豊後大野市は大分県の南部に位置し、人口は38,434人(2012.12.1現在)で、2005年に旧・大野郡の5町2村が合併してできた新しい市で、
-JR三重町駅-
【路線】JR豊肥本線(大分-熊本間)
【開業】1921年3月27日
【訪問】2013年1月
【1日あたり平均乗車人員】 887人/日 (2010年)
【近隣の主要駅】(大分方面)大分駅→8駅
(熊本方面)豊後竹田駅→4駅
▼駅名標
先月訪ねました。2010年夏には行ける可能性もありましたが、すっ飛ばして隣の市である豊後竹田へ行った事もあり断念し、2年半越しのリベンジといったところです。
というのも、当時は朝に大分を発ち、まずは久大本線で由布院へ行って、また大分に引き返し、豊肥本線に乗って…、としていたので、一度にいくつも行けず、竹田かここかの選択となり、竹田を選んだというのがあります。
現在の豊後大野市となる前の当地の自治体名は三重町であり、当駅も「三重」駅となる事なく、そのまんま駅名になっています。三重県と混同される事を避けたのでしょうか。ちなみに今の豊後大野市の名も福井県に既に大野市がある事から、豊後という旧国名が冠されています。
▼奥豊後の旅 みえまち
ホームの一角にかかっていた大きな看板です。
ことごとく駅から車〇分、といった表示で、歩き旅ではなかなか難しいなといったところです。
▼跨線橋あたり
ホームは跨線橋で結ばれていますが、その階段のサイド部分は鮮やかなスカイブルーで、階段の縁の部分が黄色なので、かなりコントラストが出ています。
駅規模はあまり大きいとはいえず、市の中心駅かというと少々??な感じですが、跨線橋にはかなり特徴を感じます。
階段部分は上が吹抜けになっている構造で、橋部分は上が窓によって調整可能ですが締め切る事も可能です。なので冬寒い時に跨線橋の橋の部分にいれば、ある程度の風はしのげます。
橋の部分は天井骨組みがブルーにペイントされていて、両サイドの内壁は鮮やかな木目、床面はコンクリ色、ということでなんだかバラバラな感じです。
▼跨線橋 外装1
跨線橋の橋の部分の外装は、こちら向きの階段の下りている側と反対側ではまた違った顔をしています。
こちらは白のボディに青い枠と筋交いが入っていて、コントラストが効いています。
▼跨線橋 外装2
こちらは階段の下りていない側ですが、橋部分の外装も筋交いも共にライトブルーです。
片側は白にライトブルー、もう片側はライトブルー一色という、西武ライオンズのユニフォームを連想します、ホーム用とロード用の(笑
この見た目にも市の中心らしい規模の駅とは思えませんが、見栄えはなかなかのもので、跨線橋のカラーリングなどをとっても、そこそこ金がかかっている感じで、市の中心(というより、旧・三重町の中心というべきでしょうか)らしい雰囲気は垣間見えるといったところです。
▼円にベンチ?!
駅舎ヨコ、トイレとの間にあったものです。
ベンチのようにも見えますが、下の円かきれいすぎて、足を踏み入れるのにも恐縮してしまうような、これはモニュメントなのでしょうか。
▼女人禁制?!
おおいた遺産、という事で仏さんの絵がコミカルに描かれていました。
豊後大野市 竹田市のお不動さんにあいに来ちょくれ!と呼び掛けています。
あ、別にこれ自体が女人禁制ではないんです。これが貼ってあった場所が駅の男子トイレの中だったというだけです。
▼駅ヨコ
先ほどの謎の円形のものが駅横にあるのが分かると思いますが、こういう位置関係です。
この手前がトイレです。
∩←この形の部分が多い、この駅の個人的な印象はまずコレです!
▼駅前風景
駅からの目線です。駅前の通りを正面から撮り損なってこんなアングルですが、高い建物はなく、昔ながらの雰囲気の強い駅前の様子です。
左の角の部分にちょっとしたスペースがあって、地図やオブジェが設置されています。
▼三重町駅 駅舎
やはり逆U字のよく目立つ駅舎です。
豊後大野市という町村だけの合併でできた所の駅で、旧町の中心駅といえどさして特徴のない平凡の建屋の駅舎と思いきや、意外と横長で駅舎の建屋規模はなかなかのもので、思ったよりは大きかったです。
てっぺんに突き出た三角屋根もインパクトがあって、建物が平凡化しない事に大きく貢献しているといえます。
駅横に自転車が所狭しと停めてあるのは、えびの駅で見たのと同じ風景でした。。