島根県出雲市、第4弾はそれまでの出雲大社周辺から離れて、旧平田市のエリアを旅します。
(2013年1月当時)
これは2013(平成25年)の訪問ですが、ここへ初めて訪ねた1990(平成2)年とほとんど変わってない、そんな印象でした。当時は出雲市になる前の「平田市」の中心部にあたりますが、昭和からほぼ止まっていたという感じでした。
平田市は1955(昭和30)年に市制化され、2005(平成17)年に50年でその幕を閉じますが、その合併前の人口は30,000人弱でした。
▼平田の駅前にあった店の看板…
もう閉店して久しいのかな…というぐらいの昭和感満載の雰囲気でしたが、ナントこの当時営業していたそうです。
1978(昭和53)年ごろに開業されたそうで、長らく駅前食堂として親しまれたそうで、2020(令和2)年11月をもって開業から42年で閉店したとありました。
▼平田郵便局です。
今は出雲市の1郵便局ですが、平成の大合併前は平田市の中心局でした。
▼旧・平田市時代と思われるマンホールです。
ひらた湖遊館というのが、当時の市のウリの施設で、この近くに平田市の全額負担で新駅をつくり、「湖遊館新駅」と名付けられています。
▼平田の街を歩いて、湯谷川という川の流れる橋に行き着きました。
水鳥が泳いでいたので撮りました。
▼ここは1990年に初訪問した時にも近辺を撮ったところで、突き当たりの印刷会社は昔お世話になった所なので思い入れあるの場所です。
▼その印刷会社の前がロータリー状になっているのは昔から変わっていませんでしたが、「木綿街道」の案内標識が出ていました。
この時訪ねたのは、まさにこの"木綿街道"でした。
この少し前に偶々見かけたTV番組で、ここにこんな街並みがあると知り、行ってみたくなり、やって来ました。
そもそも「木綿街道」といわれるようになったのは21世紀に入ってからで、地域住民の町おこし活動的にそう呼称されるようになったといいます。確かに1990年代にはこんな標識はなかったと記憶しています。
▼木綿街道を目指して歩きますが、ここは出雲大社から離れること14kmの地点です。
▼この学校のような建物は、平田行政センターとありました。
現在は、新しい行政センターが今年2月から供用開始されたといい、この庁舎は解体しているとのニュースがありました。
▼平田支所前のバス停です。
平日と休日で全く違ったダイヤで、平日は午前は1便のみであとは全部午後、休日はちょっとばらけた感じでしたが、1日数便しかないので、利用する場合は要ダイヤチェックです。
▼平田船川という川へ。
ここに架かる橋から見たリバーサイドは、さながら崖屋造りのような見事な雰囲気の街並みを形成していました。
▼いよいよ本格的に木綿街道です。
雲州平田駅から10分も歩けば行き着きます。
▼木綿街道とは?ですが、江戸時代にこの辺りは綿産業が盛んで、「雲州平田木綿」として大坂へ送られていたといいます。
そんな木綿の流通で栄えた街並みのことを近年このように呼ばれるようになり、つまりは古き良き渋い街並みが続いている一帯です。
まずこの建物は素晴らしい和風建築ですね。
▼この建物は登録有形文化財のプレートがありました。
「本石橋(ほんいしばし)邸」という江戸時代中期の屋敷ですが、ガイドさんの案内でお話も聞けるそうです。
▼その本石橋邸は、入館料200円、これでガイドさんのお話も聞けるという事ですが、入管希望=料金支払いは隣の木綿街道交流館で、となっていました。
▼これがその木綿街道交流館です。
「休憩所」の表示がありました。
長崎という医者の屋敷を建替えされたもので、旧長崎医家ともいわれる代々外科の名門医の家だったといいます。
▼金満の屋敷ばかりではなく、こんなちょっと庶民的な雰囲気のところもありました。
この商店は醤油の醸造をしていて、醤油蔵の見学(要予約)もできるそうです。
▼木綿を感じさせる軒先の建物もありました。
派手さはないけど渋さがありました。
▼軒先に醸造の作業をしている人形のある所もありました。
▼こちらは造り酒屋で、酒持田商店とありました。
木綿街道といいつつ、醤油の醸造元やこのような酒の醸造元や、決して広くないエリアに色々な商店がありました。
▼またまた素晴らしい白壁の建物に出くわしました。
2枚目の写真の左側には生姜糖の商店がありました。
▼木綿街道
の標識はいろんな所でいろんなタイプのものが見られましたが、古い建物群につけられた新名所といったところでしょうか。
平田の名所といえば今はココという感じで、出雲市平田町にある渋い一角でした。
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