竹田市は大分県の南西部に位置し、人口は24,294人(2010.7.1現在)で、作曲家・滝廉太郎が幼少期を過ごした町で、「荒城の月」は市内の岡城をイメージして作られたといいます。その岡城を擁する城下町としての側面の強い町でもあります。
-JR豊後竹田駅-
【市内】市内3駅(いずれもJR)中の中心駅
【路線】JR豊肥本線(大分-熊本間)
【開業】1924年10月15日(訪問は2010年8月)
【1日あたり平均乗車人員】 467人/日 (2006年)
【近隣の都市駅】(大分方面)三重町駅→4駅
(熊本方面)阿蘇駅→7駅
▼大分県の駅、ならびに九州の市の駅初登場です。今回の盆休みで実に13年ぶりに大分県を訪ねました。
「たけだ」と濁らず、「たけた」と読みます。市名は元々そうでしたが、駅名は昭和44年に「ぶんごたけだ」から濁点が取れる形で改称になったといいます。私は来るまでは「たけだ」だと普通に思ってましたが…
豊後大野市の三重町駅まで3駅、熊本県阿蘇市の阿蘇駅まで7駅と人口2~3万人台の小都市が周辺にあります。
▼木造の立派なホーム上の屋根、骨組みが複雑に入り組んだ様子が見事です。柱の足下は全て太い台座が敷かれている格好でこれもまた重厚感を一層強めています。
▼ホーム上のベンチの1つに、カボスの輪切りが。
大分県の駅にはちょくちょくこのような輪切りにしたベンチが見られますが、カボスは大分県を代表する特産品であることから来ているようです。近年はエコノミークラス症候群等による血栓に効果があることが分かったとか。
しかし輪切りとは考えましたね…。
▼市内の岡城のイメージ模型でしょうか、日本100名城に入る素晴らしいお城ですが、明治初めの廃城令で破却され、現在は石垣しか残っていませんが…。
この模型の石垣部分には「日本人の心に流れる 名水の流れのように 『荒城の月』を歌い継ぎたい」とあります。
▼ホームは1面2線のみで、この階段をおりて改札へとつながります。
大分県銘菓として「荒城の月」の看板が出ていました。さすが滝廉太郎の町!
▼ホーム下階段から見上げた様子、見事な木造屋根の構造がよく見えます。
▼ホームを降りた下の通路は「トンネルギャラリー」として市内各所の風景写真が飾られています。
こういうスペースをこのように有効活用しているところには実に好感が持てます。
▼トンネルギャラリーには「ふるさと竹田 夏風景」として市内各所の写真が展示されています。
「旧市内」とありますが、竹田市は2005年に平成の大合併で周辺3町と共に新制・竹田市となり、それ以前は人口1万人台だったといいます。その頃の市内エリアなのでしょう。
▼駅舎内です。はてこれは何の建物でしょうか、確認するの忘れましたが、改札横に結構な大きさで建っていました。横には待合室があり、また入口すぐのところには魚(ランチュウか何か?!)が飼育されていました。
▼これが豊後竹田駅の見事な駅舎です。
この駅舎が見たかったが為に、大分駅から豊肥本線に乗ってやって来たようなものですが、実際にこの目で見ると写真で見るよりも何倍も感動しました。
ここは絶対一見の価値ありです[E:sign03]
新しい和風建築の駅は興ざめする事もありますが(それなりにお金かかっているのでしょうが)、この駅の建物はホンモノです。
▼もう少し引いてみてのカットを。横に長いのでかなり離れないと全体像が撮れませんでした。
どこから見ても実に立派な駅舎です。人口2万人台でも昔から市としてある所の中心駅は立派なものが多いです。平成の大合併で新市になった所もゆくゆくは中心駅として大きくなってほしいものだと思いますが如何なものでしょう。