(2024年10月当時)
▼鳥取駅からバスで10分あまり、330円でここ「因幡万葉歴史館」へ到着し、旧・国府町エリアへ入りました。
現鳥取市の旧郡部エリアで、ここ国府町エリアも2鳥取市編入直後の2004年に訪ねましたが、まともに挙げられる写真がなかったので、先日改めて訪ねてきました。
郡部時代は「岩美郡国府町」で、消滅時の人口が8,600人程度の町でした。
で、今回どこへ行こうか?となった時に「万葉の里」のイメージが強かったので、そこへ行ってみよう、という事でやって来ました。
バス停標識に時刻表がありますが、かなり本数が少なく、帰りにここでバスに乗るにはかなり待ちが必要となるので、便数が増える中心地へ歩く事となりました。
▼バス停周辺はこんな感じです。
右は国府町コミュニティセンターで、左が因幡万葉歴史館ですが、見切れている高い建物は「時の塔」という展望台のある建物です。
向こうは丘沿いののどかな風景が続いていました。
▼時の塔の全景です。
高さ30mあり、国富の町が展望できる…ようですが、訪ねたのが朝早くだったので、下の入口が開いていませんでした…。
▼因幡万葉歴史館の建物です。
朝早く、9:00前だったので、当然開いていませんでした。
なので、建物を見てきただけです。
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▼これは20年前、2004年訪問時の因幡万葉歴史館周辺の様子です。
こんなボケボケ写真ばかりだったので、記事にならないと思い、今回20年ぶりに再訪しました。
当時から時の塔はあったのですね。
万葉歴史館は1994(平成6)年に開館し、この時で10年、現在30年が経過しています。
▼これは伝承館という、離れにある多目的オープンスペースです。
演劇・舞踏の練習や発表などに使用されているといいます。
というのがありました。
万葉の里といわれるだけあって、文化財の魅力あふれる地である事が分かります。
▼万葉歴史館をあとにして、中心地街へ歩き出しました。
こんなのどかな所の散歩は10月下旬という時期と相まってとても心地よいものでしたが、会社がポツンとありました。
土曜日でまったく人の気配がなく、みんなちゃんと休めてていいなと思いました(笑)
▼街の方へ近づいていきました。
「万葉の散歩道」という案内板が出ていましたが、近くには因幡国庁跡の標識があり、これに従い進んでいきます。
▼因幡国庁跡への道です。
のどかすぎて朝歩くと清々しくなりました。
▼因幡国庁跡に着きました。
鳥取県東部である因幡国の、まさに「国府」であり、国府町という地名ですが、その中心はここにあったのですね。
発見されたのは1977(昭和52)年と比較的近年で、翌1978(昭和53)年に国史跡に指定されたといいます。
▼因幡国庁跡の敷地内へ。
大伴家持が国守として着任した事でも知られます。
敷地内の遺跡として「正殿(せいでん)跡」「後殿(こうでん)跡」について説明板がありました。
▼施設として何か建っている訳ではありませんが、国府エリアの往時を馳せるのに最適なスポットである事を感じます。
▼旧・国府町のマンホールです。
日本の滝百選のひとつという「雨滝」と、松の木とさつきの花(それぞれ国府町の木と花)が描かれていました。
▼国庁跡を離れ、街なかへ入っていきました。
この渋い建物は「中郷公民館」というものでした。
公立のものではなく自治会のものだと思います。
板張り具合が渋すぎました。
▼右側に昭和の看板が並んでいるところを発見しました。
個人的にこういうのはいつまでも残っててほしいと思います。
▼万葉歴史館から長々歩いてきて、この「袋川」を見ながら橋を渡ります。
袋川は千代(せんだい)川の支流になりますが、この中郷橋を渡った先(川の北側)の方が中心街的な色合いが濃くなります。
▼ここまで、こんな感じの経路をたどってきました。
川を渡ってすぐ、県道を西へと進みます。
鳥取市中心部もこの西方向になります。
▼橋を北へ渡って県道31号へ出ると、市街地の風景が飛び込んできました。
ここまでの田園風景と打って変わって、街なかという感じです。
歩道が狭く、軒の前がいきなり道路で、走るのはちょっと怖い気がしました。
▼市街地ですが、とにかく渋い家屋が続いていました。
▼県道を西へ進んで右手(北側)に「宇倍神社」という文字と参道、向こうに鳥居が見えました。
この国府の名所のひとつです。
▼宇倍神社へ、鳥居をくぐり参道を進む途中で見かけた選挙ポスター。
ここは鳥取県で、更には石破茂首相のお膝元でもあり、この時解散総選挙期間真っ最中でもありました。
▼宇倍神社へたどり着きました。
獅子舞が無形民俗文化財との事で説明板がありました。
鳥居の向こうには多数の階段があり、ここまでさんざん歩いてきたしここからも少し歩くことになるので、これはここで眺めるのみにとどまりました。
若い頃はとにかくひたすら歩いていましたが、年を取ると抜くところは抜いて旅しないと楽しくなくなると感じ、行かないところは行かない、とか線を引いています(笑)
▼宇倍神社の階段の上です。
といっても階段は上がりませんでした。
下からアップで撮ったものですが、これだけでも十分楽しめるからいいじゃないか、という感じで。
必昇、という字を感情を込めて伸ばしている感じがいいですね。
▼宇倍神社をあとにして、県道へ戻りバス停何個か分を歩き辿り着いたのが「鳥取市国府町総合支所」で、国府町内の行政の中枢機関です。
当日は衆院解散総選挙の前日で、期日前投票と思われる方々が行き来していました。
▼選挙を前日に控えた投票所前の掲示場です。
石破しげるの文字と顔がやはり印象的でした。
▼これは20年前に国府町役場から鳥取市国府町総合支所になったばかりの頃の建物です。
上の写真の総合支所と同じものかと思って、今回行ってみましたが全然違う感じで、建て替えたのかな?と思いましたが、現在の総合支所とこの元国府町役場は違うところにあると分かりました。
で、この建物はつい昨年、跡形もなく解体工事された、との内容を見かけ、Xにもその様子が載っていました。
建物が古いだけでなく、川の真傍にあり、真っ先に水没する場所でもあったといいます。この時行きましたが、そんな事は全然意識しておらず、これが今も国府の総合庁舎として機能しているのかと思い込んでて、違っていてビックリでした。
▼最後は、この岩倉バス停です。
因幡万葉歴史館では1日5便くらいしかなかったので、街なかへ出てきて便数の多いところへ歩いてきましたが、ここは1時間に1~2本はある感じで、そんなに長く待たずに済みました。
鳥取駅まで5kmくらいの所なのでタクシーでも良かったのですが、バスで帰れるなら帰ろうと思い、バスに乗って20年ぶりの国府町訪問は終了しました。
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