登米市は宮城県の北部に位置し、人口は81,429人(2014.12.1現在)で、旧登米郡の8町と本吉郡津山町の実に9町もの合併により2005年にできた市です。
-JR新田駅-
【路線】JR東北本線(東京-盛岡間)
【開業】1894年1月4日
【訪問】2015年1月
【1日あたり平均乗車人員】 386人/日 (2013年)
【近隣の主要駅】(東京方面)小牛田駅→4駅
(盛岡方面)一ノ関駅→6駅
●駅名標周辺
普通に「にった」と読みます。京都と奈良を結ぶJR奈良線に同じ新田駅がありますが、こちらは「しんでん」と読みます。(その他JR以外にも「にった」駅が複数存在します)
2015年に初めて訪ねた未訪自治体がこの登米市であり、ここはその代表駅になりますが、市内には登米駅というのがないばかりか、ここの前所属自治体である「迫(はさま)」(町)を名乗る駅すらありません。その更に前身の新田村からとられていると思われます。
駅の開業は古く1894年で、19世紀から存在します。また1月4日開業ですが、訪ねたのは1月3日で、次の日が開業ちょうど121年という状態でした。一関で前夜より宿泊して、朝の電車に乗って6駅でここへ辿り着きました。
東北地方への正月時の訪問という事で、このようにしっかり雪に埋まっていました。
上の駅名標でいうと、梅ヶ沢方面になります。
何にもない…市の中心駅なのかホントに?という感じです。
上の写真と反対側になります。
こちらは室内型の待合室と、両ホームをつなぐ跨線橋があります。
跨線橋の階段下には庇と柱が取り付けられ、待合室までの屋根のない区間を極力なくそうといわんばかりに伸びていました。
下の待合室のアップのカットは帰りに撮ったもので、白鳥の町という事を再認識しました。
上の写真と同じ方向ですが、右側に駅舎があるのが分かります。
ホーム上での屋根のない区間は殆どなく、跨線橋下待合室の間の部分のみといってよいくらいです。今では人口8万以上の市の中心駅にしては随分と寂しいものがあります。ただ、9町もの合併による市という事で、その辺りもこの寂しい様子の背景のひとつとなるのでしょう。登米市を訪ねるにあたり、何処へ行けばいいのか当初全く分かりませんでした。
●跨線橋
かなりインパクトありました。
縁がこげ茶で、それ以外の外壁が薄めの茶色など配色がビビッドでした。窓はゴツい感じで段々に連なっていて、またその上縁がこげ茶で、下は筋交いの入った細い柱で支えられて…という、個人的に惹かれる要素の多いものでした。
すぐのカットです。
やや右向き気味のアングルです。
駅から伸びる駅前通りはなく、線路と平行に走るこのガードレールのある道が駅前通りにあたります。といっても、雪でだいぶ隠れてしまっていますね。
駅前広場はロータリー状ではないただのスペースでポツン電話BOXが置いてあるのみです。
駅前にあった地図です。
旧自治体の迫町の時のものではないかと思いますが、当駅はど真ん中からやや左、周辺は沼が非常に多く、また白鳥の町としてアピールされているようだ、とここに来て初めて知りました。
来る前は、ここは観光に関しては中心地される左沼地区へバスで行かないと厳しいようだ、いう感覚でした。そこまで居られる時間もないし駅周辺だけ歩いて、次の地へ行く電車を待とう!思っていましたが、結果的にはだいぶ嬉しい誤算なりました。
来てみて初めて見つけるものかもある思うので事前情報はあまり念入りには調べません。何かある所か、なんにもないのか、それくらいは仕入れておきますが、基本同じ場所に長く居ないので1時間くらいで(時には20~30分とかも)巡れる所はあるか?なければ近辺歩いて終わり、のような…そんな旅ばかりで全国790近くの日本全市を訪ね歩いて、この時は未訪市はあと11というところまでこぎつけました(現在はあと「8」まできました)
が複数本立っていました。
左沼地区行きのバスも出ていましたが、やはり少し待ちが必要で、その頃にはもうここを出ていなければならない、という状況だったので左沼へ行くのはこの時点で断念しました。この時はまだ本当に駅前何にもなさそうだけど、とりあえず景色だけ見て帰ろう、という心境でした。
駅前広場から左を向いた形のカットです。
右側よりもこっちの方が駅前通りっぽい雰囲気が若干強い感じでした、店も並んでいるしで。なので散策はこちら側にて行いました。
真ん中に見えている店の前に置いてあるベンチが謎でした(笑)
●新田駅 駅舎
三角の屋根はなかなか立派ですが、平屋のこじんまりとした駅舎です。
建屋は年季入ってそうですが、看板は取ってつけた感じになっていました。
登米市の代表駅として今後の発展はあるのかどうか…、見守っていきたいものです。