続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

静岡/下田 マイマイ通りあたり

静岡県下田市伊豆急行/伊豆急下田駅からの歩き旅です。

(2012年1月当時)

駅前みやげ物店

下田みやげ・民芸品って事で駅前にあったこのお店。

建屋が城郭のような宮殿のような不思議な雰囲気で目を惹きました。

下田は人口が少ない街ながら、歴史もあるし観光資源に恵まれていて活気があります。

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寝姿山ロープウェイ アップ

伊豆急下田駅下りてすぐの駅前広場からアップで撮ると、こんな風にロープウェイの上まで見えます。地上から約3分でここまで着くそうです。

寝姿山とは、女性の仰向けの寝姿に似ているところからその名がとられたそうですが、そう書かれると想像してしまいます(笑

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標識

これも駅前にて。

ペリーロード、下田はペリーの艦隊がやってきた地であり、その開国要求に応じて開港した(これにより鎖国解かれる)地でもあり、ペリーとは切っても切れない関係ですね。

下田に来たらば、やはり開国の歴史に触れなければ…と思い、歩きました。

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水仙まつり広告エリア

12月20日から1月末まで開催される「水仙まつり」のPRエリアが駅前にありました。

この会場自体は海に面した先っぽの瓜木崎というところですが…、その先っぽに300万本もの水仙が華麗に咲き誇るそうです。個人的に幼稚園の時、すいせんぐみだったので、思い入れのある花です。

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下田マイマイ通り

光りでよく分からなくなってしまっていますが、下田マイマイ通りと銘打たれたこの通り。

マイマイはカタツムリのマイマイからきているのですが、これもまたペリー来航で持ち込まれたものだそうです。それって外来種というやつですか、つまり…

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新田御陣屋跡

ここ下田は幕府直轄地で、三島代官所支配下にあったといいます。1691年、三島代官陣屋が開設され、手代2人が詰めて、地方事務を扱った後、陣屋詰の韮山代官手代は常勤となり、代々片岡氏が世襲し、この片岡氏の陣屋を新田御陣屋と呼び、地方事務所の始めとなった。とありました。

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春水の松

陣屋跡のすぐ近くにあります。

この松は、村松春水翁が明治29年にこの地に医業を営んだ頃の庭木だそうです。医業の傍ら「唐人お吉」を起章したという人物で、下田に欠かせないというこの作品のなした功績は大きいわけですね。

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浄土宗海善寺 山門

豆州41番霊跡とありました。

1350年開創とされ、1590年に現在地に移ったといわれています。秀吉の天下統一の年ですね。

幕末期に当時の14代将軍・徳川家茂公が1863年に越年したという歴史を刻んだお寺でもあります。

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ラーメン倶楽部建屋骨組み

この記事最後は、このラーメン倶楽部の入っている建屋の素晴らしき骨組み?!です。

縦線と横線が織りなす模様と青空に薄暗い雲が覆う微妙なバランスが何ともいえない絵となっています。

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