-BTS/モーチット駅-
【路線】BTSスクムウィット線(モーチット-ベーリング間)
【開業】1999年12月5日
【訪問】2014年8月
【近隣の主要駅】(モーチット方面)モーチット駅→4駅
(ベーリング方面)パヤータイ駅→隣駅
●駅名標
前回タイ記事の「モーチット駅」からBTSに乗って4つ目の駅です。
記事タイトルとしては日本語の「戦勝記念塔」駅としており、この駅名標にも英名としては「Victory Monument」と表記されていますが、現地駅名は「アヌワーサリーチャイサモーラブーム」駅というそうです。長いので和名を記事タイトルにしました。
●踊り場へ
高架のホームから階段を降りていく所です。
BTSの駅は大抵、このような踊り場部分に広告看板があります。
これは…ピザなのでしょうか??
階段を降りた先には売店が覗いて見えます。
がありました。
ここは英語表記のものが多かったですね、タイ語じゃサッパリ分からなくて、外国語ながら英語がこんなに親しみもてるとは…というのは海外に行けば思う事のひとつですね!
ホテルでのチェックインのやりとりも英語話すしかなかったから、単語並べ立ててやってました。何年も授業で英語やると多少なり身につくものはあるのかな、と実感します。
高架ホームから見下ろした様子です。
ここにもナント、ピザの広告看板がありました!
その傍に何人かオレンジ色のベスト?を来た方々が居ますが、バイクタクシーと思われます。他の駅でもよく見受けましたが、駅を出るやこのような方々のバイクの後ろに乗ってどっかへ行ってしまってて、機動力の高いタクシーとして重宝されているようです。
日本じゃ見られない光景なので、初めて見た時は何か分からずただ驚いて見ていただけでした。
こちらはパラソルの並んだ露店群となっていました。
これもまたバンコクの高架駅の下でよく見かけた光景でした。なかなか買おうという気にはなれませんでしたが…
色んな駅を行った訳ですが、こういう光景に限ればどこでもある感じで、色んな所に行ったという達成感のようなものはあまり芽生えなかった、というのが正直な所ではありました。ただし、ここの駅前はかなりインパクトの強いものがありましたので、その部分は例外的でした。それは、この次の写真にて。
駅名にもなっている戦勝記念塔を中心にロータリーがつくられている状態で、高架の線路も周辺で弧を描きながら通っています。
戦勝、とありますが、1940年のタイ・フランス領インドシナ紛争を指し、ここでのフランス軍との戦いで没した兵士たちの慰霊碑として建てられているものです。
1940年11月から約半年間、タイとフランスで戦いが展開され、拡大し続ける中、和平を斡旋したのはなんと日本だったという、あまり歴史の教科書で見かけないこの事に驚きました。終戦は「東京条約」なるものを締結される形で迎えたといいます。第二次世界大戦の開戦は、この年の暮れになるという、1941年というものの日本の慌ただしさが改めて感じられました。
「戦勝」とあるように、結果的にタイの要求をフランス側がほぼ受諾する形となりました。
気がつけば、駅の写真を撮ってなかったのですが、駅として独立した建屋ではなかった印象があって、またその方向にもカメラを向けづらかった覚えもあります。駅ホームと周辺の雰囲気のみとなりますが、戦勝記念塔駅でした!