愛知県瀬戸市、愛知/瀬戸① ガンバレ聡太!につづく瀬戸市の旅第2弾です。
(2021年9月当時)
▼商店街を歩きながら時々逸れては目に入る景色もなかなか良いものでした。
今の時代なかなか無くないですか?精肉店。
お肉屋さんですよ。
最近は、全国展開のスーパーが1ヶ所にあらゆるものを集めて、そこで全部買い物ができてしまいますが、昔は肉屋、八百屋、酒屋、お菓子屋、文房具店…と色々買い物して回ったのが楽しかったのに…と昭和時代を思い返してしまいます。
▼これはまた全面的に昭和な雰囲気に溢れた一角と感じられる通りでした。
多分、昭和末期の定点観測したら全くおんなじ写真になるんじゃないか、というくらいの時が停まった感がありました。
そしてそこに田舎料理 具志堅 というのがありました。
具志堅というと「沖縄」という感じですが、沖縄から出てこられてるのかな?とか色々考えてしまいました。食べログサイトに出てきていて、現役のお店のようです。(ナントFacebookもありました)
▼オレンジのコスモスがきれいな通りにも出くわしました。
▼この建物のサイドの布の継ぎはぎ具合がものすごくて、思わず撮ってしまいました。
ビールケースがめちゃめちゃ積んであるのもなんだかインパクトがありました。
▼再び商店街アーケードの中へ戻りました。
ここは「銀座通り商店街」という商店街、昔ながらの商店街によくある名前ですが、昔は「銀座」なんて東京にしかないものだと思っていました。
しかし、いろんな町の古い商店街で見かけるにつけ、こんなに沢山「銀座」ってあるものなのか!と思わされました。
ここは随分と通路の狭い通りでした。
店の活気が皆無な割に、しっかりと屋根のついたアーケードの商店街として残っているのがすごいなと感じさせられました。
↓ナントHPがありました!
明治20年頃につくられたといわれる歴史ある商店街です。
明治から大正期や、昭和30年代までの高度経済成長期は、この商店街でひと通り買い物をして、ここをめぐる事が楽しみという、そんな感じで賑わっていたといいます。
いろんな商店街を見るにつけ、昭和30年代、40年代頃までは栄えたんだろうな…と思うのですが、その雰囲気を残している所が結構多いので、これがまた時代変遷の悲しさを余計にそそられるというものです。
▼そんな商店街をあるいていたら猫カフェがありました。
その名も「にゃーにゃーにゃー」とは(笑)
▼銀座通り商店街を進みます。
相変わらず立派な箱モノに人影まばらでした。
しかしここもまた、藤井聡太さん応援の垂れ幕が出ていました。「おめでとう」の方ですが。
▼店のシャッター部分にも聡太フィーバーが見られました。
将棋の面もつくられたりしていて、凝ってました。
▼銀座通り商店街を尾張瀬戸駅方面に向かって終点近くです。
銀座薬局 なんていうのがありました。商店街名の関連と思いますが、東京かよって感じでした。
これがシャッターの面にカラフルな文字で色々書かれていて、それはまたインパクトがありました。
▼上の写真の反対方向のカットです。
こう見ると結構華やかな印象で、少し前の地点とはえらく違う感じでした。
▼かなり年季の入った木造建屋の軒先に「CLOSE」とアンバランスな感じでしたが、古民家を再利用したものなのか、こういう感じのお店も最近は多いですね。
▼これが瀬戸市で撮ったカットの中で、個人的にHITでしたが「天空の拝殿」という感じで、「ナニコレ珍百景」にでも出てきそうなものに出くわしました。
▼最後はこのカットで。
日本に「畳文化」はいつまで残るのでしょうか、と気になったりしました。
玄関周りの窓枠が渋すぎました。「腰」の部分が木造というのが更に渋くて。
そして建物のサイドが坂に合わせて造られていたり。
色々感じるところのある建物でした。
瀬戸市へ行ったのに、登り窯ひとつ見ずに発ってしまいましたが、初めて来た時は(記録にないけど)地元の方にかなり案内してもらいましたので、そこんとこは記憶だけで。