続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

宮崎/串間 吉松家住宅は無人なり

宮崎県串間市JR串間駅からの歩き旅です。

(2014年1月当時)

Dsc01532 ●ガイドマップ

駅前にある串間市のガイドマップです。

宮崎県最南端の市で、南半分の外周は海に面しています。

割に有名な観光地としては「都井岬」がありますが、線路は駅の中央部を横断する形で通っているので、結構距離があります。行こうと思えばそれなりに時間が必要になります。あと、いくつかの離島もあります。

Dsc01533 ●駅前道

駅前広場挟んで線路と平行に通る形の道路です。

この先の交差点を右折した道路が実質的な駅前通りかな、という感じですが、明確に商店街になっているという感じではなかったです。

左折すると都井岬と標識に出ていますが、バスで35分ほどかかるそうで、串間市コミュニティバスで土日は5往復出ているとの事で、都会のように待ってたら来る訳ではないので、バス時刻表は要チェックですね⇒  「033p4.pdf」をダウンロード

Dsc01536 ●マンホール

串間市のマンホールです。

真ん中には馬の絵がありますが、都井岬に生息している野生の「御崎馬」です。

江戸時代、高鍋藩が軍用馬として放牧していたものが半野生化したものだといわれ、国の天然記念物にも指定されています。

この時は、飛行機の時間もあったので、限られた中での行動で岬まで行くとか絶対できませんでしたが、今度行けるなら行って、この馬を見たいですね。野生の馬という場個人的には、沖縄の与那国島(日本最西端の地)で見た、「与那国馬」の印象が強いですね。

Dsc01592 ●拓味亭

ここで昼ご飯を頂きました。

串間駅のすぐ隣にあります。

土曜夜と日曜が定休ですが、この時は土曜の昼間だったので入る事ができました。

カレー・丼物・各種定食、と看板には書かれていました。なんか定食頂きましたが、相当ボリュームがあった事を覚えてます。

Dsc01538駅前通

上の「駅前道」の写真から、交差点を右折した所、駅からまっすぐではないですが、駅出て左サイドからまっすぐといった地点の通りです。

建屋もまばらで商店街風でなく、市の中心地の駅前の雰囲気でもない、そんな印象でした。

向こうへ行くほど建物は増えてくるかな、という程度で、特別密集した中心地がどこにあるのかよく分からないまま帰ってきました。

Dsc01560串間市役所

上の写真の通りをしばらく歩いて右にそれてすぐにこの串間市役所があります。

白くて角ばった印象の強い建屋でした。

時計の下の垂れ幕は「東九州自動車道「日南-串間-志布志間」の早期整備計画・着工を目指そう」と記されていました。

入り口前に立っている標識は、市のコミュニティバスである「よかバス」のものです。曜日によって運行している便もダイヤも違いますが、1日3方面ほどで、各々3本ずつ程度です。

Dsc01544 ●看板

市役所前にいくつかあった看板のうちのひとつです。

他の看板はよくある平和都市宣言的なものでしたが、こちらはホントにローカルな内容で、その中でも加地屋蓮投手のソフトバンクホークスドラフト1位指名おめでとうの文字に惹かれました。今シーズン新入団で、ソフトバンクのドラフト1位の選手がここ串間の福島高校という所の出身なのだそうです。

他に串間では、ロッテの前監督である西村徳文氏も当地の出身です。この方、どちらかというと地味なイメージも強いかもしれませんが、記憶よりも記録に残る選手ではあり、1986年から4年連続盗塁王を獲得したり、パリーグでは初という快挙も複数残しており、ベストナイン・Gグラブ賞を内野外野の両方で獲得とか、スイッチヒッターでの首位打者獲得とか、記録は沢山残し当時のパリーグを代表する選手でしたが、当時は今ほどパリーグにスポットが当たらなかったという時代背景もあり、記録ほどの認知度が高くなかったように思いました。

Dsc01545_2 ●旧吉松家住宅

さて、ここから記事タイトルにある、この吉松家住宅のカットに入ります。

串間駅より徒歩約5分、串間市役所の近くでもあるのですが、通りがかりに出くわしました。

この串間ではホントそんな長く居なかったのですが、最も串間に来たな、と感じる事ができたのはここに来た時でした。家屋の中まで入っていませんが、この中はフリーに入れる(というか誰もいなかった)ので、入ってみました!

Dsc01546 ●中の様子1

上の写真で見えている建屋です。

国指定重要文化財であり、都井岬もそうですが、これも串間にとっての重要な財産のひとつです。(無人ですが…)

吉松氏は、甘木(福岡)の地から秀吉の九州討伐に敗れ配置替えとなった秋月氏に従って、当地に入ったといわれ、以降江戸時代を通じ武士同格の家柄であったそうで、この家屋は大正時代の上棟だそうです。

Dsc01550 ●中の様子2

上の写真から奥に入って右に曲がった位置の様子です。

こっちの建屋がメインかな、というところで、大正時代の建築が色濃く残る貴重なものとなっており、昭和60年頃まで使用されていたそうです。この右の建屋の扉を開ければ中の様子もよく分かったのでしょうが、中途半端に時間が無かったりして中には入ってません。とりあえず無料です。

Dsc01555 ●中の様子3

上の写真とは反対側から撮ったものです。

裏入口といったところでしょうか。

観覧は無料ですが、施設の使用も可能で、部屋により異なりますが1時間あたり200円や400円といったところで使用する事もできるようになっています。

Dsc01552 ●足踏み脱穀

「ミノル式 親玉号」と書かれているこれは足踏み脱穀機だそうです。敷地内の一角に置かれていました。

「細王舎」という川崎市の農機具メーカーの商品で、1889年に創業された会社ですが、大正期この商品が出た時は全国を席巻していたとあり、いわばヒット商品だった訳ですね。

細王舎はその後昭和35年に当時の小松製作所と提携し小松部品㈱となり、後に小松ゼノアとなって現在に至るといいますが、川崎には創建の碑が立っているそうです。

Dsc01557

●大八車

これも建屋前の一角に置かれていたものです。

往時を偲ばせる貴重なものですね。

同じような二輪で側のついたリヤカーも最近見なくなりました…、うちの田舎には昔ありましたが。この大八車はリヤカーに取って代わられたといいます。

という訳で、「吉松家住宅」を中心にお届けした串間市の旅でした。