韓国/釜山での記事第7弾は「忠烈祠」です。
(2014年3月当時)
釜山地下鉄のおなじ忠烈祠という駅の真ん前に、それはあります。
●「忠烈塔」
これは敷地内のものではなく、地下鉄駅前にモニュメントとして造られているものです。
これだけでとりあえず敷地内の雰囲気が多少窺えるというもので、イントロ的な役割を果たしているのかな、と感じます。勇敢に戦う人間たちが躍動感に溢れる形で表現されています。
上の写真の忠烈塔を通り過ぎて、向こうに見えます。
この時の旅行で金海市では「首露王陵(スロワンヌン)」という素晴らしい建造物群を見た訳ですが、釜山市内でこのような伝統のある建造物等は見た事がなく、向こうに素晴らしげな建屋が遠目に見えるだけで既に高まっていました。
真ん中に見取り図、向かって左側には地場のハングルと英訳の説明文、右側はなんと日本語と中国語の説明文があります。
日本語があるのはありがたいですね。
忠烈祠と何度も言葉だけ出していますが、安土桃山時代に豊臣秀吉が行なった朝鮮出兵「文禄・慶長の役」で、倭軍に対し勇猛果敢に戦って壮烈な死を遂げた護国烈士達の英霊を祀る聖域です。
日本人としてここを訪ねるというのは、少し複雑な想いもしなくもないですが、実際にあった歴史を直視するという考え方で見せて頂こうという気になりました。
英霊所であるが故か厳かな雰囲気の出入口でした。兵士とか警備してそうな…。
正直、最初は「これちょっと…入れないかな…」と思って躊躇い、しばらく様子を見てました。まだ朝早かったのもあったしで開門時刻になってなかったのかも…とかいろいろ考えてました。
少しは様子を見たものの、取りあえず入ってみよう!と思い、韓国という異国の地ながら強行突破?!しました。
一応上の写真の門ではなく、端の出入口のようなとこから入って、守衛らしき人は居たのですが、そこをチラチラ見ても何も言ってくる気配がなく、そのまま入っていき、初めて撮ったのがこの写真です。日本庭園によく似た光景でした。
最初は入場料でも取られるかと思いましたが、それもなし。何年か前のここの観光レポを見ると入場料200ウォンとの記述も見られましたが、無料化したのか今回偶々見逃されたのか…よく分かりませんでした。とにかく何の制止もなくお金も払わずに入れました、という事実だけは書いておきたいと思います。(後で調べると入場無料の記載が現地にありました)
●池
日本庭園のようでいて、ちょっと違う雰囲気を感じました。
橋の欄干の低いもの?みたいなやつがあるせいなのか、分かりませんが。
●社務所
何の建物か分かりませんでしたが、扁額の文字の右半分を読むと、사무소(サムソ)となっていて、もしや社務所?と思って翻訳見てみたらその通りでした。
ゴツゴツした屋根部分が韓国らしさを感じさせてくます。また、こんなせり上がったタイプのものが多い、という印象も受けました。色づかいに関しては、日本の城と同じ、と思って見ていました。
心を清める門、という事です。
階段の上り下りには決まりがあって、右から上り、左から下りるというものです。
中央は神が通る道、という事です。
上りはしなかったので結果的に問題なかったんですが、この時全然知らなかったんで、上ってたら結構やらかしてた、と思います。ほとんど観光客居なかったですけど…。
右の碑に書いてある文字です。
「戦死するのは易し、道を仮すのは難し」という事で、秀吉の朝鮮出兵で最初に標的になったのが、南部の港町であるこの釜山だったのですが、この言葉は当時の東莱府使の宋象賢(1551-92)によるものです。
"戦死するのは簡単だが、(北部)ソウルへの道を明け渡すのは難しい"という意味で、簡単に明け渡す意思のない事を示しています。そしてその戦いで、彼は戦死を遂げる事となりました。
と漢字で書かれた建物です。「忠烈門」とかその他も漢字表記のものは多いですが…
教育会館だという事で、ここ近年に建てられたようです。
しかし、庭木の手入れが半端なく素晴らしいですね。
メインの通りからまっすぐ行くと、忠烈門に至りますが、これを結構手前側で左にそれていった所に通路があり、これに従って歩いていると出くわしたものです。
左手前に説明板がありましたが、ここにも日本語の説明が書いてありました。
やはり秀吉の朝鮮出兵である「文禄・慶長の役」で、日本軍と戦い、徳に戦功をあげた24人の東菜地方の兵士に対して、その栄誉を讃え、鎮魂する、そういったものでした。
●左サイド通路
これも左にそれたサイドの通路で、道なりに歩いて行ったところです。
とりあえず異国の地で迷うと大変なので、無難なコースを歩いて外れないよう意識して歩いていました。
ハングルだけの標識に異国が感じられました。
左上の본잔はとりあえず「本山」という事のようです。
上の写真のハングル標識の左下に「지압」が「指圧」を意味し、「足つぼに効果的な道」という事でしょうか。日本にもこういった道があって、よく「指圧の道」などとされているのを見ますが、韓国でも指圧とかツボとかいうようなものが普及しているのかな、と思わされた光景でした。
忠烈門の正面は階段で上がる形となっていますが、こちらは忠烈門のサイドからの入口で、ここにも小さな門があります。屋根の重厚感がいかにも韓国風ですね。
という扁額があったので、これが本殿にあたるのでしょう。
正面からではなく、再度から拡大で撮りました。若干近寄りがたい雰囲気もあり、異国で勝手分からずに踏みだすのも抵抗あって。
このような青緑の屋根のものって、韓国のこういう建屋では見た覚えがなく新鮮でした。
建物の素晴らしさには心惹かれますが、ここはあくまでも文禄慶長の役での戦死者の霊を祀るもの、という事は意識においておかなければ、とそんな気持ちで見ていました。
釜山の地下鉄で同名の駅があるので、観光にも分かり易く便利ではあります。