続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

生活と思い出と世の中と(2007年)

遡って振り返る「生活と思い出と世の中と」、15回目は2007(平成19)年です。

平成も10年代まで遡ってきました。個人的には37歳になる年でした。

 

●仕事

今の会社に入ってから初めての異動で、といっても部門と建屋変わっただけで転勤はしてないんですが、仕事を持って来る形での異動となりました。これが今の職場の前の建屋へ移った時の事でした。

そして4月からは新システムがいよいよスタートという事で、これの実務者への対応を任されました。初日からエラー出まくりで、半日間止まったり、波乱のスタートでした。それからは当然のように、毎日毎日何やかや質問と不具合連絡とでだいぶバタバタしていたのを覚えていますが、15年も前の事なのか…と振り返れば思います。

自分だけ部門の毛色に合わない変わった事をやっていたので、周囲からの違和感と、自分から周囲への違和感にさいなまれ続けた時期でもありました。

前所属がすごい楽しかった中での異動だったので、「どんなとこに放り込まれるんだろ」と行く前は思っていて、行ってからは日々悶々そんな感じで、仕事ってつくづく環境次第だなと思わざるを得ませんでした。

 

●プライベート

大人になってから、殆どちゃんと親戚と会ってなかったくらい疎遠でしたが、この年久々にちゃんとした形で多くの親戚と会いました。伯母の不幸がキッカケでしたが…。15年とか20年くらい会ってなかったり、会ったけど前回は一目だけだったりとかしてて、特に従兄弟と会うのはホント久々でした。

 

●ニュース

第一次安倍内閣が辞任し、福田内閣が誕生という、二世同士の首相交代劇がありました。先日亡くなられた安倍さん、この時はかなり期待をかけられていましたが、病気による辞任という事で、この後は厳しいのかな?と思っていましたが、まさか後に長期政権をとる事になるとは、この時全く思っていませんでした。

その安倍首相が後に遭うのと同様に、銃撃により長崎市の市長が亡くなる事件がありました。宮崎県では、東国原英夫氏が県知事に当選「どげんかせんといかん」の言葉が流行りました。

 

●訃報

大杉君枝さん …鈴木姓で活躍した元日本テレビアナウンサー。

高松英雄さん …ギョロっとした目つきにぶっきらぼうな役柄が印象的、「華の嵐」の朝倉男爵役など。

小林恭治さん …「太陽にほえろ!」次回予告に欠かせない名ナレーター

鈴木ヒロミツさん …グループサウンズモップス」で歌手として活躍後、性格俳優へ転向「夜明けの刑事」シリーズ小林刑事役など

船越英二さん …「熱中時代」「暴れん坊将軍Ⅲ」など重鎮として欠かせない船越英一郎氏の父

佐藤秀明さん …阪神近鉄で中継ぎとして活躍した投手

菅野光夫さん …日本ハムで背番号1をつけて、昭和50年代に活躍

植木等さん …クレージーキャッツの人気メンバーで多くの映画に主演し、解散後も「ザ・ハングマン」シリーズなど俳優として活躍

横山ノックさん …「ノックは無用」の"フォンテーヌ"が有名なお笑いタレント。タレント議員のはしりで大阪府知事も務めた

北村和夫さん …刑事ドラマの上長役、頑固のお父さん役など日本の父親像を体現した俳優

塩沢ときさん …巨大な独特のヘアスタイルの女優、幾度とないガンとの闘病

坂井泉水さん …ZARDで大人気を得るも後半生は病気に悩まされ早世

石立鉄男さん …「石立ドラマ」の異名を取る70年代疑似ホームドラマで数々の主人公を演じた二枚目三枚目のできる俳優

谷幹一さん …ギョロ目とコメディタッチの役柄が印象的で、大岡越前など月曜8時のナショナル劇場等で活躍

中江真司さん …仮面ライダーシリーズ、特捜最前線等の名ナレーター

宮澤喜一さん …1991年宮沢内閣にて首相を務めた政治家 

琴櫻 …佐渡ヶ嶽親方として多くの力士を輩出。現役時は琴櫻として鳥取出身で30歳を過ぎて横綱に上り詰めた

稲尾和久さん …鉄腕で鳴らした西鉄投手。空前絶後のシーズン42勝はNPB記録。ロッテ監督も務めた。

花井悠さん …「おはよう朝日です」の解説で有名な元プロ野球選手

ダン池田さん …パンチパーマに口ひげで打楽器を叩いて「オールスター家族対抗歌合戦」などで活躍

 

プロ野球

前年甲子園の大舞台を沸かせたマー君こと田中将大投手が高卒でデビューし、見事新人王を獲得しました。甲子園のライバルだったハンカチ王子佑ちゃんこと斎藤佑樹投手はこの時プロ入りせずに早稲田大学へ進学していました。

中日が53年ぶり2度目の日本一になった年でした。結構優勝してるイメージがあったのですが、不思議と日本シリーズでは勝てていなくて、以前までの近鉄(日本一のないまま消滅)に限りなく近い状態だったのですね。

日本シリーズで今年からずっと見て記憶が殆どないのですが、いちばん直近で覚えているのがこの15年前の事かもしれません。中日先発の山井投手が8回までノーヒットで四球もなく、日本シリーズ完全試合か?」と注目されながら、9回には岩瀬投手が出てきて、「継投での日本シリーズ完全試合」となりましたが、この9回にリリーフ投手を投入するか?で物議を醸しました。今年、ロッテの佐々木朗希投手が2試合連続完全試合か?と言われたタイミングで完投させなかった件がありましたが、その時にこの日本シリーズでの継投の事を思い出しました。

 

●大相撲

大関栃東が引退しました。まだ早いのでは?と思いましたが、ケガに加えて、高血圧や脳梗塞など知りませんでした。このまま取り続けると生命に関わるといわれていたとか。彼が優勝して以来、日本人が優勝していない、という状態がここから長く続いていく事となります。

琴光喜大関に昇進しました。実に31歳3ヶ月という遅咲きで、2年間ずっと関脇で足踏みしてきた事もあり、或いは関脇止まりかとの声もありましたが、見事に昇進し、またその後も活躍を続け、2010(平成22)年まで3年現役を続けていました。野球賭博の疑いで解雇になったもので、体力的な問題ではありませんでした。大関にまでなりながら解雇で協会に残れなかったのが極めて残念でした。

そして、白鵬横綱になったのもこの年でした。祖まで朝青龍の天下のような状況でしたが、そこにモンゴルの後輩・白鵬が割って入り、彼の時代がやってくることになりますが、逆にモンゴル勢の隆盛にもなっていきました。

またこの年には、時津風部屋で暴行により力士が死亡する事件がありました。当時の時津風親方は有罪に問われ、また後継として当時現役であった時津海が引退して、時津風部屋を継承する事となりました。この辺りから相撲界は数年色々、事件や不祥事が特に目立っていく事となります。

 

●旅行

2008年同様、一駅ずつ訪問する「駅めぐり」を主としていました。近場の阪神、阪急、近鉄などの駅めぐりや、JR東海道線乗りつぶしなど、しんどくて楽しい旅でした。それこそ大阪から東へ、一駅一駅という感じで。

Himg0628 2007年当時のJR沼津駅

 

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これだけではないような気がしますが、思い出したらまた追記していきす!