高山市では中心駅であるJR高山駅をupした事がありますが、高山市内で他に行った事のある駅はここだけで、今回はこの駅をお送りしたいと思います。
-JR飛騨国府駅-
【路線】JR高山本線(岐阜-富山間)
【開業】1934(昭和9)年10月25日
【訪問】2006(平成18)年10月
【1日あたり平均乗車人員】 25人/日 (2018年)
【近隣の都市駅】(岐阜方面) 高山駅→2駅、
(富山方面) 飛騨古川駅→隣駅
東京駅から: 5時間43分
大阪駅から: 5時間16分
※AM9:00発での最短時間
▼東京からでも大阪からでも、どっちから行っても5時間以上かかるなかなかの「難所」です。
高山駅から富山方面へ2駅行ったところにあり、更に隣は飛騨市の中心駅である飛騨古川駅です。
開業は昭和初期の1934(昭和9)年で、満州国で溥儀が皇帝となったり、スターリンの大粛清が行なわれたりと、そんなすごい時代だったのか…と思わされます。
駅名標をクローズアップしてのカットがないので、どうしても写り込んでいる形のものとなります。
本記事での写真は2006(平成18)年当時のものです。そんなに古さは感じないとは思いますが、少し前のものではあります。
▼ホーム上の待合室は意外にも室内型でした。
上の写真をちょっと右にスライドした位置になります。
この辺りの市の中心でない駅で、1日平均25人乗車の駅の島式ホームの待合室にしては立派と感じました。一段高くなっている事とアルミ製で(しかも中の椅子は木製)、なんか浮いた感じになっているのが特徴的な感がありました。
ただ、この前年の2005(平成17)年に現・高山市に編入されるまでは、 吉城(よしき)郡国府町という郡部の町で唯一の駅だったので、近年まで町の中心駅であった事になります。
駅名由来はそのまま、飛騨の国府が置かれていたという事に基づくようで、それが故の「国府町」(開業当初は国府「村」)なのですが、国府が置かれていた確証はないそうです。
▼ホームは2面2線で、互いのホームの内側に線路がある格好になっています。
ホーム上の屋根は皆無のようで、ホームで雨露をしのげる場所は…
駅舎側 ⇒駅舎裏の庇、跨線橋の真下
駅舎のない側 ⇒跨線橋の真下、待合室内
これくらいですね。
▼駅裏手(駅舎のない側)からのホームの様子です。
両ホームを繋ぐ跨線橋が実にしっかりとしたものでした。
手前は建物の基礎が残っていた格好でした、14年近く経った今は何かできているのでしょうか?
▼これは駅のものではなく、駅外で線路を跨いで結んでいる「長森人道跨線橋」です。下側の刻印?部分に「国府町」と、旧自治体名で表記されていました。
塗装年月として1986(昭和61)年11月となっていますが、この橋自体も同時期に完成されており、その事が刻印部分に明記されていました。それまでは自由通路がなく、踏切のみでの行き来だったのでしょうね。但し、人道跨線橋であって、自転車での行き来はできないようです。
▼飛騨国府駅の駅舎です。木造の立派な駅舎が残っていました。
1934(昭和9)年の開業当初からの駅舎といいます。
この当時は駅前をちゃんと撮る、というのを自分の中で確立されていなかったせいか、駅前広場と分かる写真がありませんでした。
当時まだ国府町から高山市に編入された翌年という事もあってか「国府町民憲章」というのが残っていました。近年の駅舎写真を見ると、これが見られない為、数年後かに取り払われたようです。
この翌年の2007(平成19)年より、残念ながら無人駅となったといいます。
駅前に何があるというあまりこれといったものがない所ですが、あちこちで草花のきれいな風景を目にした事はよく覚えています。