続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

俺たちのヒーロー列伝・その16 名高達男(1951~)

俺たちのヒーロー列伝・その15 村上弘明(1956~)

 

続いてのヒーローは…

 

名高達男(なだか・たつお)さんです。

 

今ではラスボス的な重厚な存在感を放つ俳優として、70代を迎えてもなお活躍中ですが、そんな彼に見出したヒーロー性を綴っていきたいと思います。現在は名高達男の名前になっていますが、これから語る時期の名前は「名高達」の頃のものです。本名は達夫で、一貫して「たつお」だそうです。自分が親から聞いたのは「なだか たつろう」という名前だったんですが、違ってたんですね(笑)

元々はモデル出身で、大学生当時にスカウトされてモデルを務めていた頃に、俳優の世界へとスカウトされて入ったという事で、ご本人は芸能界に強い志があって入った訳ではないようです。

 

個人的に名高さんにヒーロー性を感じたナンバーワンの作品はなんといっても「ザ・ハングマン」のシリーズですが、出演された順に綴りたいと思います。

 

まずは「同心部屋御用帳・江戸の旋風(かぜ)」シリーズで、昭和50年代にフジテレビの定番時代劇「江戸の」シリーズの先駆けとなって作品でした。時代劇版「太陽にほえろ!」ともいわれたこの江戸の旋風シリーズ第4作に1978(昭和53)年途中加入し、見習い同心「立木十三郎」役で出演、この当時はヒーロー的というより、ヒーロー達が集まった番組の見習い的存在で融通の利かない真面目な同心を演じていました。

 

江戸の旋風終了の直後、1979(昭和54)年に後番組の「江戸の激斗(げきとう)にも継続出演します。この番組ついてはコチラに綴りました。

ここでは篠原道之介という浪人役でした。金で雇われて役人の助っ人として悪と戦う「遊撃隊」の隊士の一人で、何かと血の気の多い荒くれ者の多い遊撃隊にあって、礼儀正しくおだやかで爽やかな、また少々青臭い浪人を演じていました。最終回で、妻をもつ事を禁じられた遊撃隊にあって、所帯を持つことを歓迎され、これからという時にやり手の悪と対峙し、縦に斬られて壮絶な死を遂げました。斬られて死ぬ前に「死ねるかー!」と絶叫したシーンが大変印象的でした。許嫁を遺して死ねるか、という事ですね。

ここでは柴俊夫石橋正次といった役者勢がメインで引っ張り、名高さんはまだ若造の立ち位置だったように見えました。

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同じ1979年おやこ刑事というドラマに主演します。ここでは金子信雄さんと親子の刑事役で、原作マンガをもとに東京12チャンネル系でテレビドラマ化されたものでした。このあたりまでは、エリート系の格好が似合うお坊ちゃん的なイメージが強く、力強いというよりも甘いマスクで人気を博していた、そんな感じでした。

 

1980(昭和55)年に「爆走!ドーベルマン刑事という、これまた人気漫画をモデルにしたドラマに出演しました。この辺りから強いヒーロー像が見られたように感じます。主役の加納隊長(黒沢年男氏(当時))に続く、ヒラ刑事のリーダー的存在・矢部刑事役で、茶色の革ジャンと白のカッターシャツにバイクを乗り回し、それまでの駆け出しっぽいイメージから脱却し、ハードなイメージを視聴者層にもアピールしたものと思います。

犯人を自白させるために殴りまくったり、刑事たちの中で熱く対立したり、その後の彼のイメージの最初がこのドラマでできたように感じます、もちろん見た限りでの話ですが。

このドラマのキャストは「バイクに乗れる」俳優がキャスティングされたという事で、ある程度スタントは使われていたにしろ、刑事役の俳優全員がバイクに乗るシーンが毎回あったので、それなりに乗っておられたのでしょう。またここでは初期に長期欠場していて、前半あまり出ていませんでした。

Photo_20220206171301 矢部刑事

 

そして続くのが1981(昭和56)年ザ・ハングマンです。

 

名高氏といえばハングマンというぐらい、彼の人気を決定づけた「当たり役」な訳ですが、この番組には以外にも途中から参加しています。

シリーズ全7作で、山本陽子氏が主演した異色作「ザ・ハングマンⅤ」と名高氏自身が降板後に制作された「ハングマンGOGO」以外はすべて出演しています。

初作の「ザ・ハングマン」は1980(昭和55)年11月にザ・ハングマン 燃える事件葉」のタイトルでスタートし、当初は林隆三氏が主演で、後に主演する黒沢年男(現:年雄)氏は林氏と相棒格にあたる準主役でした。そして名高氏は初期キャストにはおらず、1年間の放送のうち半年後になんと主役の林隆三氏が殉職の形で降板し、その後任として登場するのが、彼のハングマンのキャリア第一歩でした。

それからずっとハングマンを背負って立つ役者になるとは本人も思ってなかったと思いますが、これは初作「ザ・ハングマン」の放送が当初半年の予定が、好評につき1年間へと延長された為といわれ、林氏の継続出演が困難になったからだそうです。この人気がなかったら、黒沢氏が主演する事もなかったし、名高氏は出演する事すらなかったかもしれない、と思うと、ドラマの人気が俳優の生命を左右する大きな影響力をもつ、そんな話ですよね。

初作で彼が登場した回のタイトルは「コンピューター死刑執行人登場」というもので、その名の通りコンピューターを扱ってデータ分析をする頭脳派で、ハングマンになる時に「デジコン」のコードネームを授けられました。この当時がちょうど30歳だったのですね。

個人的には、まだ主役でなかったこのデジコン役が一番好きでした。適度に強く、適度に甘く、彼の存在感が存分に発揮された感があって、主役になってから作品を背負い込んでる感がすごく感じられたのは自分だけでしょうか。

好評を博した初作のハングマンは1年間の放送をもって一旦終了し、半年後の1982(昭和57)年に初作の最終回と同じキャスト(新メンバー追加あり)で、ザ・ハングマンⅡ」が放送されました。黒沢年男氏主演で、これに続く存在として名高氏は再び「デジコン」役で登場します。デジコン役の頃はピシッとしたスーツも似合うし、ラフなジーンズで悪と戦う姿も様になっていて、彼の魅力はここで最大限に発揮されたのではないか、と個人的に思っております。

その後も1作後番組を挟んでハングマンシリーズに再登場を繰返す事となり、設定とキャストを一新した第3作が1983(昭和58)年に放送された「新ハングマン」でした。ここではETというコードネームで役名も結城五郎(デジコン時代は加納良治)という新たなキャラクターになり、遂に主役を務めました。文字どおり「ハングマンの顔」になった訳です。

ETというコードネームがいかにも当時を反映していますが、オープニングで大リーグ養成ギブスのようないろんな所に付いたバネを上半身に装着しながら拳銃を撃つというアクションをやっていて、彼にいわゆる「マッチョ」のイメージがついたのはこの頃からだと思います。後のCMで「鍛えれば、全身がバネになる」というフレーズと共に色んな事に取り組まれていましたが、完全にこの頃からですね「肉体派」になっていったのは。ETは傭兵上がりで、海外諸国で戦術を身に着けた男という設定でもあったようです。

新ハングマンでは主役は務めていましたが、ハングマンのリーダーは山城新伍氏が演じていた「チャンプ」というスケベな中年男で、彼が仕事を取ってきていました。

続いて1984(昭和59)年にザ・ハングマンⅣ」でも主演、コードネームは「サファリ」に変わりましたが同じ結城五郎役でした。ここではかつて「ザ・ハングマン」「同・Ⅱ」で共演したオショウの植木等氏と再共演し、植木氏の役柄は以前同様のものでしたが、名高氏は初作と人物が違っているので、劇中では「再会」ではありませんでした。

この作品では佐藤浩市氏が若手ハングマンとして登場しましたが、続く「ザ・ハングマンⅤ」に名高氏は出演せず、佐藤氏が準主役格で継続出演したので、名高氏はハングマンを卒業し、今後は佐藤氏がハングマンの顔になるのか?と勝手に思っていました(違いましたが…)。

 

という事で「ザ・ハングマンⅤ」には出演しなかった名高氏でしたが、約2年のブランクを経て1987(昭和62)年にザ・ハングマン6」で復活します。それまでは殆ど仕事していなかったようで、どこかでみた本人のインタビューに「2年間武者修行」していたような事が書いてあったように記憶しています。なのでこの作品に対する思い入れは並々ならぬものがあったようでした。

ここではフラッシュのコードネームで矢吹良介という新しいキャラクターで、梅宮辰夫、鮎川いずみ川野太郎という個性派ぞろいの各氏と共演し、全員がカメラマン役という形で新しいハングマン像を見せていく、と思われた矢先…

当時のスキャンダルにより降板を余儀なくされ、不本意な形で番組を卒業する事となり、その後渡辺徹氏を主演に迎え入れる形で「ハングマンGOGO」が放送されますが、ハングマンのシリーズもこの作品限りで終了してしまいます。

 

降板の形があまり良くなかったのか、その後主役を張ってグイグイという事にはなかなかならず、脇に回って重厚な渋い演技で存在感を放つことになりますが、彼が80年代を中心に演じたキャラクターそれぞれにヒーロー性があって、それらはいつになっても色褪せず輝きを放ち続けるものと思っています。