「俺たちのヒーロー列伝」久々に、急遽upします。
今回のヒーローは…
渡辺徹(わたなべ・とおる)さんです。
昨日、訃報が届き大変驚きました。
まだ61歳の若さで…
御冥福をお祈りしつつ、渡辺徹さんの演じた役柄でヒーロー性のあるものないものを問わず、今回は個人的に印象に残ったものを書き綴っていきたいと思います。
●「太陽にほえろ!」
まずはやはり、代表作といって過言ではない、デビュー作であるこのドラマが一番に挙がってくるでしょう。
番組スタート10年目となる1981(昭和56)年9月に新人刑事「ラガー」として登場しました。当時20歳。
この当時、それまでのレギュラー陣で最年少の役柄を演じていたのがスニーカー刑事役の山下真司さんで年末に30歳になるという状況、役者レベルでの最年少は満29歳の沖雅也さん(番組上の役柄では30代)でしたが、徹さんは山下さんの降板後の後任として約10歳年下の最年少刑事として登場します。(刑事の役柄設定は22歳でしたが…)
という事で一気に10歳も下回る、イキのいい新人として一躍世の注目を浴びる事となりました。
当時、この番組の新人刑事役というと、ドラマのストーリー中で主役を張る事も多いポジションであり、ましてやこの当時は主役である石原裕次郎さんが大動脈りゅう乖離という生死をさまよう難病と闘い欠場中の状況だったので、その存在感を問われるのは尚の事、という状況でした。
やがて登場後数ヶ月で裕次郎さんが奇跡のカムバックを果たし、「ボス」のもとでラガー刑事は活躍を続けますが、その後番組はベテラン刑事が次々と殉職や転勤などで去り、後から刑事が登場してきますが、しばらくはずっと「一番下っ端」の役どころでした。
登場後わずか2年近くで、ようやく後輩となるブルース刑事(故・又野誠治さん)が登場し、「先輩刑事」になりました。
初期のラガーは精悍で痩せていて、動きもシャープで無鉄砲、初代新人のマカロニ刑事(故・萩原健一さん)を思わせる部分も見せていました。
時を経るにつれて体重が増加し、見た目には初期と別人になるぐらいのレベルで、1984(昭和59)年頃にはかなりの重量感が顔に身体に現れていました。この頃は自身の主演ドラマとの掛け持ちで活躍機会が激減し、いつ降板してもおかしくない感じでしたが、1985(昭和60)年の初めには、それまでブルゾンなどのカジュアルスタイルで出ていたのが、スーツスタイルへ変わっていきました。歴代で一番下っ端の新人が、カジュアルスタイルからスーツスタイルへ変更となったのは、彼が初めてでした。それだけ長期に在籍して、成長していったという事だと思います。当初はアクションに比重が置かれた主演回が多かったですが、段々と推理など「静」の部分も少なからずのストーリーでも主演するようになっていきました。
そしてこの年の初めには、ラガー刑事が入院する「ラガー倒れる」という回が制作され、犯人との格闘で膝をやられ「骨肉腫」という事で入院、この時「殉職への伏線か?」と当時中学生なりに思いました。
約2ヶ月後に戦線に復帰するまでは、入院中の設定で同僚や後輩刑事が見舞いに来るというスポット的な出演を重ね、「退院」という形で復帰しました。しかし古傷は時々うずき出しながら、復帰後4ヶ月で「ラガーよ 俺たちはお前がなぜ死んだか知っている」という番組史上最長のサブタイトル回で1985年8月2日、殉職しました。
バスジャックされたバスに重要証人が乗っているという事で、複数の殺し屋がビルの屋上で狙撃体制に入ったところ、ラガーが別のビル屋上へ駆けつけ、殺し屋の一人を仕留めながらも、もう一人の殺し屋はバスの狙撃体制に入り、銃身だけしかみせなくなり、この間では確実にバスが狙撃されてしまう…!そんな中、「やめろーーー」と大声を上げて、ビル影から突然躍り出て、おとり同然でライフル犯の前に走ったところを狙撃され弾丸は右胸を貫通、出血多量の中を相討ちの形で殺し屋を仕留め、自らの命と引換えにバスの狙撃を食い止めました。大量出血しながらも這ってビルからエレベータで降り、出たところで挟まって死んでいるという姿で、劇中では同僚たちの涙溢れるシーンでしたが、後で振り返って見られると、いつも本人含めギャグのように話していたのを思い出します。
デビュー作にして当たり役にもなったラガー刑事役は約4年務めていました。
●映画「夜明けのランナー」
1983(昭和58)年公開の映画初主演作にして、「太陽にほえろ!」出演時に掛け持ちで出演でした。
実業団サッカー選手だった男がケガがもとで選手生命を絶たれ、車で運転中に恋人が妊娠したと打ち明けられ、気が動転し事故を起こして恋人は流産、やがて別れ…となり、帰郷するにあたりその元恋人の待つ所へ向かうも、街でチンピラにカツアゲされて無一文になり、お金がないので元恋人のもとへ走って会いに行く為、そこからひたすら走りに走るという映画でしたが、彼がこういった青春スター的立ち位置で映画出演をしたのはこれが最初で最後でしたね。
●「風の中のあいつ」
1984年に放送された日本テレビ系土曜21時の連続ドラマで、これも「太陽にほえろ!」でレギュラー出演中に掛け持ちで、しかも連続ドラマ初主演作として出演した作品です。
それまで刑事役でデビューした役者は、番組を降板してから主演ドラマをもらうのが通例のようになり、萩原健一「傷だらけの天使」、松田優作「俺たちの勲章」、勝野洋「俺たちの朝」、宮内淳「あさひが丘の大統領」など、歴代の新人刑事経験者は、この道をたどってきましたが、これ以降はそのような事がなく、降板した山下真司氏は特にそういったドラマがなく、3年経ってから全く別系列のオーディションで「スクール・ウォーズ」主演の座を射止めました。
が、徹さんの場合は出演中という事でかなりの異例でした。それに比例してラガー刑事の主演回は激減し、1984年は数えるほどしかありませんでした。それだけこのドラマの出演に比重がかかっていたのでしょう。
約10年前の1973(昭和48)年に同じタイトルのドラマが「時代劇」で存在していましたが、これは「太陽ー」の大先輩にあたる萩原健一氏が主演しており、悪役キャラとされる「黒駒の勝蔵」の若き日を描いた青春時代劇的な作品でしたが、これとはまったく無関係のものでした。
相手役が、後に妻となった榊原郁恵さんで、徹さん本人が郁恵ちゃんの大ファンで出演が決まった時は相当喜んだ、というのは有名な話です。
このドラマは見たり見なかったりしてましたが、病院の先生役で、ライバル的な役どころに「太陽ー」の後任となる金田賢一さんが出演されていたのが後に「おお」となりました。
とにかくこの作品が縁で、郁恵さんと結婚する事になったといいます。
続編として翌1985年に「気になるあいつ」がスタートしました。この作品は掛け持ちではなくて、「太陽ー」でラガー刑事が殉職した翌日にスタートし、そのドラマの冒頭シーンは徹さん演じる主人公が(前日に放送された)「太陽ー」のラガー殉職シーンを見て泣く、というものでした(笑)
●春風一番
1986(昭和61)年放送のやはり日本テレビ21時枠の作品。この枠の徹さん主演3部作のラストというところです。
今回の相手は郁恵さんではありませんでしたが、この3部作のすべてに明石家さんまさんが出演しており、この年の夏に「男女7人夏物語」で主役の座に躍り出て、共演の大竹しのぶさんと結婚する事にもなります。
太った身体を利用して?元相撲取りという設定にされていました。
●映画「そろばんずく」
とんねるずの主演映画ですが、この頃からバラエティの要素が濃くなり、この映画では局所にモザイクのかかった全裸で踊ってるシーンがあります。それもかなりの体格で踊ってるので、コメディーにしか見えませんでした、この映画で記憶あるのはこのシーンだけですが…
●ハングマンGOGO
1987(昭和62)年に放送された「ザ・ハングマン」シリーズの最終作です。
この時、「ハングマンの顔」的存在の名高達男さんが主演した「ザ・ハングマン6」が放送されていましたが、自身のスキャンダルにより降板する事となり、他のメンバーは残留のまま急遽徹さんが主演に据えられる形でタイトルを変更し継続された格好です。
ハングマンといえば、ハードボイルド路線のイメージもありましたが、時を経るごとにコメディーチックになっていき、このハングマンGOGOはハチャメチャでギャグ全開といっても過言ではないぐらい、ハードボイルドの要素は微塵もありませんでした(笑)
この時、徹さんの体重は最盛期(130kg)並みと思われ、ちょうど郁恵さんと婚約しており結婚間近の状況で、劇中でも「結婚資金を貯める為」にハングマンになった、とされています。
それまでハングマンの主役というと、林隆三さん(ブラック)、黒沢年雄さん(マイト)、名高達男さん(E・T、サファリ、フラッシュ)、山本陽子さん(パピヨン)といった具合ですが、徹さんの「コードネーム」は「ダブル」で、ダブルサイズだからじゃないか?と劇中で言われていました。東大出でIQ200と言われていますが、胡散臭さに満ち溢れ、そんな設定はドラマと何の関係もなく、自身が隠れ蓑にしていたラーメン屋の名前は「豚珍軒」だったり、ただただ徹さんの明るさが突き抜けていた、異色のハングマンでした。
この番組の終了した翌月に、渡辺徹、榊原郁恵の披露宴として全国中継されましたが、リアルでこれ見てました!
●別れてもダメなひと
そして、この結婚の翌年1988(昭和63)年に、夫婦そろって主演したのがこのドラマでした。
その話題はかなり先行していましたが、すみませんストーリーはよく覚えてません…
●こまらせないで
1989(平成元)年の作品で、ここでは主演ではなく準主演的立ち位置で、主演・荻野目洋子さんの兄役ですが、行方不明から突然現れ、探偵を稼業としながらもいつも失敗ばかりで家族に金をせびるようなダメ男を演じていましたが、なぜか憎めないキャラクターでした。
毎回クライマックスで荻野目ちゃんがスーパーレディーに変身して、その兄の窮地をこっそり救う(バレないように)ような一話完結のテイのものだったと記憶していますが、もう一回見たいですこの作品だけは。
今回の徹さんの訃報で、的場浩司さんがコメントをされていましたが、「徹さんがいなかったら、今の俺はない」というものでした。
それは、連ドラ初レギュラーだった彼にとって「当時自分に話しかけてくれる人間がほとんどいなくて敬遠されていたが、唯一話しかけてくれたのが徹さんだった」と、このドラマでの出会いについて触れたものでした。当時の彼は、かなりの強面だったので、声を掛けるのも勇気が要るであろうことは想像に難くなかったのですが、でも「敬遠された」と感じ取っていたのですね。底抜けに明るい徹さんが、「NGを連発して、周りから嫌味を言われても、「気にするな」と慰められた」とあり、今日電車内で偶々この記事読んでて涙が止まらず恥ずかしかったです…。
その後の役柄というと、連続ドラマから遠ざかった事もあり、正直あまり見ていなかったですが、1992(平成4)年に「俺たちルーキーコップ」(仲村トオルさん主演)のオープニングのトメにキャスティングされていた記憶はあります。
CMでは、初期は小泉今日子さんと共演した「グリコ・アーモンドチョコ」での「カリっと青春」のフレーズのもと、アイドル路線で爽やかにやっていた時期もありましたが、1990(平成2)年頃の紙オムツのCMだったか「徹なのに、通れない」と着ぐるみを着てのものが個人的にとても印象的でした。
渡辺徹さんの御冥福をお祈りいたします。