兵庫県姫路市の山陽電車/山陽天満(さんよう・てんま)駅、平松(ひらまつ)駅です。
姫路市の駅シリーズが続きますが、今回も前回の広畑駅・夢前川駅につづく山陽電車の駅です。
-山陽電車/山陽天満駅-
・路線 山陽電車網干線(飾磨-山陽網干間)
・開業 1941(昭和16)年4月27日
・訪問 初訪問-1990(平成2)年6月
・1日あたり平均乗車人員 1,144/日 (2017年)
・近隣の都市駅 (飾磨方面) 飾磨駅⇒4駅
(山陽網干方面) 山陽網干駅⇒2駅
・鉄道での所要時間 東京駅から: 4時間7分
大阪駅から:1 時間25分
※AM9:00発での最短時間
▼ここに初めて来たのは1990(平成2)年でしたが、本記事の写真は2007(平成19)年1月訪問時のものを載せます。
1941(昭和16)年開業で、前年に隣の広畑駅まで延伸開業していましたが、その翌年4月にこの駅まで延伸開業され終着駅になりました。しかしそれからわずか2ヶ月あまりの7月には現在の網干まで延伸開業され、途中駅となりました。この沿線は実に短期間で少しずつ開業していったのですね。
JR大阪環状線に天満駅が存在するため、前に「山陽」が冠され「山陽天満駅」となっています。開業当初は「電鉄」天満駅でしたが、1991(平成3)年に現駅名に変更になっています。
天満の名前は、この地に海女人が居を構えていたことから「あま」を天満と表記し、「てんま」になったと天満村史に記されているそうです。
▼改札は駅ホームより少し下にあり、階段で下りるようになっています。
▼ホームで撮れませんでしたが代わって、近くの踏切からやや遠目にホームの様子を撮ったものです。
2面2線ですが跨線橋はなく、構内踏切で互いのホームを行き来する形です。
▼駅からの目線です。
駅前広場の少し向こう側になります。
今から14年前の姿で、Google mapで見てると、なくなった建物もちらほらと見られます。
▼山陽天満駅の駅舎です。
正式駅名は「山陽天満」ですが、駅名表示の所は「天満駅」と表記されていました。
隣のお店のボロボロ加減がすごかったです。向かって左側の建物は、今では跡形もなくなくなっています。さらに左側で建設中であった建物は、すっかりマンションとして機能していたり、やはり時が経つとどこかしらの変化はあるものですね。
変な話ですが、1990年頃にはこの駅の付近に成人映画向きの映画館があったのですが、跡形もなく消え去っているようで、今となってはネットで探すこともままならない状態でした。
駅舎は1972(昭和47)年5月築のものが今も使用されており、沿線の駅舎は大体この辺りの時期の築のまま新築されていない状況です。
つづいて平松駅です。
-山陽電車/平松駅-
・路線 山陽電車網干線(飾磨-山陽網干間)
・開業 1942(昭和17)年3月10日
・訪問 初訪問-2007(平成19)年1月
・1日あたり平均乗車人員 696/日 (2017年)
・近隣の都市駅 (飾磨方面) 飾磨駅⇒5駅
(山陽網干方面) 山陽網干駅⇒隣駅
・鉄道での所要時間 東京駅から: 4時間11分
大阪駅から:1 時間29分
※AM9:00発での最短時間
▼この駅の写真も2007年1月訪問時のものを中心に載せます。
山陽電車の網干線で、山陽天満駅の隣でかつ終着の網干駅の手前にある駅です。
網干線の駅の中で利用者数が最少で、沿線駅中唯一乗車人員が1日あたり1,000人未満の駅です。
1941(昭和16)年に山陽天満駅まで延伸されていた網干線が、翌1942(昭和17)年に現在の終着である山陽網干駅まで延伸開業され、その際に当駅も開業となりました。時まさに第二次世界大戦の戦時中に開業した駅です。
隣駅表示は「さんようてんま」ではなく単に「てんま」でした。
▼ホームは2面2線、沿線駅は大体がこの形ですね。
左右ホームほぼ対称の形で、同等の設備がある状態でした。
▼自動改札機が2列分ありました。
跨線橋はなく、左側のホームからは構内踏切を渡る事となります。この構造も沿線駅大体同じです。
▼駅を出ると、広場スペースがほとんどなく、いきなり踏切越えの道路が横切る格好になっています。
駅を出て左側と右側はこんな感じで、住居と商店と入り混じった街並みでした。
(左) (右)
▼駅出てまっすぐ目線だとこのような感じで、線路に沿った小道が続く格好です。
駅前広場が皆無で、駅と向かい合わせにあたるこの建物の自販機脇にひっそりと「タクシーのりば」と置かれた標識がありました。常駐しているはずもなく、都度電話呼出しの形ですね。
軒の上にはちゃんとした看板式で連絡先書きされていましたが、ここにある「広畑ヨーカドーは現存せず、これもまた時の流れを感じる一コマという事ですね。
▼平松駅の駅舎です。
1959(昭和34)年9月改築の駅舎が60年以上経って残っている格好です。
この真ん前が普通に踏切を跨ぐ道路で、バスはおろかタクシーの乗入さえも困難です。
▼この写真のみ、その5年後にあたる2012年1月当時の平松駅の駅舎です。
建物は同じですが、屋根の駅名表示が1文字ずつの看板から、1枚モノの看板に変更になっており、また切符売り場風除けにあたる前面は山陽電車のマークが消されていました。