(2007年10月当時)
●笠岡駅前通り
今からもう9年前の姿となりますが、笠岡駅北側からの通りです。
市の中心の駅前らしい並木道になっていて、高い建物はあまり見当たりませんが、駅前らしい整然とした雰囲気は見受けられます。
向こうが山になっていて、この通りは300m程度で突き当りとなり、垂直交差する道路に繋がる事となります。
笠岡駅前の各商店街には、通りの名前の表示と共に七福神の各神が添えられていました。ここは財弁天がいました。
左手前には肉屋さんがありました。最近は何でも量販のスーパーで、肉屋さん魚屋さんと別々に買いに行くという事もなくなってしまったな、という事を、こういう写真を見るにつけ思います。
この本通りという所では、布袋様がいました。駅前通りを歩いて2つ目の信号、駅前広場を抜けて正味50m程の地点を左折した所にあります。
●笠岡市マンホール
笠岡といえば、笠岡諸島があるように瀬戸内の多くの島々がある街でもあり、そんな沖の島々と、カモメが描かれていて、手前はこれまた笠岡を象徴する存在といえる「カブトガニ」が描かれていました。
ちなみに別にカラー版のマンホールがあり(見つけられませんでしたが…)、某サイトでそれを見ると、青々としたとても鮮やかな色遣いの傑作でした。
●浄心寺
心を浄化する寺、なんという良い名前のお寺でしょうか。
親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗の本願寺派のお寺です。浄土真宗の略なら浄真寺かもですが、浄心寺なのですね(^^
笠岡駅から北東方面へ約5分の距離にあります。
1591年開基といわれ、これは豊臣秀吉が天下統一した翌年にあたります。善了という僧が本願寺の宗主・顕如の命を受け建立とありました。
個人的には笠岡の街を歩き回ってて印象深かったのは、こういった狭い路地かもしれません。
これよりもっと狭い路地の方がより印象的でしたが、ホントに狭い路地によく出くわした記憶が鮮烈にあります。
街なかから線路沿いへと戻ってきた格好です。
「SEA SIDE MALL」とありますが、線路の向こうは南側、海寄りとなります。そしてここは「笠岡シーサイドモール」というショッピングセンターです。
1979年にオープンし、敷地面積は約9,000坪、駐車場1,000台収容の笠岡一の大型商業施設です。開業当初はニチイを核としていましたが、やがてサティになり、2002年にはマイカル破たんによりサティが撤退しています。今はスーパーのマルナカやここにも見えているダイソー、衣料店のウエスギなどが核となり存続しているようです。
同じく線路沿いを歩いていたところですが、このような素晴らしい白壁の建物に出くわしました。この建物もまた、個人的には笠岡とイコールで結びつくぐらい、印象的なもののひとつでした。
白壁建屋のところを横道に入ってのカットです。
この狭い路地感!これを見て、笠岡=路地のイメージが一層強まった訳です。
それまでアーケードのない商店街の写真がいくつか出てきていましたが、こちらはアーケードがついたものです。手前の食堂がいかにも昔ながらの雰囲気で、こういう街にはピッタリという感じです。
この食堂には「岡山ばらずし」の幟が出ていましたが、魚のつけ酢と具をご飯に混ぜ込み、更にひとつひとつ味付けした具材を盛り込むという、味わい深い、豪華なものとされています。某サイトで見ると、通常のばらずしより相当色鮮やかな印象が強かったです。
狭い道幅にごつい天井のアーケードはかなり昭和チックです。
の見事な建物ですが、江戸時代から続く漁具等のお店で、現在の御当主が11代目だとか。2F部分の幅が狭い「つし二階」構造で、これは大名行列で通りかかる際に極力目立たないように、との配慮で建てられているものですが、ここは屋根がめちゃくちゃ急角度で建物が高くなってしまっています。下から見る分にはそれでも良かった、という事でしょうか。
●カブトガニ方位
東西南北の方位が示されたこの床面には、カブトガニの絵がでっかく描かれていました。
笠岡はカブトガニの繁殖地であり、また世界で唯一、カブトガニをテーマとした博物館がある街でもあります。いわばカブトガニの街といっても過言ではないですね。
カブトガニは成体になるまでの10年近くの年月に10回以上も脱皮をするそうで、またその脱皮は非常に複雑で、その為に脱皮中に死んでしまう事もあるそうです。いずれにしても成長速度が遅く、ずっと飼っていないと分からない為、その生態が解明されず、謎に包まれている部分も少なからずだそうです。
さて、この時は笠岡駅前を中心に歩いたのですが、今度機会があれば、笠岡諸島の島を巡ってみたいと思いました。石の景色の美しい北木島や、「瀬戸内少年野球団」のロケ地となった「猫の島」こと眞鍋島など、魅力的な島があるようです。