富山市は、富山県の中央部に位置し、人口は417,760人(2017.5.1現在)で、富山県の県庁所在地で、2005年に周辺の6町村と共に新制・富山市となり、全国県庁所在地で2番目(1位は静岡市)に面積の広い街となりました。越中富山の薬売りは実に有名で「薬都」と称される事もあります。
-JR富山駅-
【路線】JR北陸新幹線(高崎-金沢間)
高山本線(岐阜-富山間)
あいの風富山鉄道あいの風富山鉄道線(倶利伽羅-市振間)
【開業】1899年3月20日
【訪問】初訪問-1995年6月
【1日あたり平均乗車人員】 7,843人/日 (2016年)
【近隣の主要駅】 (高崎方面)黒部宇奈月温泉駅→隣駅 ※新幹線
(金沢方面)金沢駅→2駅 ※新幹線
(岐阜方面)越中八尾駅→5駅
(倶利伽羅方面)小杉駅→2駅
(市振方面)滑川駅→3駅
●駅ホーム
ここへ初めて訪ねたのが1995年の事でありますが、その後2006年に訪問時の写真を載せていきます。考えてみればこれ以降立ち寄った事はあるものの、あまりちゃんと行っていない事もあり、ひと時代前の古い写真となりますが御容赦下さい。
今ではもう新幹線も通っていてグレードアップしていますが、この写真の頃はまだまだ開通していなかった状態で、これを踏まえて今後の駅の様子も見て頂ければと思います。
ちなみに在来線では現在、高山本線としてはそのまま残っていますが、北陸本線ではなくなり、新幹線駅開通と共に「あいの風富山鉄道」へ転換されています。この写真の頃は当然のように北陸本線の駅でした。それくらい時代は変わっているのですね。
高山本線の列車です。
ヘッドの部分に「もっと高山本線」とありました。
この当時の高山本線は途中の駅で路線が途切れていて、高山からここへ来た時に途中の駅でバスに乗り換えて、別の駅までバス移動後にまた駅で降りて電車に乗る、ということをやっていました。2004年の台風による大雨で、線路や鉄橋が流失し、その影響が2006年になってもまだ続いていたのでした。
まったくの手動の改札でした。(当時です)
今はもう新幹線の駅ともなったので、自動改札になっているのでしょうか?
富山県って富山と高岡の2大巨頭都市が君臨していて、あとは小都市(失礼!)という感じで、そういう意味で県内に何ヶ所とない大規模駅の風景というのがこの写真から感じる事です。
駅出てすぐの駅前ポストでずが、上にちっちゃく薬売りの像が乗っかっています。このプチサイズのかわいさがなんとも。
富山で薬売りが始まったのは16世紀中頃とされ、越中に唐人の座ができた事が発端といわれています。以来今に至るまで継がれているのが素晴らしいところです。
北陸屈指の都市の駅前という雰囲気の都会感に溢れた駅前です。
北陸で人口40万超の都市は新潟、富山、金沢と3県のいずれも県庁所在地のみです。
富山は路面電車などの交通網も発達している町で、県内の高岡でも路面電車が入っているなど、県レベルでもそのような交通の発達した所、という印象です。ライトレールとかいち早く取り入れたのも富山であり、このへんはまだ乗ってないから、いつか寄ってきっと乗りたいなというところです。まぁとにかく富山に来たら、様々な交通機関を積極的に使ってみよう、というところですね。
駅前広場含めた駅周辺の様子です。
やはり高い建物が目立ちます。
真ん中のひときわ高い建物は、電鉄富山ビルの「エスタ」という複合商業施設です。11F建て?で、5~10Fは富山地鉄ホテルになっています。
「富山駅から雨に濡れずに行ける」がウリのようです。
右側の建物は、国鉄が分割民営化された1987年に開業した「マリエとやま」です。これもまた複合商業施設で7F建てになっています。隣のエスタとは4階部分で連結されています。なのでここも「富山駅から雨に濡れずに行ける」という事になります。
●富山駅 駅舎
現在は立派な大きな駅舎になっていますが、この当時は前駅舎で、まだ大きさ的に中途半端です。
今や新潟だけでなく、金沢もこの富山も、北陸3県いずれも新幹線が停車するようになった時代につき、新幹線停車するようになってからの富山の様子もじっくり見なければ!と思います。(でも遠い…)
新幹線が通るようになったといっても、関西から行く限りでは、金沢-富山間が多少スピードアップしたくらいで、そんなに時間短縮の恩恵を受けるとも思えず、相変わらず遠い感は否めないままかと感じます。金沢から東海道線なりに新幹線ルートが繋がってくれればよいのですが…。
富山市は一度それなりに観光はした事がありますが、浅かったので、今度はもう少しディープに訪ね歩きたいなと思います。路面電車で色々巡るという事まではしていなかったので、まだまだ魅力のどれ程が分かったのかという感じです。
何より、新駅舎になってから一度まともに訪ねなくては…ですね。