(2009年3月当時)
▼可児駅前のバス停が駅前広場にありましたが、ここだけ切り取るとかなり寂しい雰囲気でした。
この2009年当時は駅前広場が工事中で、元の駅記事を書いていた2012年当時では橋上駅舎化も計画されている状況でしたが、その後事実上断念したそうです。
この風景から10年以上たった今頃どうなっているのやら…と思って最近の動画を見てみると、床面が整備されていて高い塔が立っていたりして、まさに生まれ変わっていました。これは最新形をまた見に行かねば!と思わされたほどでした。
ちなみに可児市は明智光秀の生誕地ともいわれ(諸説あり)、市内に明智城跡も存在しています。今年は特にNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で光秀にスポットライトが当たり、岐阜県の各所も色々注目されている中で、ここが光秀生誕地の説のひとつとは…と思うと、もっとしっかり旅をしておくべきでした(この記事の内容の薄いこともバレてしまいますが…)
▼駅前に「道しるべ」と題された機械信号機が設置されていました。
この可児駅の属している「太多線」の全通した1928(昭和3)年から1986(昭和61)年まで、可児駅上りの出発信号として安全を見守ってきたもの、とありました。可児駅職員の浄財によりここに移転され、国鉄最末期の1987(昭和62)年2月にこの説明板が記されています。
▼可児市のマンホールです。
市の花であるサツキがデザインされているものでした。
「KANI」とローマ字表記されているのが特徴的でした。
▼可児駅から東へ駅前通りを100m余り進むと、橋と川が見えてきます。
左向こうに見えるのはNTTの鉄塔です。
▼上の写真から橋を渡った後の街の様子です。
かすかにカーブを描きながら道が続いていました。
ここから300mほど直進するとホテルルートイン可児があります。可児駅からでも、少しは歩きますが、500mとないぐらいの所で辿り着きます。ルートインは大抵のホテルに大浴場がある(時にない所あり)ので最近時々利用しています。
▼そのルートインホテルに行き着きました。
この時は宿泊しなかったのですが、駅の真ん前だけ見ててもホテルなどありそうな雰囲気のない、寂しさすら覚えた街並みでしたが、逆に郊外の方が色んなものかありそうでした。駅の真ん前だけ見ると、とても10万都市には思えなかったですね。
▼最後は可児駅に戻って街の様子を眺めたものです。
10万都市の中心駅の真ん前なのに、更地がやけに多いなという印象でした。
かねてより再開発計画が上がっては消え、またあがり…のようでした。
今頃どうなっているか駅前は動画で見ましたが、周辺も再度見てみたくなりました。過去に撮った写真をupすると大抵こういう現象に見舞われます(笑)