(2016年6月当時)
▼前回記事にてお送りしましたが、この「旧・大社駅」に行き着きました。
今回はこの中に入っていきます。
↓前回記事はコチラ↓
▼JRの駅として1990(平成2)年まで稼働していた大社駅は「重要文化財」に指定されています。
駅舎が重要文化財になっているのは、門司駅と東京駅のみ、廃駅となったこの駅含めて日本に3ヶ所のみといいます。
1924(大正13)年に着工した駅舎という事で、今年でちょうど100周年になります。
↓関連サイトがありました。
しかしここに「保存修理工事」の事が書いてありました。
2021(令和3)年から工事中で、2025(令和7)年まで中に入る事ができない、と…。この時訪ねたのが2016(平成28)年の事で、全然その予兆もなかったので、今調べて分かりましたが、「今は中見れないのか…」となました。今年は建築100周年でありながら、見る事ができないのは残念な事です。
しかし、だからこそ中身はこうでした、という意味でこれからご紹介していきたいと思います。
▼大社駅前はこんな様子です。
かつては駅前通りでしたが、今は駅舎跡という観光地の周辺で、特に寄るような所はない感じでした。
▼旧大社駅の概要
として説明板がありました。
宮殿風造りの駅舎そのものについての説明がなされています。
▼上の写真の説明板がある傍で、建屋外に並んでいた木製ベンチ群です。
窓も柱も、その他構成物すべてが渋すぎる、古き良き日を思わせる、そんなスペースです。
▼駅舎内に入りました。
特に入館料等は不要で、フリーでそのまま入れました。
来年末の工事後に入れるようになっても、おそらくフリーで出入りできると思います。
1990年に駅としての機能を停止した時のままと思われますが、日観連の旅館案内ということで列挙されたものが残っていました。
ここから約35年を経過し、これら旅館はほぼないだろうと勝手に思って、一つ一つ調べてみましたが、結構現役で操業しているところがありました。2/3くらい残っている感じでした。
この辺りは全国展開のビジネスホテルチェーンがあまりのり出してきていない事も要因として大きいと思います。
▼大社駅の内部は、こんなに豪華でした。
前に1992年頃に寄った事がありましたが、その時は夕方を過ぎて中に入れなかったので、この2016年になって初めて中身が見れました。
とにかく木と白壁の純和風で広々としたスペースで、こんな所にいられるのが贅沢だなと感じました。
▼駅の執務スペースかと思いますが、装飾がいちいち豪華というか、現役で稼働していた時から知りたかったなとつくづく感じます。
▼上の写真と同じスペースですが、こちら側には「観光案内所」という表記がありました。
▼執務エリアの中には駅員のマネキンが複数体置かれていました。
制服のマネキン、ですね(笑)
昔は駅員さんって多数いたんですよね。
この駅はJRになってわずか3年で廃駅になったので、基本的に国鉄の雰囲気を色濃く残したものといってよいと思います。
▼駅舎内の待合スペースでしょうか。
木製ベンチがいくつも並べられていました。
壁には「神門通りの歴史」という事で、出雲大社前の参道部分にあたる通りについて歴史的に触れられています。
▼神門通りの歴史
として、写真で紹介されているものです。
大鳥居ができた時の様子なども写真に収められています。
▼こちらは神門通りの成り立ち
として戦国期から現代にいたるまでの解説がなされています。
この地区は「杵築(きづき)」といいますが、この杵築が門前町として成立したところから説明されています。
明治期には船便による参拝もされていたとありました。
その後は駅の開業に伴う鳥居の完成などの整備の様子や、昭和40年代以降の徒歩参拝客の減少などにつき綴られていました。
▼ホームも残されていました。
向かいの島式ホームには蒸気機関車が静態保存されていました。
▼名所案内
も残されていました。
出雲大社は北西1.5㌔バス7分とありました。
名所はすべて北西方向で、近い順に並んでいて、一番最後は日御碕(ひのみさき)が載っていました。かつてはこの日御碕灯台へ行くには有料道路を通る必要がありました。
▼島式ホームの蒸気機関車です。
1942(昭和17)年製造で、1974(昭和49)年11月限りで32年の使命を終えて廃車となり、1976(昭和51)年から出雲大社の境内に保存され、2001(平成13)年から当地にて保存されています。
▼ホームの改札周辺です。
大社線の終着駅だったので、駅名標の隣駅表示は片側だけになっています。
壁に扉に板張りの渋さが全開という感じで、これまた古き良き時代の雰囲気満点でした。ガラス張りの窓に木目の枠が昔の学校の教室にもあったな、と思わせてくれます。
駅長事務室の表示もそのまま残っていました。
▼ホーム上の別カットと改札周辺です。
これでもか、というぐらい「木造」でした。
▼運賃表もまた懐かしい雰囲気のものでした。
東京都区内から表示されていますが、かつては東京駅からここまで特急列車が乗り入れていたくらいの、そんな駅でしたが、時代の流れで色々と変わってしまったのですね。
県都・松江駅まで720円、現在の市の中心駅(当時は別自治体)である出雲市駅へは200円となっていました。
▼運賃表の下には切符売り場があり、これもそのまま残っていました。
現在は工事中で、来年末まで入る事ができないようですが、落ち着いた空間で往時の姿に触れたい方々には絶好のスペースだと思います。
出雲市の旅、この大社エリアについては今回で終了となります。
👅これまでの旅記事はコチラ↓