり、ここではなく取手市埋蔵文化財センターに展示されている、と紙で上から貼られていました。
▼屋根は外から見たら整然とした茅葺だった訳ですが、内側から見るとこんなにクネクネとしたもので、そのギャップが面白かったです。
▼畳の上の様子です。
さすがは年季の入った旧家、そんな雰囲気が出ていました。
▼旧取手宿本陣を出て、取手駅へ戻る道中に壁アートがありました。
鮮やかな色で描かれてインパクトがありました。
▼取手駅へ戻ってきました。
駅記事では西口で下からのカットがほとんどなかったのですが、下からペデストリアンデッキを見上げたらこんな感じでした。
という事で、2回にわたってお届けしてきました取手市の旅、完了です。