(2012年9月当時)
▼最初はこの建物からです。
このコンクリート色の渋すぎる建物は旧・上野市役所で、伊賀市の元市庁舎です。
1964(昭和39)年築との事で既に55年の時を経ていますが、2018年12月まで伊賀市庁舎で、市役所としては現在は別の地に移転しています。
ただ、この庁舎は下記のニュースにもあるように、放置同然の状態の末に市指定の文化財になったとありました。
現在はその利活用に関する聞き取りを行っているようで、まだ取り壊されず残っていて、この渋い建物の今後の動向が気になるところです。
▼旧・上野市の床イラストがありました!
やはり忍者ですね。
▼上野市駅の北程ない地点に、このような荘厳な建物がありました。
和風の塀が長々と続き、圧倒的な建築で、何かの博物館?と思いましたが小学校でした。
「伊賀市立上野西小学校」とありました。まさか学校、それも小学校とは…!
門もまたすごいですね。城下町である事が如実に現われていました。
ここには西隣に高校、中学校と全部並んでいました。
▼程なく、伊賀上野城が見えました。
上野市駅から徒歩8分、とアクセスにはよく載っていますが、こうして見るだけならそこまで時間を要さないかな?という感じでした。いずれにしても目の前にあるのではなく、すこしは歩きますが…。
伊賀上野城そのもののHPがありました。
これを見れば分かってしまうので、この記事の意味がなくなりそうですが…(笑)
当初は筒井定次の城として築かれましたが、後に改易となり、藤堂高虎の城となりました。高虎というと歴史の教科書に表立っては出てきませんが「築城の名手」として名を馳せ、彼の手に掛かって?できたお城は多数あり、この伊賀上野城はこの時期にかなりの改修がなされています。
▼高い石垣も特徴的ですが、天守閣のない風景も凄く画になる所が多かった印象がありました。
ここはいわゆる高石垣ではないですが、この石垣と石段と石づくしのエリアは味わい深かったです。
▼天守閣の麓?まで来てみたら、ステージが組まれ椅子がズラーッと並べてあって、なんだろう??と思っていましたが、この日は「第29回 上野城薪能(たきぎのう) 」の当日でした。
今年は第37回としてね10月3日に行なわれる予定ですが、その頃にはこのコロナ騒動が収束していれば良いのですが…。
▼日本一の高石垣といわれるお城ですが、その高石垣以外の石垣もいちいち素晴らしいのがこのお城でもある、と感じます。
▼伊賀上野城の最も象徴的なカット、
と勝手に思っている並びです。
立派な天守が建っており、これは1935(昭和10)年に建てられたもので、三重県の城郭としてかなり有名な部類にあるものと思いますが、この天守は当時の時代考証等のなされていない、いわゆる「模擬天守」です。
▼顔抜き看板がありました。
甲冑の主は藤堂高虎になっていました。
下の忍者はやっぱり忍者ハッ〇リくんみたいになってしまうのですね…
▼大天守のアップです。
下側の写真は横を縦に修正できず、この形になってしまいますが申し訳ありません。
模擬天守という事もあってかどうかですが、こうして見ると白すぎる城壁でした。
▼上野城の沿革として説明板がありました。
当初の筒井定次時代の言及がありませんでしたが…
登閣料金は大人500円で、また別施設である「忍者博物館」「だんじり会館」との共通入場券も販売されています。
▼伊賀上野城は「日本一の高石垣」といわれる石垣を堀の傍に持っているのですが、ここでは「日本一・二の高さで 有名な 高石垣」という、幾分謙虚な言い回しで標識がつくられていました。
しかし、その標識に沿っての展望が「立入禁止」のトラロープにより禁止されていたので、別地点から石垣の高さを感じる事としました。本当は石垣と対峙する位置から見て撮りたかったのですが、上手くその位置に行けず、上から見下ろすみたいになってしまいました。
▼大天守の階段下に伊賀市のものと思われるカラフルすぎる車両がありました。
市のバスではないようですが…
ハッ〇リくんみたいなキャラはそれぞれ「にん太」「しのぶ」と名前が付けられていました。
▼上野城などのある一帯の「上野公園」内にある「芭蕉翁記念館」です。
伊賀忍者と松尾芭蕉が大きなウリの伊賀市において、上野城とそれから俳句を愛するものの聖地ともいうべきこの地は貴重な観光資源と思います。
入館料は大人300円、開館は8:30~17:00(入館受付は16:30まで)となっています。
芭蕉ゆかりのものだけでなく、近現代の連歌俳諧に関する資料も揃えられているの事です。
▼上野公園を出て、最後はこのカットです。
上野市駅前の「新天地商店街」です。
屋根が高く、道が細い、昭和感の色濃く残る商店街でした。
いちばん上の写真の向こうにある「映劇ビル」は「上野映画劇場」というところのビルで、1951(昭和26)年に開館し、1978(昭和53)年の改築、縮小を経て昭和の伊賀の映画史を支えてきましたが、1990(平成2)年に閉館となり、まだこのビルだけが残っていました。
商店街としては、この2012年当時はかなりなシャッター商店街で、風前の灯か?というような状況だったようですが、今は息を吹き返して若い女性も訪れるようなエリアに変貌しているようです。
かつて昭和30年代は街の中心として賑わっていたようですが、ご多分に漏れずドーナツ化現象等で時代に取り残され、この時のような状況にまでなったようですが、その後の活気づいた状況がまだ見れていないので、今度はその状況がレポできれば…と思いました。
そんなこんなで忍者の城下町・伊賀市の探訪でした。