続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

宮城/東松島 矢本町・花と蝶

宮城県東松島市JR矢本駅からの歩き旅です。

(2012年10月当時)

駅前通

矢本駅から伸びている通りです。

右側に見えている建屋は「人まち交流ゾーン「ゆぷと」」とありました。

矢本温泉として日帰り温泉が入っていたり、接骨院その他いくつかの施設が入っているようでした。市としては、中核的に複合施設として活性化を狙っているものなのでしょうか。

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●やもとマンホール

旧・矢本町時代のマンホールです。

カエルが4匹描かれていますが、カエルに因んだ街なのかな…と調べていたら、どうやらそうではないらしく、下水が「きれいな水によみガエル」とシャレでひっかけただけのようです。

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東松島市商工会

矢本駅から駅前通りに入って歩き、最初の交差点を過ぎた直後に現れるこの濃いレンガ色の建屋は東松島市商工会館です。

かなり濃い色の建屋で、目にダイレクトに飛び込んできました。カクカクッとした硬質な印象もかなり強く、いろんな面でヴィヴィットな建屋といえます。

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●メモリータウン

と表記された街灯の立ち並ぶ商店街です。

昔ながらといった雰囲気のこじんまりとした商店が立ち並んでいました。旅館の姿も見えますが営業しているのか、とか気になってしまいます。この時はそこまで気にしてませんでしたが、こうしてupしてみると気になる、というのもありますね。

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●花と蝶

東松島、矢本の街を歩いていて、矢本ならではといったものにあまり出くわさぬままという感じだったんですが、駅前通りを歩いて程ないうちに見えてきた田園風景がこの街の旅の思い出として強かったかもしれません。

一面に咲き渡る色んな草花、それだけなら流して通り過ぎたところですが、これらに大量に群がるモンシロチョウの姿が重なり、写真ではなかなか伝わりにくいのですが、素晴らしい景色が見えました。

コスモスの蜜を吸わんとして飛ぶ蝶や、下側の写真は実際に花の真ん中に止まっている蝶です。あちこち蝶が飛び回っている景色は圧巻でしたね、モンシロチョウばかりでなかなか見えにくいんですが。

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●田園と道路

上の写真のような蝶の飛び交う田園風景の一部と、そこを通っている道路、そして「核兵器廃絶・平和都市」を標榜する東松島市の看板がでっかく立っています。

ちなみにこの道路は、標識の向こうへ直進すると仙台、気仙沼方面、右折すると古川(大崎市)方面へと行き着きます。

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●田園と金網

これもまた同じエリアの田園風景で、別の面になるんですが、周囲を囲っている金網がぐにゃぐにゃに変形されたままとなっていました。

この時は2012年10月、ここ東松島は前年の東日本大震災で大きな被害を受けた地としてその名がニュースによく出るようになってしまったのですが、それから1年半、この辺りまで復興は及んでいなかったのでしょうか。

ここへ訪ねる前に石巻を訪ねて、震災の爪痕をまざまざと見せつけられたのですが、ここではあまりそれが感じられず、不思議な印象を持っていたのですが、この金網を見るとやはりここも被害があったんだという事を改めて思い知る事となりました。

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●がんばっちゃ"東松島"

と書かれた大きな看板と共に、イントレで組まれた一角が!

改装でしょうか。更地もあったり、やはりこの辺りは震災の被害が少なからずあったのか、とここでも思い知りました。

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須賀神社

矢本町駅前交差点から西へ歩いて、次の交差点へ差し掛かろうとする所にあった神社です。

1189年よりの歴史を有するようで当時は京都祇園社より御神体を遷祀し、祇園社と称したそうで、1872(明治5)年の神仏分離令の際に現在の名に改められたそうです。

建っている銅像は耕地整理の竣工記念とされており、その向こうにあるやや高めの建物は鐘楼で1832年奉納という歴史あるものだそうです。ただこの銅像、特定の人物像である割にタイトルは竣工記念だし、説明書きもよく分かりませんでした。

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須賀神社 鐘楼

これがその鐘楼ですが、鐘はありません。

太平洋戦争の際に供出されたきりだそうで、今ではこのような扉のない倉庫と化し、立入禁止の柵や看板などが置かれていました。

板張りのまばら具合がどこか物寂しい雰囲気を放っていました…。

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須賀神社 拝殿

有人ではない状態の寂しい雰囲気ですが、しっかりした屋根を持つ立派な建屋です。両サイドの狛犬はやや新しめな感じで、片方は鞠を、もう片方は子を踏んづけてるタイプのやつです。

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●愛染院跡

本山愛染院と称し、修験道場で山伏法印の祈祷所であった、とありました。

また矢本町安永風土記には天正年間に開院とあり、安土桃山時代にあたります。

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●建治二年板碑

町指定の文化財とされるこの板碑(いたび)は、建治2(1276)年、「宮生」の3年忌の供養のために建てられたもので、歴史上でいえば「元寇」の頃ですね。その後、安永5(1776)年の風土記には「一本石」と表されていたそうです。

ただの石と化し何を書いてあるのかもよく分かりませんでしたが、町の文化財でもあり、愛染院跡と共に東松島、矢本の街を訪ね、そこ独自のものに出会えたことには変わりない訳で、ご当地ならではの旅ができた感は多少なりありました。

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●歴史の道

最後はこの写真にて。

上の写真と同位置にありますが、松尾芭蕉と弟子の曽良が旅した街道のひとつで、1662年に街道がつくられ、矢本宿の誕生はその翌年1663年にあたるといい、芭蕉たちが旅したのは1689年だそうです。

道行く先でのどの渇きを覚え、湯をもらおうとしてもことごとく断られたとありますが、その彼が後世歴史に名を残す人物になろうとは誰も知る由がなかったでしょう。水や湯の類を得るのもままならなかったご時世である事を考えると、こうして旅していて腹が減ったのどが渇いたと言っては、コンビニや自販機に駆け込めば事足りる今の世の中との隔世の感たるや…というものですね。

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