山口県岩国市、山口/岩国② ロープウェーで行く岩国城跡につづく岩国市の旅第3弾です。
(2012年10月当時)
▼山のてっぺんにある岩国城を見てきて、ロープウェイを下りて、再び錦帯橋周辺に戻ってきました。まだまだたくさん見るものがあるので、これからそれらを御紹介という訳です。
まずは「伊藤正一 文学碑」です。
岩国市第1弾の記事でも、碑が色々と出てきましたが、これも同様に錦帯橋周辺にありました。
伊藤正一(=いとう・しょういち:1920-89)は小説家であり政治家であった人物で、岩国市市議会議員を経て岩国市助役となり、岩国に大きく貢献した人物ですが、郷土の偉人である作家・宇野千代(1897-1996)の後援会初代会長でもありました。そんな事で宇野千代氏自身のコメントもここに刻まれていました。
また、宇野千代氏自身のフレーズも碑になっていました。98歳で天寿を全うした岩国を代表する作家のひとりで、1984(昭和59)年に自伝的小説「生きて行く私」が連続ドラマとして放送され、自身の役を十朱幸代さんが主演され、宇野さん自身も当時87歳くらいと思いますが、冒頭や最終回にゲスト出演されていました。
▼岩国市教育センター
がありましたが、岩国城の傍にあるからか、和風建築の立派な建物でした。
▼ここまでもそうでしたが、ここからは本格的に「吉香(きっこう)公園」内の一角の風景としてお送りします。
まずはこのような池があり、また噴水もありました。全体的に緑色の水面だった印象があります。周りの緑が映っているのか…。
▼池といえばコイ
という訳で、ここにも例外なくいました。
エサをくれる、と思うのか寄ってくるので、大体例外なく撮ってしまいます。
▼イノシシ被害が多発している
という事で、餌付けをしないよう促しがありました。まずネコに餌をやるな、と。
▼旧吉川邸 厩門(=きゅう・きっかわてい うまやもん)
という事で有形登録文化財の立派な建物がありました。
1892(明治25)年に吉川経健(=きっかわ・つねたけ:1855-1909)が建設した邸宅の長屋門です。
吉川経健は岩国藩2代目にして最後の藩主で、明治になってからの1868(明治元)年に藩主になっています。初代は父・経幹ですが、彼はその死が長く隠され、死後の1868(慶応4)年に初代藩主になっていましたが、その時には亡くなっていました。
岩国藩って江戸初期からずっとありそうなイメージですが、江戸時代のうちはずっと「岩国領」という扱いで、正式に藩になったのは明治になる寸前でした。訪ねて学習しないと、分からないものですね、こういう事は。
▼岩国徴古館(ちょうこかん)
という建物がありました。
岩国市の市立博物館で、太平洋戦争中に建設され1945(昭和20)年に竣工したというもので、陸軍燃焼廠治療所、図書館などに一時利用されてから、1951(昭和26)年に岩国市に寄贈されたといいます。
藩政時代の宝物や、錦帯橋関連の資料などがあるといい、1998(平成10)年に登録有形文化財に指定されています。
↓Twitterもありました!
▼こんな池と建物の純日本庭園風の佇まいもありました。
▼そしてこんな石橋もありました。
▼最後は「岩国美術館」です。
これまた建物部分はライトな配色の不思議な雰囲気の和風建築物でした。
現在は「柏原美術館」に改称され、2020(令和2)年からこの名称になっています。当初は1963(昭和38)年より「岩国歴史美術館」の名で、2004(平成16)年よりこの当時の「岩国美術館」でした。
武具のコレクションなどで、その世界では名高い美術館だそうです。
とにかく、色々見るものが多すぎるエリアで情報量多すぎですが、まだまだこれで終われず、次の記事へと続きます。
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