埼玉県深谷市、埼玉/深谷① 青天とふっかちゃんの続く街に続く深谷市第2弾です。
(2019年5月当時)
▼「東白菊」という名のついたレンガの煙突がありました。
酒蔵ですね。
「あずま しらぎく」と読むそうで深谷の地酒ですが、江戸末期の嘉永元年(1848)年に当地で酒造りを始めた、とありました。
▼酒蔵の建屋の一部でしょうか、白壁が剥がれて土の部分がかなり剥き出しになっていました。
▼その東白菊の「藤橋商店」の店舗表側へ来ました。
会社としての創業は1954(昭和29)年とありました。
▼その藤橋商店で、新元号「令和」を記念した東白菊のボトル紹介がありました。この時まさに2019(令和元)年5月で、令和になったまさに「当月」でした。
もうひとつは、渋沢栄一氏の新・一万円札を記念しての純米大吟醸酒の紹介がありました。その名も「栄一翁」でした。
▼通りへ出てのカットですが、この辺りは手前は「高木」ばかりでした。
左側の手前は「"南側の"高木」とありました。
▼「本町」と街灯につけられた商店街に昔ながらの商店が立ち並んでいました。
シャッターの下りたまんまのところや、建屋がなくなって更地になったところが結構あった印象がありました。
▼深谷本陣遺構とされた標柱がありました。
深谷は、江戸時代に中山道六十九次の9番目の宿場町として栄えた街で、その「本陣」は一般人の利用できない公儀の宿泊・休憩に利用された施設です。
この本陣1に対して、脇本陣4、旅籠が80あったという記録が残っています。
▼商店街の昭和感満載のお店に目が奪われて撮ったものです。
できればこの形で、ずっと続いていてほしいものです。
▼渋い建物が見つかったと思って見てみると「関根弁之助商店」とありました。
関根弁之助については1879(明治12)年生まれ1965(昭和40)年没の実業家とあり、1930(昭和5)年に西部養蚕倉庫というのを設立した、とありました。
この建屋の端には「肥料卸売業」の表示がありました。
埼玉県肥料協会の会員であり、日産化学工業(現・日産化学)の代理店としての鑑札?であったようです。
随所に旧字体で表記されており、また埼玉縣「深谷町」となっており、現在の「深谷市」が市制化されたのが1955(昭和30)年の事であり、これ以前のものと思われます。
建屋脇のコンクリート柱を2本の鉄棒で繋いでいるのも、どこか懐かしい光景ですね。
▼ここにもまた昭和テイスト満載な商店が見られました。
コカ・コーラやスプライトの看板が表にある商店を見かけると大体反応してしまいます(笑)
▼これまた酒蔵周辺の様子ですが、「菊泉(きくいずみ)」ブランドの「瀧澤酒造」というところのものでした。
近くにこんなに酒蔵があって、深谷って「お酒どころ」なんだな、というのがこの時の訪問の強い印象でした。
▼菊泉の醸造所周りです。
上の写真の木造建屋だけでなく、レンガの建物もあったり色々でしたが、深谷の町並みの象徴的なスポットにも感じられました。
レトロな雰囲気のスポットを特に撮ったといえばそうなのですが、それにしてもそういう箇所が多かったと思います。
▼最後はこの写真です。
これ、昭和のいつごろのものでしょうか?
昭和30年代か、40年代か?50年代以降ではない気がしますが、手に持ってるものはなんでしょうか??ランドセル背負った女の子すごいミニスカですね小学生だけど。しかも男女手を繋いでたり(笑)
とまあ、昭和遺産的なカットが多かった今回の第2弾でしたが、ここで切りたいと思います。