続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

大阪/岸和田② 岸和田城をゆく!

大阪府岸和田市南海/蛸地蔵駅からの歩き旅です。

 

(2012年9月当時)

 

蛸地蔵駅から岸和田城へ向かう経路のワンカットです。

昭和感満載の商店街、という感じの通りを進んでいきました。

この写真も2012年当時という事で、今から12年も前の様子になりますが。

 

↓スタート地点の蛸地蔵駅についてはコチラ

lefthand926.hateblo.jp

 

蛸地蔵駅から、岸和田城までの経路です。

 約600m、徒歩10分で行けるという事で、この城郭地形を見て高まりました。完全に堀に囲まれたお城、という感じで。

 

▼駅からは狭い商店街を通っていきますが、このような市街地へ出てきて岸和田城へ近づいていきます。

 

岸和田城が見えて最初に撮ったカットです。

堀の広そうな様子は地図で見て取れましたが、こんな素晴らしいお城か!と改めて高まりました。

堀を埋め尽くさんばかりの蓮の群れも素晴らしかったです。

 

▼お堀も素晴らしいし、周りの石垣も壮観な城郭です。

大阪府だと、大阪城の次に見応えのあるお城になるんじゃないかと個人的には思います。

 

▼お堀の蓮畑のアップです

(集合体恐怖症の方はすみません…)

花が咲いていないとちょっと、ウワっとなるかもしれません。

 

岸和田市役所は、岸和田城の道向かいにあります。

「市制施行90周年」の垂れ幕が掛かっていましたが、岸和田市は1922(大正11)年に大阪府下で大阪市堺市に次いで3番目に市制施行され、この2012(平成24)年当時90周年を迎え、現在では100周年も越えました。

この市役所は築70年を迎えるという事で、以前から建て替え計画が上がっていますが、白紙に戻されたり、延期されたりで、今でもまだ具体的なメドが立っていないようです。

 

▼柳の葉が揺れる様子が、お堀沿いの雰囲気をより高めてくれているように思いました。水面を鳥の群れが飛び回っている様子も実に画になる事を感じました。これぞお城の堀!という感じで。

 

岸和田城の城郭内に入ってきました。

この建物は「二の丸多聞」の表示があり、二の丸公園にあるこれはトイレです。

すごく豪華なトイレですね。

城下町にはこういう和風建築のトイレは多々ありますが、土台の部分が凝ってたりして、ここまで立派な造りにしたトイレも珍しいと感じました。


▼入口にて。

猪伏山(いぶせやま)、千亀利城(ちきりじょう) の文字がありました。

猪伏山という小高い丘にあり、機の縦糸を巻く(ちきり)という器具に似ているという事で、当て字で千亀利となったようです。縁起良い文字が並んでいますね。

 

▼敷地内の芝生エリアに多数の松の木が生えている中で、木製の時計塔がより映えていました。

 

岸和田城天守閣の案内です

中へ入る事ができますが、入場料が必要です。

 

▼お城の山門を入るところで、手前にはスプリンクラーのミスと散布があって、大変助かりました。この時、9月の初めでまだまだ暑かったので。

 

▼上の写真の山門をくぐり抜けた直後の様子です。

左側に写っている樽のようなものは「甑(こしき)用大釜」とありました。近くの酒蔵(信貴本家酒造=1999年廃業)からの寄贈品だそうですが、直径150㎝あるといいます。

 

▼山門を入ってぐるっと進んでいきました。

岸和田城にまつわるいろんなパネルが並んでいました。

 

▼そんなパネルの一部です。

ここでは「岸和田合戦」や「蛸地蔵縁起」について説明がありました。

岸和田合戦は1584年、有名な小牧・長久手の合戦の年の出来事ですが、この合戦に出陣した秀吉の隙をついて、大坂を目指した多数の根来勢に対して、少数の城兵で守り通した合戦だそうです。

その岸和田合戦の伝説を描いたのが蛸地蔵縁起という絵巻だそうです。

 

岸和田城天守のカットです。

実にカッコいい天守です。

当初の天守は今のものと違う形で1597年に築かれたといいますが、1827年に焼失して以降は新たに建てられることなく、1871(明治4)年には廃城となっています。城主としてはいくつかの氏族が治めていますが、岡部氏が長く務めていました。

現在の天守は1954(昭和29)年に、市民や旧城主(岡部氏)子孫等の要望で建てられた復興天守で当時の姿とは無関係のようです。

当時は5層の天守だったという事で、この3層のものよりもっと立派であったのかもしれませんが、明治の来る40年も前の1827年に焼失してしまっては少なくとも写真は残っていないですね。

 

天守を正面から。

堂々とした雰囲気がカッコいいお城です。

大阪府大阪城以外にこんな立派天守のあるお城というと、ここぐらいなので当時を偲ぶものでなくてもシンボルとして素晴らしいと思います。

 

天守の前の庭園は周りも凝った造りになっていましたが「八陣の庭」というものです。これは昭和になってからの復元時に庭園研究家が施したものだそうです。

 

天守閣は有料という事で先に記しましたが、内部は展示がなされており、このような案内がありました。

天気がよければ、このような南大阪からでも明石大橋などが見えるとありました。

 

▼ひと通り見て、またお堀の外へ出てきました。

色々なアングルから撮りましたが、いくつかのカットを。

石垣から木が横へ何本も生えているのが、生命力の強さを感じました。

そして水面に写る城郭も素晴らしさを感じました。

「日本の百名城」の選からは漏れてしまいましたが、「続・日本の百名城」として161番目に登録されました。

 

 

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