鳥取県鳥取市、旧・鳥取市外シリーズ第6弾として今回は旧・鹿野町エリアです。
(2011年10月当時)
▼鹿野町は、旧・気高郡鹿野町として人口4,400人くらいの町でしたが、2004(平成16)年に鳥取市に編入されてから、この当時で7年経ったところでした。
JR浜村駅からアプローチしましたが、バスで約20分かけてこのバス停へやって来ました。市役所支所だと中心地かな、と思って安易にやって来ました。
浜村駅から、現在のバス料金は390円だそうです。
鹿野町役場前という表示になっていますが、当時は既に鳥取市になっており、向かいのバス停は「鹿野総合支所前」になっていました。
帰りは浜村駅経由鳥取行のバスに乗る事となりますが、本数が多くないので時刻は要チェックです。
▼降り立ったバス停周辺道路の標識です。
北へ向かうと、浜村駅方面となり山陰地方の大動脈である国道9号線へと行き当たり、左は倉吉市や三朝温泉で有名な三朝町など西方面へ至ります。
ここには鹿野温泉があり、北向きには浜村温泉があり、と温泉資源は色々ありますが、三朝温泉以外はかなりの小規模です。
旧・鹿野町役場がそのまま鳥取市の総合支所となり、フロントの「鹿野町役場」の表示はそのままにしてありました。
付近に「鹿野が分かる地図」というのがありました。寺院が多いなという印象でした。
▼新鹿野大橋なる標識が見えたので行ってみました。
1970年竣工の長さ約85mの大橋です。
▼鹿野総合支所の付近には、こんなきれいなコスモス畑がありました。
ピンクのではなくオレンジのものでした。
▼城下町鹿野 観光マップ
というのがありました。
「城下町入口」と標識のある付近で、ここから先は城下町としての鹿野を旅するんだな、と感じながら進んでいきました。
地名には、鍛治町、大工町、殿町…等々、昔からあったような名前がズラリと並んでいました。
▼その「城下町入口」の標識のあるところです。
鹿野城として1871年に廃城になるまで存在していたといわれ、鹿野藩は江戸初期の1617年までと、1640~62年まで存在していたといいます。その前後は鳥取藩に吸収されていたという事で、一度消滅しながら復活した事がある藩でした。
▼家並みの素晴らしい通りがありました。
▼赤ポストが似合う、懐かし気な街並みというところですね。
▼なまこ壁の一部見られる家屋もありました。
▼鳥取市鹿野往来交流館「童里夢」という施設がありました。
「ドリーム」と読みます。
2010年にオープンし、つまりこの写真の前年にあたりますが、現・鳥取市西地区である旧・気高郡の3町の地域住民と観光客の交流拡大促進の目的でできた施設だといいます。
鳥取市鹿野往来交流館 童里夢|株式会社ふるさと鹿野|鳥取県西いなば地方の観光情報の発信|イベント情報の発信|鳥取県鳥取市 (shikano-dream.jp)
▼家並みの中には古看板もありました。
ことごとく古そうな家屋ばっかりで、
▼こんなワンコが月極駐車場の看板に繋がれていました。
▼全身板張りという感じ、純然たる木造建築のこれは何?
と思って、目に焼き付いたのはこの「しかの心(こころ)」というカフェです。
この時は中に入らず、単純に木造建築物くらいに思っていましたが、帰って調べたらカフェだった事に驚きでした。
旧・鹿野町は第1編としてここまでにします。
次は、本格的に城跡周辺を歩いたところをお送りします。
▼これまでの旅記事はコチラ↓