▼町へ出る道
備前市の中でも、旧・備前市時代から割に栄えているJR西片上駅周辺。
ここは西片上駅から出て西へ、線路と平行な歩道ですが、これを下って線路の下をくぐる格好で、町へ出ていきます。写真は2010年当時ですが、初訪問した1993年も殆どこんな風景だったような気がします。
▼線路下の通り
歩道から線路をくぐって見える街並みです。
この川は、この写真で向こうの方向へと、片上湾へ流れ出していきます。
▼前海屋跡
前海屋とは、ここ片上の富豪で、ここに架かるこの宝永橋が落ちても前海屋は倒れると言われたそうです。そしてこの宝永橋は、1704年当時は木橋で、1750年当時は石橋であったと伝えられています。宝永年間に架けられて宝永橋というのでしょうか、分かりませんが。
万代常閑(まんだい・じょうかん)と読む越中売薬の祖とされる人物で、万代家ではいずれも常閑を名乗っており、ここにある常閑は11代目(1675-1712)を指しています。
富山の薬売りの祖にして、備中の売薬の祖であるともされ、食傷、腹痛、めまいとなんにでも効くとされる「返魂丹」なる薬の製法を伝え、それは20種にもわたる生薬や鉱物等の配合によるものであるとか。
▼片上商店街 入口
西側の入口ですが、いきなり昭和から時がとまったような看板?!で、量販店が流れ込んでくる前の、これは何屋さん、あれは別の何屋さんで買う、といった具合の個人商店の立ち並ぶ通りだった頃の雰囲気のままに、今の今まで生き続けている、そんなエリアです。
▼片上商店街
アーケードが続きながら、寂しげにシャッターの閉まる店が続く様子は、帰らない時の流れを感じさせ、時折店がなくなって、更地になっている所も見受けられ、いかにも商店街という通りは、地方にはこういう状態の所が多いなと感じさせられました。
「片上商店街」とレトロチックな響きの字体の看板が儚げにぶら下がっていたのも、どこか郷愁すら感じました。昭和ノスタルジーを肌で感じられる、そんな通りでした。