続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

静岡/島田 枝垂桜と島田宿

静岡県島田市JR島田駅からの歩き旅です。

(2018年3月当時)

▼この時泊まったホテル「ルートイン島田駅前」です。島田駅近くにありアクセス至便でした。

ここは大浴場があって「活性石温泉」という、天然の麦飯石を利用してお湯を滑らかにする事で身体を心から温める仕組みのものがありました。

ちなみにこの時は7,000円で宿泊しました。

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▼ルートインのホテルを出て、朝から街を散策しました。

島田に来たのは3回目くらいで、いちばん最初は1999年1月でしたがJR島田駅を出て駅前の写真を撮っただけに終わり、2回目は2007年でそれなりに駅前を歩いて景色を見てきたのですが、3回目にして結構コレという感じの場所出会えたので、この時の写真を記事として紹介する事としました。

で、外へ出ての風景で最初の写真が、この枝垂桜です。

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愛するあなたへの悪口コンテスト

という面白いものが載っていました。

これももう、ひとつひとつ読んでクスッと笑って頂くしかないですね。

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御陣屋稲荷神社 という神社がありました。

上の写真で「悪口コンテスト」というのがありましたが、ここは「悪口稲荷」の異名もあります。

というのは、代官が汚職役人の戒めの為に、町民に役人の悪い噂があれば申告するように言ったといいます。しかし役人の悪評をチクッたことがバレては当人に不利益が生じるため、身代わりの人形を作り、その人形が言った事にしていったといいます。そういうのが悪口コンテストへとつながっていったようです。

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▼お稲荷さんの拝殿です。

正面屋根ひさしの両サイドに狐が配されていました。

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島田市のマンホールです。

蓮台越 大井川 とありました。

当時、大井川は橋を架けることが禁じられており、川越人足が「蓮台」を担いで川を渡る形であり、これを表現したものがマンホールに描かれていました。

まさに「箱根八里は 馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川」とあるそのものですが、大井川に架橋や渡し船がなされなかった理由…、増水しやすいとか、橋を架けることが技術的に困難…等あるようですが、川越人足の雇用確保という背景もあった、とする見方もあるようです。

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▼再び街へ出て、酒屋さんの軒下に多数の自販機がありましたが、たばこの自販機が並びまくってて、これだけ沢山のたばこの自販機が並んでいるのは初めて見ました。

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ようこそ島田宿へ

という幟の掛かった通りへ出てきました。

島田は東海道五十三次23番目の宿場町です。

先述の大井川が橋も船もなく、長雨になると川越禁止期間が長くなり、お金を使い果たしてしまう人も出ていた、というほどの難所でした。

そんな宿場町の趣を感じさせるのがこの辺りの通りです。

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▼御陣屋跡

とあるここは、島田の代官所跡です。

幕府の直轄地「天領」であった島田宿には代官所が設置されていました。

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▼宿場町通りにひときわ目立つこの高い塔のようなものの足元に「島田宿本陣跡」なる看板が設置されていました。

この塔自体はからくり時計の時計塔であり、やはりこの通りのシンボルとして建てられたとありました。

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▼という訳で、島田宿本陣跡の説明板です。

島田宿は脇本陣がなく、上中下のそれぞれ本陣がありましたが、建坪自体はどれもさほど変わりませんでした。というのも上中下は格式ではなく、方向を指していたといいます。

左側に載っている間取りは下本陣である置塩家のものです。

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▼駅前の通りへ出ました。

金融機関の立ち並ぶこの辺りても「ようこそ島田宿へ」などと街頭ごとに取り付けられていました。

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▼そんな駅前通りの一角に、これでもかというほどのバス停標識が並び立っていました。

島田三丁目東というものもあれば、本通三丁目東というものも3つありました。後者はすべて島田市コミュニティバスのもので、路線ごとにひとつずつ標識が立っているという贅沢な使われ方をしていました。3つのうち、真ん中のものは正確には、島田市コミュニティタクシーと表記されていました。

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静岡銀行の真ん前にひっそりと置かれていたこれは「塚本如舟邸跡」とありました。

塚本如舟(じょしゅう)とは、この地で代々塚本孫兵衛と名乗り庄屋などの要職を務めた家系である「塚本家」の3代目の号した名前です。如舟は俳諧を嗜む人物で、晩年の松尾芭蕉が如舟宅を訪ねたりしていたといいます。

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島田市のマンホールです。

って2回目ですね。

最初のとは違うパターンのものでした。

帯祭 と記されているもので、帯祭は大井神社の祭りで「島田大祭」の俗称的なもので、3年に1回、10月中旬に行われており、日本三奇祭のひとつとされています。

1695年に始まったとされていますが、江戸期から始まる祭として、開始年が特定されているのは結構珍しい気がしました。

からしても派手な祭りという印象が窺えます。

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▼最後はこの写真ですが、島田駅へ戻ってきて、駐車場の前に「祝 島田高校 創立100周年」と大々的な横断幕が出ていました。

記念式典の案内だったのですが、2018年10月に式典が行われるとありました。1919(大正8)年に開学したので正確には去年が創立100周年となります。

ちなみにこの高校の卒業生としては、1990年代前半に阪神タイガースの抑えとして活躍した田村勤投手がいます。

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という訳で、島田宿の通りを中心に、島田の街の様子をお届けしました。